かたん、と音がした。 振り返る瞬間に、畳の匂いが鼻をつく。なぜだかは分からない。ここ最近畳を拭いた覚えもないし、もしかすると気のせいだったのかもしれない。 音の正体は障子だった。障子が開くときの音だった。ふわりと足元から風が入ってきて、卓上の紙を掬い、落とした。それを意識の隅で捉えながらも、俺は目を離さなかった。通り抜けた後ろには外の景色が見えるはずであるが、それよりも手前の半透明な彼の瞳の奥と、どうにかして視線を合わせようと試みる。それが到底不可能なのは分かっている。不透明なときと変わらず彼も俺を見るのだが、根本的に何かが違って、どうしても視線はかち合わない。 彼がぱくぱくと口を動かし、声が聞こえる。声まで半透明で、これは本当に聞こえているのか不安になった。 「こんにちは。」 やけに形式ばった挨拶だ。「おはようございやす」も「おやすみなせえ」も言われた記憶はあるが、こんにちはと言われたことはなかったかもしれない。いや、割と長い年月を共にしてきて、それはないだろうか。それでも、この挨拶は俺の中に違和感を落として溶けた。 「あぁ。」 「あれ、驚かないんですかィ。てっきりあんたは真っ青になって慌てるかと。」 死人が出たんですぜ、幽霊でさァ、幽霊。そう言って総悟はけらけらと笑った。何も面白くなんかない。こいつが笑うのは面白くないときばかりだ。 「んな呑気に出てくる幽霊が怖いわけあるか。」 率直に感想を述べてやると、つまらないと口を歪めた。 また少し風が吹いて、総悟の髪を揺らした。おかしなことだ。半透明のくせに障子を開け、さらには風に髪がそよぐなんて。 「あんたのことなんて、ちっとも心配してやりませんぜ。」 「は?」 「未練だってないです。」 「じゃあなんで来たんだ。」 その俺の声だけが空気に浮かんだ。総悟はふわりと微笑んだ。もしかすると俺が今まで見たことがないかもしれないくらいに柔らかく。 「・・・なんとなく。」 さらさら、風に総悟の着ている隊服が揺れて、半透明が透明に変わっていく。 俺は知らない。こいつが死んだところを見ていなかった。確か前の晩に風呂上がりの総悟が、「今日の風呂、すげー熱湯でしたぜ。」とか言いながら刀の手入れをしていたのを見たのが最後だ。ついでに「あ、しまった。これ言わなかったら土方さんが熱湯に浸かってショック死してくれたかもしんねーのに。」とも言っていた。何と答えたのかは、あまり覚えていない。 そして次に見たときにはもう総悟は喋らなくなっていて、まわりにはたくさんの隊士がいた。近藤さんがまともに仕事をできるようになるまで、数日がかかった。俺はその埋め合わせをしながら、死んでからも迷惑をかけるなんてあいつらしいと考えていた。 「総悟には、もう会えないんだな。」 沖田総悟だったものの手を握り、呟いた近藤さんの言葉は衝撃的だった。この言葉で俺は総悟が死んだことを実感したのだ。 誰かが死ぬということは、いくら経験して流す涙が少なくなっても、大きなことだ。ましてや総悟は、近藤さんと俺にとって近すぎる存在だった。 「消えるな。消えるくらいなら、出てこなきゃよかった。」 そう溢すと、総悟は困ったように肩をすくめる。今さら俺らしくない、と冷静な自分が諭してくる。 「出てきちゃったもんは仕方ないです。」 どこまでも無責任な奴である。自分の行動に責任を持てとあんなに言い聞かせたのに、死んでからすら実行していない。 総悟は、近藤さんをよろしくお願いしまさァと不本意そうに頼み、消えた。 土方さん、とあの声が呼ぶのを聞いたのは、い つのことだったのか。ちっとも思い出せない。 すべてが透明になる話 (障子は閉まったまま) |