咳止めシロップ




霧雨が睫毛に張り付いて涙が滲んだ。泣いてるわけじゃないのに勘違いされそうで、すぐに辺りを見回したが、どうやら既に勘違いされたあとだったようでマグル学の教室から出てきてクスクスと笑うのだめと目があった。素直に恥ずかしかったが、反面彼女に反応してもらえたことが嬉しくもあって、両手で抱えていた本を慌てて小脇に束ね手を振る。振りかえされた挨拶が僕に甘い痺れをもたらす。それだけで僕の今日の安眠は約束されたようなものだ。ジェームズのスネイプいびりにも、シリウスのやりすぎる悪戯にも辟易しない終わりを迎えることができる。

素敵なのだめ、君が僕の隣を歩いているのを想像するだけで本当の涙がこぼれ落ちそうになる。ジェームズ達に話してもなかなか理解されないけれど、僕の幸せなんて、明日もまた良い天気だったらいいな、と思うぐらい些細なものなんだ。僕は臆病者だから多くの幸せは望まないよ。

「声をかけてみなさいよ。のだめもきっと待ってるわ」

リリーの言葉が真実なら、たまに重なるお互いの視線も意識も偶然じゃなく必然なのかもしれない。でもそれが真実じゃなかったらと考えるだけで僕は足が竦んで何も出来なくなってしまう。何事においても事なかれ主義を貫き通しすぎた自分の悪いところだ。

「ジェームズたちには言わないでもらいんたいんだけど、僕の内緒話聞いてくれるかい?」

リリーは当然だと言うように頷いてくれた。ホグワーツから離れたハグリッドの小屋が見える丘陵に座って僕は、ほんのちょこっとの胸の内を打ち明けた。

「本当のところ、僕はわがままだよ。のだめの隣を一緒に歩けるだけの幸せで十分だっていうのに、夜、目を閉じるだけでたくさんの欲が僕の頭を通り過ぎるんだ」

「それは誰にだってあることじゃない。ジェームズを見てみなさいよ」

「多分、半分まではね。のだめと笑いあったり手を繋いだり抱きしめあったりキスをしたり、そういうことが出来たらって願望はジェームズと一緒だよ。けど、違うんだ」

抱えた膝の中に顔を隠して僕は言った。手を繋ぎたいと思ったら僕の気が済むまで繋いでいて欲しい、抱きしめたいと思ったら心の芯があったまるまで抱きしめていたい、キスがしたいと思ったら別れを惜しむ暇なんてないくらいにずっとキスしていて欲しい。僕がのだめを想う同じ気持ちの速度で、重さで、広さで僕のことを好きでいてもらいたいんだ。わがままだろう、おかしいだろう。僕はいつからこんな欲深になったんだろうね。自分でも信じられなくて涙が出そうだよ。

背中にリリーの温もりを感じる。言葉は止まらず僕は顔も上げずに続けた。

「人生は驚くほどに短いよ。何かを考えるだけで物事の道理がめちゃくちゃになって訳が分からなくしまうくらいに」

もし現実を理解してしまったら、僕が本来収まっているべき場所を求めて逃げ出してしまうだろう。夜が太陽を求めるように、僕はのだめを欲してる。あるべき姿に、自分が望む姿を求めるかのように。

「これはいけないことかな」

「そうは、思わないわ。少なくとも今の私にはね」

幼い頃に僕が夢見ていた生きかたと現実は違う。人生が僕の夢を壊してしまったんだ。でも、のだめさえいてくれたら、こんな僕の陰気も治るんじゃないか。そんな、大きな幸せを僕は滲む涙のはじっこで望んでいたりする。