きっと夏が過ぎたら | ナノ





夏はもう終わるのだろうか?
つくつくぼうしの鳴き声を聞きながら、沖田は額に流れる汗を拭った。背中がぽかぽかと異常に熱を帯びている。寝返りをしてから、先程まで自分が背を預けていた畳に指を這わす。思わず顔をしかめてしまうほどに熱かった。真面目に机と向かい合って仕事をしている土方の後ろ姿へ視線をやる。これだけ暑いというのに、大層ご立派なことだ。鬼の副長は、書類の提出期限に追われているらしい。沖田にしてみれば書類の提出期限なんて気にしないのでほとんど他人事のようなものなのだが、とりあえず大変だな、という感想を持っておく。
まとわりつく空気が鬱陶しい。汗がとまらない。つくつくぼうしは五月蝿い。散々だ。

「あー……茹でられてる気分でさァ……」

ぽつり、小さく溢れた愚痴にも土方は目敏く反応した。

「おまえ、仕事中だろ。寝てばっかじゃなくて仕事しろ」

「俺だって仕事したいですぜー。でも暑くて暑くてどうしようもないです。屯所全体を冷暖房完備にしてくだせェよ」

「それができたら苦労しねえっつーの!この部屋が特に涼しいってわけじゃねえんだから出ていけ。仕事しろ、仕事」

「……うえー」

沖田が曖昧に返事をすると、土方はため息を吐いた。他の隊士に示しがつかないだろう、ともっともな意見を述べる。
そんな声を軽く受け流し、沖田は土方の黒髪をぼんやり眺めた。手入れをしている様子は微塵も感じさせない、無造作な黒髪だ。生まれつきの茶髪を沖田は自分で嫌いというわけではなかったが、なんとなく、その黒を羨ましく思っていた。
……土方の言う通りだ。仕事をサボるにしても副長室に来る必要はまったくない。むしろ、こうして土方に叱られるのだから見付からない場所のほうが都合がいい。それなのにどうして自分はここにいるのか? 問うまでもないと、沖田は苦笑する。

「土方さーん」

「あ?」

「暑い」

「言わなくても分かる」

「留守番電話」

「わけわかんねえ返し方すんな」

土方は、いつのまにか始まっていたしりとりじみた会話を止めない。暑さにやられているのは沖田だけではないようだ。

「生意気でさァ、最後に『る』つけるの、土方さんだけ禁止」

「知らねえ、んなこと」

「倒置法ですか」

「そ、総悟、おまえ倒置法なんて言葉知ってたのか」

土方は驚きのあまり、といった様子でしりとりをやめる。

「あんた俺のこと馬鹿にしすぎじゃありやせんか……まじで早く死んだらいいのに」

「んだとコラァ!表出ろや!」

立ち上がりかけた土方とは対照的に、沖田はうんざりと頭を垂れた。

「表に出なくたって今すぐ殺してやりてぇくらいなんですが、本当暑いんでそういうのいいです」

沖田の切り返しに土方は眉間のシワを深めたが、なんとか自分を宥めて腰を下ろした。そもそも沖田に構ってやってる暇などない。沖田もこんなところで油を売ってる暇はないはずだが。

「暑くても寒くてもいいから、とにかく働け税金泥棒」

「あらら、旦那の受け売りですかィ」

あんたも同じ税金泥棒じゃないですかーと野次を飛ばす沖田を無視して、土方はようやく背を向ける。相手にしていてはキリがないと諦めたようだ。
副長室にふわりと涼しい風が吹き込む。沖田が外を見ると、ようやく太陽が雲に隠れたところだった。つくつくぼうしはまだ、しつこく鳴いている。

「ひ、じ、か、た、さ、ん」

沖田はもう一度、彼の背中を見た。土方はすっかり無視を決め込んだようで、ひたすらに筆を走らせている。直射日光は途切れたが、やはり暑い。熱い。

す、き、で、さ、ぁ

沖田は声に出さず、口だけを動した。その動きの余韻を確かめてから、次に小さく舌を出す。

「気持ち悪ィ」

心の奥底からそう呟いて、立ち上がる。

「そんじゃあ土方さん、真面目な沖田隊長は仕事に勤しむことにしまさァ」

がんばれよ、とようやく返ってきた土方の言葉を胸に留めた沖田はそんな自分に気付き、本当に気持ち悪いなと口を歪めた。
暑さも熱さも全部、気のせいになってしまえばいい。