「ようこそ教会へ。今はもう立派な観光名所になってしまいましてなあ、勿論嬉しいことですが。無宗教の方が多いこの国ですが、是非とも楽しんでくだされば幸いです」
司教・寺本が簡易な挨拶を告げると同時に教会の扉が開く。各々不穏な空気を抱きながら中に入るが、しかしその空気も悠長な探偵の所為ですぐに打ち砕かれた。
「こんにちは〜!わたし木野宮だよ!探偵だよ!」
「こんにちは……探偵なの? 素敵だね。私は彰だよ。黒堂彰(こくとう あきら)。よろしくね」
「いくつ? てかどこ住み? わたしはね〜今高校二年生だよ!」
「本当? じゃあ同い年だね」
「えー!私も同い年だよ!あ、私は明乃だよ!よろしくね〜!」
「ソフトクリーム持ってた子だ!ソフトクリーム美味しかった? 美味しかった?」
「美味しかった!なんかね〜ぎゅうにゅう〜!ってかんじ!」
「わたし牛乳好き!超好き!後で買いに行こ〜!」
「私は隣にあったプリンが気になるなあ」
きゃいきゃいと騒いでいる三人は、司教の話なんて少しも耳に入っていない。いや、残る人間も大して興味が無い分司教が語る教会の歴史や宗教についてなんて殆ど聞いていないのだが。
一枚の扉を潜った後、短めの廊下に出る。その後もう一枚の扉を潜れば、広い聖堂が見えた。思わず声を上げる人間が出る。聖堂の奥側の壁の上部は殆どがステンドグラスで装飾されており、そこに描かれる模様や人の形はどれも美しく陽射しを受けて輝いていた。
それまで元気にお喋りを続けていた三人も少し黙る。感嘆の息を吐く一同に、司教は嬉しそうな顔をしていた。
「すげーな、このステンドグラス、ガラスに宝石が混ざってんだろ?」
「そうなんです。ここのステンドグラスが有名になった理由のひとつですね」
「ガラスに宝石?」
「ステンドグラスってのは、昔ガラスに金属類の不純物なんかを混ぜて色を変えてたんだよ。ここのステンドグラスはその不純物に宝石を使ってるって話だ。欠片でも拾えば大儲けだぜ」
「良からぬことを考えるときは口にしないほうがいいと思うなあ、俺」
「あ? 別に盗みにきたワケじゃねーよ!ステンドグラスなんて盗もうとするバカがいるなら是非拝みてえけどな!」
東雲が噛み付くようにいちに向かって言葉を吐く。しかし壱川はそうだねえ、と半ば適当に話を流して水守の方を見た。彼女は彼女でご満悦な顔をしている。
「このステンドグラスには……噂の一人歩きではありますが、いろいろな言い伝えがありまして」
司教は歩きながら話す。聖堂の先、ステンドグラスの前まで来て司教は右側に全員を寄せた。真ん中には幅の広い大きなマットと、その前に主祭壇と呼ばれる机が置かれている。一行は主祭壇の隣に誘われながら、司教の言葉の続きを待った。
「こちら右側に描かれる女神には、癒しの効果があると言われています。是非疲れている方は此処から陽の光を浴びて下さい」
「だってさ、綾ちゃん」
「別に疲れてないっての。アンタが浴びたら?」
「宵一さん宵一さん!浴びなくていいの? 最近肩凝り酷いんでしょ?」
「大丈夫だから離せ!やめろ!馬鹿力で押すな!」
騒ぐ四人を見て、彰はクスクスと笑っている。主祭壇の真横に立つ司祭は続けた。
「そしてあちらーーー左側に描かれた女神は」
「待ってましたーー!みやまくん!あれだよあれ!テレビでやってたよ!」
「わかったから、静かにしような」
「はーーい!!!」
「うーん……」
「……ええと、彼方の左側に描かれた女神には、この場で愛を誓うと永遠になる……という言い伝えがございます」
「ロマンチックだね」
彰が嬉しそうに言う。うんうんと激しく頷く木野宮を見て、彰はまた笑う。
全員が左側に描かれた女神に注目していた。色濃く美しく、宝石で彩られたようなその女神を―――
