猫猫事件帖

銀仕掛けの天球儀事件 弐

「調子どう?」
「バッチリ、って言ってあげたいんだけど」
困ったように笑う男、壱川 遵(いちかわ じゅん)は「はいこれ」と言ってIDカードを差し出した。受け取りすぐに首にかけてから、水守が腕を組む。
「アンタ下っ端だもんね。刑事になるのが遅過ぎたんじゃない」
「これでもマシになったんだよ? でも流石に人員配置まではね、決められなかったね」
「なっさけな!準備しとくって言ったのどこのどいつだったっけー!?」
「悪かったよ」
ずんずん廊下を行く水守と、その後ろに着く壱川は廊下や部屋を観察しながら進む。
逃げ道になりそうなポイントや隠れられそうな部屋を頭に詰め込みながら、二人はエレベーターに乗り込んだ。
「割といけそうじゃない? 階段とエレベーターは塞ぐんでしょ」
「そうだなあ、窓から飛んで逃げるなんて馬鹿らしい真似されなきゃいけるかもなあ」
「本人が来るとも限らないけどね」
「遠隔操作のロボットとか? まさか」
 最上階に向かうまでの間、エレベーターの中を観察する。
「ダクトを使って逃げるなんてアニメの中だけだと思っていたけど、どうなの?」
「なくはないけど、俺くらいになると入れないから相手がどんなのかによるな」
「そう言えば見た目の情報もバリバリネットに上がってたけど。あれ女の子かな」
「中性的でどっちにも見える……って目撃者は言ってたらしいけどね。あんな風に堂々と顔を出すなんて、よっぽど見つからない自信があるんだな」
「警察が舐められてるだけよ」
「それもある」
可笑しそうに笑う壱川は楽しそうだ。本人が怪盗という立場にいながら警察に潜り込んでいるからだろう。
なんのために怪盗をしているのかなんて聞いたこともないが、できれば知らないままでいたいと思った。
最上階に着く。博物館の最上階は、天球儀の為の展示室として特別に施された部屋だ。夜には部屋中にプラネタリウムがプロジェクションマッピングで映し出され、真ん中に置いてあるケースごと銀に輝く天球儀が照らされるようになっている。
予告のためか今は部屋は明るく、周りを囲うように警備員が立っていた。
「プラネタリウムを点ける為の回線はオフにしてる。電気室に行ってIDとパスワードを入力しないと点けられないってさ」
「まあプラネタリウムなんて点けたところで真っ暗ではないんだし、困ることもないと思うけど」
天井を見上げる。天井には壁にある窓とは別に円型の窓が三つ。それと真ん中に通気口に繋がる小さな格子があるが、あの高さから降りるのは難しいだろう。道具を使って悠長に降りていれば、すぐに捕まえられるだろうと思うくらいには天井が高い。
「指名されたからにはと思って来たけど、アタシやることある?」
「君の底力ダッシュ、結構速いと思うよ」
「それつまりは天球儀盗られた後の話じゃない。…………ちょっと、なんで黙るの。冗談でしょ」
「いや〜俺も気になるんだよね!なんで綾ちゃんのこと指名したのかなって」
「態と盗ませてから追いかけようなんて馬鹿の発想としか思えない」
「慢心してる時が狙いやすいんだよ」
「……犯人が逃げるとしたら、経路は?」
小さな声で呟けば壱川が笑って耳に顔を寄せる。目線で入り口を指しながら、ゆっくり唇を開いた。
「扉はあそこと非常口だけ。非常口から逃げたとしたら、その後一度二階に入って隠れるね。俺なら」
「窓から飛んで逃げた場合は?」
「あれ、本気にしてたの」
「ぶっ飛ばされたいの?」
「うそうそ。窓から逃げた場合も考えてるよ」
非常口の方へ近寄り扉を開けてみる。非常口の先は、二階の踊り場を経て一階の踊り場に続く階段と、もう一つ右手に扉があった。そちらの扉に手を掛けてみる。開ければ冷たい風が吹き込み、隣の別館へ続く連絡橋になっていることがわかった。
「二人組って言ったの覚えてる?」
「ああ、そういえば」
「もう一人が指示を出すとしたら別館の屋上庭園じゃないかと思うんだよね。あそこからなら双眼鏡でこの部屋の動きが追える。監視カメラはダミーに変えといたから、そっちは見れないし」
「カメラをダミーに変えるなんてよく許してもらえたのね」
「なんのことだかなーさっぱりなー」
「……聞かなかったことにしとく」
そっと扉を閉める。緊張感に満たされた部屋が少しでも換気されたことを祈りながら踵を返した。
「それで? その時はもう一人を捕まえるって作戦はわかったけど、もう一人がこの部屋を見たい理由って何かある? 通信機を持ってればやりとりできると思うけど」
「前に言ったけど、犯人は怪盗を愉しんでるよ。絶対。愉快犯って言うよりは"劇場型犯罪"ってやつかな」
