「ずいぶん近くに家出したもんだ」

「来るな変態」

歩けば三分、走ってくれば一分の距離にある公園のうんていにのだめは座っていた。

「のだめは運動神経がいいな。俺はそんな所に登れないよ」

「勝手に名前を呼ばないでよ」

「じゃあ、原始人と呼ばせてもらおうじゃないか」

敵意しかこめられてない視線に、こいつを丸めこむのは難しそうだと理解し頭を掻いた。とりあえず彼女の側に近付き様子を伺ってみることにしよう。彼女が騒ぐ限り、俺の約束された屋根付き宿が遠のいていくことになる。

「別にお前を取って食ったりなんかしないし、しばらく寝床を借りるだけだ」

「朝、食べようと、してた」

「寝ぼけてたんだろ」

「そんなわけない」

今朝の墓穴が響いている。彼女のこの気迫なら今にも大声で俺の失態を叫び出しそうだ。正面に見えるスーパーから出てくる買い物帰りのおばあさんやサラリーマンが通り過ぎていくのを目で追いながら、できる限りの低い声で俺は一人言のように喋りかけた。

「人を説得するなら嘘は吐かずに正直に話すべき、だったな」

「急にどうしたの」

「見ただろう、俺の歯。そして触れた。血も出た。それを俺は、飲んだ」

「あれって飲んでたの…?」

「あれが俺の食料だから」

「ちょっと待ってよ。血が食料なんて、それじゃまるで」

「まるで吸血鬼だろう?」

だんだんと正体が見えてきたであろう予感に動揺したのかのだめはうんていから足を踏み外した。とっさに受け止めようとしたが今の体力じゃ抱きとめることは叶わず無様に下敷きになることを受け入れた。重くのしかかる衝撃には慣れているにしても痛みに歪んだ意識は一瞬揺れる。ちかちかした視界はのだめの不安げな顔で覆われた。

「北島、さんは吸血鬼なの?」

「もう分かってるはずだ」

爪先で彼女の頬をなぞれば飛ぶように退こうとした体をすぐに捕まえる。目の前の事実にもこれから起きようとしている現実にも理解が出来ていない、そんな顔をする彼女の首に思い切り歯を突き立てた。