「さあ!みやまくん!!誓おう此処で!」
木野宮が宮山の腕を取りながら声を荒げる。同時に明乃の耳がピクリと動いた。
「明乃、どうした?」
「いや…………」
木野宮は頑なに動かない宮山にしがみつきながら、爛々と続ける。
「二人の永遠の愛を、あのマリアに―――」
「……宵一さん!!」
言いかけた途中で明乃が手を伸ばす。みんなと少し離れ、主祭壇の前、マットの上に立っていた東雲が瞬時に腕を引かれ皆と同じ右側に引き寄せられた。
殆ど同時にパキ、とヒビが入るような音がした。東雲が明乃に引き寄せられた直後に、その音は肥大化し遂には崩壊を果たす。
パリン、と勢いのいい音がした。同時に女神は粉々に砕け散り、その破片が落ちる。
「マ、マリアーーー!!!!!!!!」
「馬鹿、危ないだろ!」
嘆く木野宮もまた、宮山に腕を引かれ間一髪で飛び散る破片を避けた。
ステンドグラスの欠片が目の前をよぎる。全員が驚きながらもその様を見ていた。
宮山は一瞬、己の目を疑う。いや、その場にいた誰もが目を疑った。
様々な色のステンドグラスの欠片が、一瞬宙に浮いた。確実に、マットに突き刺さる手前でピタリと動きを止めた。
誰もがその瞬間、息を止め信じられない光景に目を開いた。しかし長い時間に感じていたのも束の間だったようで、ステンドグラスの破片は勢いよくそのままマットに受け止められ、何事もなかったかのように静寂だけが残る。
誰も、口を開かなかった。
己の目が捉えたものが正常であると判断しにくかった為である。
ステンドグラスが空中に浮いた?いやいや、そんなまさか。
各々が心の中で繰り広げる問答の隙間に、全員が目配せをして信じられるか?と視線で告げる。
「今…………」
最初に口を開いたのは彰だ。それ以上何も言わずとも、全員彼女が言いたいことはわかった。
「……とりあえず、誰も怪我してないか?」
そして彼女の言葉が合図になったかのように、それぞれの脳が思考を取り戻していく。自分だけが見たのなら、笑って過ごせただろう。脳の錯覚だと言って流せただろう。だけどこの場の空気が告げている。
あれは現実だ。
ステンドグラスが割れ、その破片が宙に浮いた。
これは紛れもなく現実なのだと、肌に突き刺さる空気が言っている。
「……怪我はないな。よし。司教さん、大丈夫ですか」
「わ、私のステンドグラスが……」
「ショックなのはわかりますが、怪我人がいなかっただけでも幸いだと思いましょう。ガラスが急に割れるなんて、よくある話です」
「あら、ガラスが宙に浮くのはよくある話?」
司教の肩を叩く壱川に、水守が口を開く。
「……それともさっきの見たのアタシだけ? 確かに止まったように見えたけど」
「……俺も見えましたよ。確かにマットの上にステンドグラスが散らばる直前、止まって見えた。目の錯覚かとも思ったけど……」
「わ、私も見たよ!宵一さんも見たよね?」
「………………嗚呼」
「私も見たー!止まってた!絶対止まってたよ!!!」
壱川が溜息を吐く。
そう、壱川自身も確かに見た。ステンドグラスが割れた後、その動きが止まったのを確かに見た。錯覚というにはあまりにもはっきりしすぎていて、もう何が何だかわからない。だが一つ言えるのはーーーー
「…そうだな。確かに急にガラスが割れても浮くことはないよな」
「ガラスが割れるなんて!此処のステンドグラスはこまめにメンテナンスをしているんだ!浮くこともなければ割れることもありえない!!」
「あら、じゃあ答えはひとつじゃない」
「そうなるね」
「そうなりますね」
「そうだな」
「そうかもね」
「そうだよね」
「?」
木野宮が首を傾げる。
宮山はその頭に手を置いて、口を開いた。
心なしか彼の口元は歪んでいる。
「事件ですよ、センセ」
「!!事件!!!」
