序章にあたるエピソード | ナノ



人一倍丈夫な体でよかったと、俺はつくづく考える。若くて健康な男。大変よろしい。若さは武器になる。健康に越したことはない。力も強い。この国の未来を担う若者として、大変よろしい。
ただひとつ、いや、やっぱりふたつ、この自分に問題点があるとしたら。ひとつ、救い用のない馬鹿であること。ふたつ、救い用のない面倒くさがりであること。
馬鹿と面倒くさがりを背負って生まれてきたせいで(そんな神様に責任転嫁するような表現を避けるのなら、『自ら背負ったせいで』)、何とか高校を卒業した後から考え無しにコンビニでアルバイトをし続ける羽目になった。上手くいけば社員にでもなれるのでは、とも思うが、正直望みは薄い。そのくせ就職活動などする気にもなれず、細々と、しかし自由な毎日を満喫しているところだ。

知り合いから居酒屋を運営しはじめたと聞いたのは去年のことだ。彼は人に好かれる性格をしていたし、確かに接客業には向いているかもしれない。
ふと気が向いて、不器用なあの人がいつか店が潰したりしないうちに行っておこうと思った。思い立ったが吉日、と言いつつそれが三日前の火曜日の話なのだが、とにかく俺はその居酒屋のドアを開いた。

「いらっしゃいま、おお!総悟!」

店に足を踏み入れると、この居酒屋を立ち上げた本人、近藤さんが手を上げた。しばらくぶりだけれど相変わらず人懐っこい笑顔を浮かべている。

「近藤さん、久しぶりでさァ。ここのこと思い出したんで、ようやく来てみました。」

「全然来てくれねぇから、このまま顔も見せてくれないのかと心配してたんだぞ!まぁ座れ座れ!」

店内は思っていたよりずっと狭く、椅子が七つ並んだカウンター席があるだけだった。雰囲気もこじんまりとしている。金曜日の夜であるのに、客もカウンターの隅の席に一人だけ。黒髪の男だ。
どうせなら、と男の顔を覗き込む。

「隣、いいですかィ?」

ふと顔を上げたその黒髪の男は、ひどく目付きの悪い、青みがかったような、緑がかったような瞳をしていた。俺より年上に見える。スーツを着ているからご立派な社会人様らしい(嫌味ではない。いちいち自分より立派な人間に嫉妬していては、俺には友達なんて一人もできない)。

「あ?勝手にしろ。」

それにしても随分偉そうな物言いである。
けれど一応断ったので、どかりと隣に腰掛ける。近藤さんが麦茶とほうれん草の煮浸しを持ってきて、俺の前に出した。

「……実家に帰ったときみたいな気分でさァ。」

「いやー、それが全然お客さんが来なくてなぁ、最近はトシくらいなんだ。」

トシというのは俺の隣の、偉そうな男の名前らしい。彼が横から口を挟む。

「だからってほうれん草の煮浸ししか用意しないってのはどうかと思うぜ。」

「え、近藤さんまさか、煮浸ししか出てこねぇんですかこの店!」

「ははは、実を言うとビールと麦茶とほうれん草しか仕入れてないんだ!」

笑い事じゃねぇよ店閉めろよ、と言いつつ隣の男は常連らしい。
ビールでいいから何かアルコールがほしい、と頼むと近藤さんは店の奥へと消えた。ついでに昨日作りすぎた肉じゃがと白米を持ってくるとも言っていた。あんたは俺の彼女か。
そこでなぜだか疑わしげな視線を向けてくる隣の男を見る。

「えーと、トシ、さん?」

「土方十四郎だ。」

「へえ、土方さん。俺ァ沖田総悟っていいやす。何か言いたげですが、会ったことありましたっけ?」

「いや、ないけど、お前あれか……?まさか未成年じゃないだろうな。」

どうやら年齢を疑われていたようだ。

「一応、成人してますけど。」

「まじかよ、高校生に紛れてても違和感なさそうだな。」

「喧嘩なら買いますぜ。」

「喧嘩なんて売ってねえよ!」

そんなこんなで話を聞いていると、彼、土方さんは高校で社会科教師をしているらしい。近藤さんとは特に知り合いだったわけでもなく、この居酒屋が開店してすぐ、まだ表に看板が掛けられていた頃に(今や看板も暖簾も出ていない。ほとんど営業していないのと同じだ。)偶然立ち寄ったのがきっかけだったとのことだ。
ふーん、彼の職業にはさして興味もない。

「で、土方さんは、どんくらいの頻度でここに?」

「そんなこと聞いてどうすんだよ。」

「いいじゃないですか、同じ杯を交わした仲ですぜ。」

杯交わしてねえし、と突っ込まれる。そこで、戻ってきた近藤さんが俺に、白米の盛られた茶碗を差し出しながら言う。

「トシは毎週金曜には来てくれるよな!」

「ほうほう。」

「おい、近藤さん!あんた本当にこの仕事向いてねぇよ……」

近藤さんは気にした様子も見せず、豪快に笑っている。
金曜日の夜か。一週間の疲れを忘れるには都合のいい選択なのかもしれない。

「そんじゃあ近藤さん、俺、毎週金曜日にはここに来ますんで、これからはほうれん草以外にもなんか出してくだせェよ!」

「は?」

意味が分からないといった様子で眉をしかめる土方さんを余所に、近藤さんは親指を立てた。

「よし、近藤さんに任せときなさい!」

何の刺激もない、時間だけをもて余したフリーター生活を過ごしてきて数年。ようやく俺にも、何かが舞い込んできたようだ。



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