「劇場型犯罪?」
「ショーみたいなもん。見惚れられても困るし、"始まったら"合図するからすぐに走って」
「走るために探偵になったんじゃないけど」
「これも仕事だよ」
壱川がそう言ってすぐに、パッと部屋の照明が暗くなった。
暗くなっただけだ、真っ暗闇ではない。しかしすぐにその異常に全員が騒めく。こういう時に騒めくやつほど先に死ぬんだ、なんて思いながらも水守は腕を組んだ。
表情が険しくなる。壱川は天球儀を注視しているが、その場から動くような仕草は見せない。同じく水守も天球儀を見る。徐々に暗くなっていく照明が部屋にいる人間の恐怖を―――焚き付けた。
「ちょっと、これ―――」
言いかけた瞬間、壱川が水守の腕を引っ張り連絡橋のある方を小さく指差す。
どうして、と言う暇もなく水守は不服そうにしながら静かに移動した。
そして部屋が完全に暗闇と化したと殆ど同時に天球儀が照らされる。同じく部屋にはプラネタリウムにより映し出された星々が輝き、優雅な音楽まで流れ始める。
全員、天球儀の入れられたケースを見ていた。部屋が暗くなり始めてからものの二秒半。道具も何も持たず、人影はそこにいた。
ケースの上に立ち、深く帽子を被ったその人影に、全員見覚えがある。
「レディースエーンジェントルメーン!ここに見えるは銀仕掛けの天球儀」
何処からともなく聞こえてくるアナウンス。
バニーガールのような衣装に、魔術師を彷彿とさせるローブと帽子を被った人影は、手に持ったステッキでケースを叩く。
「古いものは古いままの方が美しい時って、あると思いませんか?」
アナウンスは軽快に言う。その言葉に合わせて人影は動く。
パッと天井を見上げれば、通気口に繋がる格子が外されている。が、ロープも何もない。あそこから飛び降り、音もなく着地なんて、できるものなのだろうか。
「古き良きなんて言葉があるくらいだから、そりゃあもうそうだよな。アンタらもほんとはそう思ってるよな?」
バニーガールが帽子を脱ぎ捨てる。ショータイムと言わんばかりに響くドラムの音が煩わしい。
「だからトッテオキの魔術で、この天球儀ごと時間を巻き戻しちゃいまーす!さあ皆さん、ご一緒に。スリー、ツー」
そしてローブを掴み、バッと広げる。星空のような模様になった内側の布がケースを包み。
「ワン!」
一瞬でそれを除ければ、元あった天球儀は完全に銀を失っていた。
二年前、見たまんまの姿。汚れや錆や、欠けている部分もすべて、あの頃のボロボロの天球儀へと変貌していた。
壱川は部屋を一周見てから入り口の扉の前に立つ。
「ついでのついででトッテオキの魔術をもう一つ、どうぞご覧あれ!」
もう一度部屋の明かりが消える。そして二秒も経たないうちにプラネタリウムは消え、元の照明へと戻った。
警備員はチカチカと痛みさえ覚える目を抑えてショーケースのあった方を見る。そこにはバニーガールはおろか、天球儀の姿さえ綺麗さっぱりない。いや、それどころか、ショーケースすら消えているのだ。
そして壁に嵌め込まれていた窓が、すっぽりと姿を消していることに気付き、全員が口を開けた。吹き込んでくる風に顔を打たれ、ハッとしてまた部屋中が騒めき始める。
「違う!上だ!!」
そして誰かが叫んだ。今更天井の格子がなくなっていることに気付いた誰かに煽られて、全員が部屋を出る。押し除けられるような形で壱川は扉の前から退いたが、彼は部屋を出ることなく部屋をまた見渡した。
綺麗さっぱりなくなった窓に、小さくお見事、と呟く。
「劇場型犯罪……配役が完璧だな」
入った時に見た館内禁煙の張り紙を思い出しながらも、ポケットから煙草を取り出し、咥える。
「それにしてもすごいな、最近の技術ってヤツは」
慌てる素振りもなく部屋の中心に向かう。床に埋め込められたライトアップ用の電球を一瞥してから、ショーケースがあった場所に手を伸ばす。
コツン、と指先に何かが当たった。何もないはずのそこに、確かに指が。
「ッうわ!」
当たったと同時に小さな風が吹く。同時に電気が走ったような痛みが鼻の上を通って、そこから血が垂れた。
一瞬でわからなかったが、人影が上から落ちてきた。先程のバニーガール衣装とはまるで違う格好だが、確かにその人影は先程のバニーガールだ。
人影は宙に浮いている。何もないところに確かに足を付け、浮いている。
「……こんばんは?」
「こんばんは」
人影は宙に浮きながら、手に持った小さなナイフを構えた。
「てか、サヨナラ」


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