見覚えのある金糸はさらさらと風に靡いている。辺り一面には橙色の花が咲いていて甘くどこか懐かしい匂いがする。金木犀ですよ、晋助さま。彼女は振り返りこちらに微笑む。相槌を打つより前にわたしこの匂いすごく好きで、と無邪気にはしゃぐ彼女に歩み寄る。足音に気付いた彼女は抱え込んでいた膝に顔を埋めながら花言葉は初恋です、と少し恥ずかしそうに言った。金木犀から彼女に視線を向けるその隙に、あるいは瞬きをする瞬間に、彼女は自分と初めて出逢った頃の姿になっていた。

しんすけさま。そう言って駆け寄る彼女は自分の腰に抱きつき嬉しそうに微笑んでいる。いつの日かもそうしたように髪を撫で頬に触れれば心地よさそうに頬ずりをする彼女は幼き日を思い出させる。もう遥か昔のことのように感じる。血に塗れた頬を袖で拭ってやれば碧いビードロのような瞳からは次々と涙が溢れ出て万斉からは晋助が女子を泣かせた、とからかわれた。あの頃の自分はまだ幼いこどもを独りにするほど冷酷にもなれず、かといって解決策を思いつくほど賢くもなく、船に連れ帰ることしか出来なかった。今思えば昔の恩師にしてもらったことの真似事をしたかったのかもしれない。あの日先生が自分に救いの手を差し伸べてくれたように彼女に手を差し伸べてみたかったのかもしれない。未熟ながらも先生と同じように何かしてみたかったのかもしれない。先生の面影が心の奥底に根付いていたようで、彼女に色んなことを教えた。先生が教えてくれたことをなぞるように、真似事をするように。

そうやって過ごしていくうちに彼女も自分も大人になった。自分に向けられる彼女の視線に熱が孕んでいることにも気付いたし、自分自身の中にも彼女へ特別な情が生まれていることも分かった。彼女の想いは昔自分が抱いていたような憧憬を恋心と勘違いしたようなものだろうと思ったし、自分の想いはずっと一緒に過ごしたことによる家族愛にも似たものだと思った。そう思うようにした。そう折り合いを付けることにした。さもなければこれから先一緒に居られないと思った。けれどもその判断は彼女を時に哀しませ、苦しませた。見て見ぬ振りをする度に肺が軋む音がした。そんな中月日だけは当たり前のように流れ幼さの残っていた彼女はすっかり大人になり、拳銃を持ち戦線に立つようになった。自分の心配をよそに彼女は1人で大人びていった。自分だけが変わらずに取り残されているような気がした。けれども彼女の泣き虫なところは昔から変わらず、自分が怪我をすれば泣いて駆け寄ってきた。暫く留守にする時は泣きながら見送る彼女にすぐ帰ってくるから心配するな、と言うのが約束事のようになっていた。そうやってずっと、ずっと一緒に過ごしてきた。

昔に思いを寄せているうちに辺り一面に咲いていた金木犀は枯れていて、明るかった空はどんよりと曇りがかっていた。そうか、これは夢か。不思議な光景の移り変わりにようやく合点がいく。腰に抱きついていた彼女はいつの間にか居なくなっていて自分は独りぼっちで佇んでいる。晋助さま。呼びかける声に振り返れば彼女は昔と同じように碧い瞳から涙を流している。彼女の両手にあるはずの2丁の拳銃は足元に落ちている。

早く目を覚ましてください。次々と溢れる涙を両手で拭いながら懇願するように彼女はそう言った。また泣いてるのか。そう言って抱き寄せればこどものように嗚咽をあげながら彼女は泣いた。あなたの苦しみで生き永らえようとしてごめんなさい。許してはくれないだろうけどわたしは晋助さまがいないと生きていけないです。ずっと一緒にいたいです。嗚咽混じりに聞こえる言葉に謝るなよ。許すさ。ずっと一緒だ。そう一つずつ答える。震える背中を擦り続ける。だからもう泣かないでくれ。笑ってみせてくれ。その声に袖をきつく握っていた掌が背中にまわる。安心して一息つくと金木犀の懐かしい匂いとともに腕の中にあったはずのその姿はすっかり消えていた。袖に染み込む水滴に顔を上げると今にも雨が降り出しそうな程雲が分厚く漂っている。ぽたり、と雨が1つ頬に落ちたのを感じた時ようやく夢から覚めたようで目の前には彼女の姿があった。顔をくしゃくしゃに歪めて瞳一杯に涙を溜めている姿は昔からずっと変わらない。

また泣いてるのか、また子。そう声をかける。声は掠れていて届いたかは分からない。晋助さま、と抱きついてくる彼女を片手で抱き寄せ金糸を撫でる。いつものように嗚咽をあげ泣く彼女の耳元で済まなかった、と言えば彼女はぶんぶん、と首を横に振る。目を覚ましてくれてよかった、と泣きながら彼女は微笑んだ。昔から変わらぬその愛情がたまらなく愛おしく、両腕でぎゅう、と抱き締める。腕の中で彼女の微笑む声がする。





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