「なん……人為的な行為だと言うのかね!」
「まあさっきの話からするとそうなりますよね。イタズラ目当てかもしくは……ガラスに組み込まれた宝石狙いの輩かも」
「だとしたらステンドグラスが止まって見えたのもトリックがあるってことね。よかった、私の目がおかしくなっちゃったのかと思った」
肩を竦めながら水守が言う。司教はわなわなと震えているが、他の人間は御構い無しに話を続けた。
宮山は顎に手を当てながら考える。
「だけど、目の錯覚だとしても落ちているものを止まったように見せるなんてどうやって……」
「エロクトロニックフラッシュだよ」
言葉を遮るようにして言い放ったのは、東雲だ。全員が呆れたように話す東雲の方を見る。
「ストロボとも言うな。カメラにフラッシュ機能ってのがあるだろ。あれだよあれ」
「カメラのフラッシュ機能…? ピカって光るやつ?」
「そーだっつってんだろ」
「それが止まって見えるのと何の関係があるの?」
明乃が頭上にはてなを浮かべながら東雲に聞く。東雲は眉間にシワを寄せながら大きな溜息をついた。
「ストロボを超高速で点滅させると残像現象ってのが起きるんだ。対象に向かって点滅させることであたかも落ちていくものが止まったり、逆流したりするように見えるって手法だな」
「成る程……?」
「探せばどっかにあるはずだ。こんな警備ガバガバの教会なら、夜のうちに侵入してストロボの設置するくらい余裕だろ」
「流石現役。いい線つくね」
「そりゃどーも。こっから見えたから、まあ左側の壁のどっかに……」
東雲がそそくさと動く。マットの上に落ちたステンドグラスを踏まないように大股で歩いて、その向こう側にある壁に手を付き撫でるような手付きで隅から隅までを触る。
ふと、木目を撫でる手が冷たくつるつるしたものを捉えた。見れば壁に、ストロボの発光部分だけが埋め込まれている。
「ほら、こいつだこいつ」
こんこん、とそれを叩きながら東雲が全員にそれを見せた。おお、と歓声が上がるが司教だけは顔を真っ青にしたままだ。
「でもそれじゃあ、もしも私達が左側に立ってたら背中を照らすことになるから運ゲーじゃない? もしくは誘導されてたか」
「向こう側にも同じものが埋め込んであるんじゃないかな。それでタイミングを見計らって何方かを動かす……って感じで」
「成る程ね。それじゃ探しましょうか」
宮山は散らばったステンドグラスを観察している木野宮の頭を引っ付かんで、右側の壁へと放った。程なくして宮山の言う通りストロボは計二つ見つかったが、そのままにして置いていく、ということで意見がまとまった。
「やっぱりイタズラ目的かな。ステンドグラスは回収されてないわけだし。どっちにしろ警察呼ばないとね」
「えー!事件もう終わりー!?」
「終わりだよ。後はおまわりさんに任せてさ、ソフトクリーム食べるんでしょ」
「ソフトクリーム!た"べ"る"!!」
「あの……それじゃあ私たちはもう帰るんですか?」
「いや、警察が来るまで一応待機しておこう。証言とか色々いるだろうからね。それでいいかな? みんな」
全員が目配せをしながら頷く。半分放心状態の司教はひとつ、大きく息を吐いてから背筋を伸ばした。
「そうですね。折角の休日に、ご迷惑をお掛けして申し訳ない」
「いえいえ、事故のようなものですから」
「そうですよ、気を落とさずに」
「……ありがとうございます。私は奥の部屋に鍵を取りに行ってきますね」
「それじゃあ私達は外で待ってます!行こう宵一さん」
「嗚呼……ったく、とんだことに巻き込まれたな」
「まあまあ、もう終わったようなものだし」
「彰ちゃん!一緒にアイス食べに行こう!」
「私も一緒に行っていいの?」
「あ、私も!宵一さん!いいよね!?いいよね!?」
「好きにしろ」
