「なに、これ」

蚊に刺された腕が痒くて起きてしまった。それなりに明るいが、季節が季節だからまだ早朝より少し早いくらいだろう。腕を掻いて起きあがろうとしたら、足が動かない。見れば私の腹に真っ黒な男が乗っかっているじゃないか。

「えぇ」

こうして縁側で起きたとき、虫や蛙や何かが体の上にたむろしていることは悠々にあった。けれどこんな黒ずくめの男が乗っかっていたことは一度もない。恐る恐る手を伸ばし頭を揺さぶっても反応がないあたり男は熟睡しているようだ。シャッターから空の薄明かりが漏れている。また閉め忘れてしまったんだ。

男をゆっくり転がして自分の寝ていた場所に移動させる。男は自分より年上みたいで、満足にない光の中でも分かるほどに顔色が悪かった。

「もしかして病人?」

寝顔も心なしか苦しそうだった。とりあえず暑そうな背広を脱がし、ネクタイを緩めてやる。こんな暑い中なぜこんな重装備なのか、やはり酔っ払いの類だろうか。小さく開いている口から珍しいものが覗いていた。

「牙だ」

獣にある尖った牙が男に生えていたのだ。よくある犬歯とは違う、白く鋭利に尖った二本の歯に釘付けになる。気付けば私は自分の人差し指を男の牙に近付けていた。寝起きにもほどがあるとは自分でも思っている。けれど気になって、触ってみたくて仕方ない。糸車のすり減った紡錘に触るように、指がそっと牙に触れた。力は加減したつもりだったが僅かな痛みが指先に広がる。刺さってしまったことに気が付くのと男が目を覚ますのは同時だった。