囁く
「温泉の、なんて言えばいいでしょうかね、あのシャボン玉に包まれたような感じがたまんないですよね」
「すみません、何の話してましたっけ」
「…私もわけが分からず話進めてました」
氷が溶けて薄まってしまったメロンソーダをかき混ぜて空気を濁した。河合さんはここの喫茶店いち押しのフルーツパフェを恥ずかしげもなく食べていて、ギャップというか、イメージに合わないというか、とにかくこの組み合わせは意外だ。
「わら人形の作り方、でしたか」
「全然違いますよ、どこか良い空き家がないかなって話ですよ」
「あぁそうでしたね。僕の知り合いの家なんかどうですか。あの俳句本が10円で売られていた知り合いです。景観は無駄に良いし、むしろ空き家みたいなもんですよ」
「いや、それは遠慮しときます」
映像を使って芸術活動をしている友達がいる。その彼女に、近くにいる赤の他人をテーマに映像を撮りたいから、まず空き家を探して欲しいと頼まれた。意味不明なテーマもさることながら、なぜ空き家が必要なのか。そこのところの説明を尋ねてもきっと意味が分からないだろうから深くツッコまないでおく。
そんな理由がまず第一にあるのだが、それはたんなる話題作りにすぎない。いつも近くの古本屋でしか会う機会がない河合さんを思い切ってランチに誘ったのだ。私たちの関係はよく分からない。前に一度、好きと伝えてから進展はない。
「好きって」
「えっ」
「言ってくれた日から変わりないですね、のだめさんは」
生クリームにまみれ、千切れたミカンがスプーンに乗って河合さんの口の中へ消えた。
「のだめさん?」
「あ、はい。河合さんだって変わってないじゃないですか」
「僕は変わってますよ」
柄の長い独特のスプーン、それを私に向け、唇に柔く当てた。薄くついていた生クリームの感触がわずかにする。
「こんなことをするぐらいには」
ここで河合さんが小さく微笑んだりしてくれたら私の心臓はさっき食べられたミカンみたいに千切れ破裂していたに違いない。でも、微笑まずに無表情のまま、取り出した携帯で私の阿呆面を撮るのが河合さんだ。
「わ、わわ私、頑張ります!」
「それで、何の話でしたっけ」
河合さんの口に入るスプーンが、とても美味しそうだった。
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