ひと段落。大団円。ようやく活気を取り戻した一行は教会を後にして、隣の屋台へ出ることにした。
それぞれが軽食を取り、司教がソワソワと己の肩を抱いている間に警察はすぐにやってきた。教会の前にパトカーが何台が停まり、その周りには野次馬がたくさん集まっている。
壱川を先頭にして一行は前に出た。刑事と思しき人間がちょうど教会の扉を開け、中を見るところだ。
「早く終わらせて帰ろうぜ。もう疲れたんだよ俺は」
「宵一さん体力ないもんねー」
「事情聴取!事情聴取されるかなみやまくん!? 私事情聴取されるのすごく夢だったんだけど!」
「うん、できればあんまりされてほしくはないんだけど」
「アンタの知り合いなんじゃないの? さっさと終わらせるよう伝えてきてよ」
「現場の保持が先じゃないかな。まあ時間はかからないだろうけど」
「……………」
教会の前に立ちながら、各々慢心していた。
少女の不敵な笑みに誰も気付かぬまま、その重い扉が開く。
ひと段落。大団円。
そんな風に思った後にはいつも、嵐がやって来る。
「………ない!!!ない!!!!ないーーー!?!??ウワァァァァーーー!!!!」
悲鳴のような、絶叫のような。
その声に野次馬が盛り上がる。いち早く怪盗と探偵は振り返る。
刑事と共に中へ入った司教の叫び声は、晴れた日曜日を切り裂いた。
壱川が、それに続いて水守が。更に続いて東雲と明乃、更に宮山も木野宮の襟首を掴んで中に入る。
全員が聖堂の中に入った。ゆっくりと後ろを付いてきていた彰もまた、その光景を見る。
割れた女神と、それに向かって嘆く聖職者。
一体何が、と全員が司教の方を向く。
確かに、なかった。
そこには何もなかった。
散らばっていたはずのステンドグラスが、一欠片も。
たったの一欠片も、残っていなかったのである。
「……これは」
宮山が顎に手を当てる。くるくるその場で回りだした木野宮の動きを止めて、耳に顔を近付ける。
「……誰よ、イタズラ目的なんて言ったの」
「いやいや、そう思っても仕方ないさ。……こんな短時間であんな破片をどうやって持ち去るなんて……どう思う?東雲くん」
「あん? 知るかよ、そりゃ出来なくはないだろうが……言っても難しくはあるな。ガラスなんざそう簡単に持ち運べるものでもねーし……」
「宵一さんはやってないよ!!ずっと一緒にいたもん!!宵一さんはやってないよ!!ほんとだよお!!」
「やってねーーよ!? なんでそんな態とらしく否定するんだよお前は!!」
「いやいや、わかってるよ。俺もちゃんとみんなのこと見てたからさ。少なくとも此処にいる全員と、あの司教さんが警察が来るまでの間外にいたのはしっかり見てたよ」
だったら誰が?
教会の扉は閉まっていた。軽食を済ませたと言ってもほんの少しの間の話で、例え第三者が何処からか侵入したとしてもガラスを全て取り去るような時間はあったのか?
全員が首を傾げ考える。騒めく警察の声など耳も届かぬほどに。
しかしその間を一人の探偵が破った。
聖堂の中にいる司教、警察関係者、探偵、怪盗、その全ての人間の静寂をその声で。
「たのもーーーう!!!」
探偵……いや、自称・探偵、木野宮は片腕を突き上げて、聖堂の中に響き渡る声で言う。
その後ろで腕を組み、呆れた顔をしていた宮山も………鋭い瞳で現場を射止めた。
「木野宮です!!こっちは助手の宮間くん!!!」
「どーも」
ぽかん、とその場にいる全員が木野宮を見ている。
これはチャンスだ。
木野宮を成長させるチャンス。有名な探偵を出し抜くチャンス。宮山は思う。
この事件、必ずいただいてみせる。
二人分の瞳が、爛々と輝いて現場を見る。自称探偵は、誰よりも高らかに、誰よりも自信満々に謳う。
「この事件、わたしが解決いたします!!!絶対に!!!」