「ただいま」
 久しく皆が集まり賑わっていたポッポタイムはその声だけで波打つように静まり返った。ガタッと遊星が大袈裟に椅子から立ち上がる音だけがこの静寂を破る。

「ブルー、ノ…?」
「ただいま、遊星」

 へらり。昔と変わらない脱力した笑顔でブルーノは恥ずかしそうに頭を掻く。誰かが「何で、」と呟いた。その姿はアンチノミーではなくあの時のままの姿で、変わったといえば頬に傷がついてる些細なことだけだ。
「ゾーンがね、狭間に引っ掛かってたボクを拾ってくれたんだ。クリスマスの奇跡ですよって言われたと思ったら気付いたらポッポタイムの前にいてさ、彼ってばお茶目さんだよね」
 それはお茶目とだけで納めていいのか分からない大事だが、ブルーノが帰ってきた。その事実に皆は感極まり次々に彼の回りを囲っていく。大きくなった双子を見て驚いたり、プロデュエリストとして世界を股にかけるジャックにやっぱりと目を細めて嬉しがる様子を遊星は懐かしそうに眺めていた。
「今夜は無礼講だ! こうなりゃ朝まで祝おうぜ!」
「酒だ酒ー!」
「こら、龍亞はまだ未成年なんだから駄目でしょ」
「えーケチー」
 クロウに釣られて盛り上がる龍亞を制する龍可とのやり取りに一同はどっと笑う。姿変われどあの頃と全く変わっちゃいないポッポタイムはブルーノの心を暖かくさせた。



 それから宣言通り夜明けまで盛り上がっていた此処も既に静か。皆には毛布を掛け、最後に眠っていた遊星にもと軽く肩に触れた瞬間ゆっくりとその目蓋は開いた。
「あ、起こしちゃった?」
 ブルーノから毛布を受け取った遊星は寝ぼけた頭を揺すって一言礼を告げてくる。隣に座ったブルーノの存在を確かめるように握られた手は拳を作った。
「嘘じゃなく…本当に帰ってきたんだな」
「遊星ってば信じてなかったの?」
「信じられなかったんだ。オレを助けた後、呑み込まれていくお前の姿を今でも鮮明に憶えていたから。それに墓まで作ってしまった」
「そんな物まで!?」
 簡単にだが、と付け足した極真面目な遊星には悪いが腹を抱えて笑ってしまう。そこまで大切にされていた有り難さと、きっと一生懸命作ってくれた嬉しさからだ。想像したらなんだか熱いものが込み上げてきた。

 だが、それからふと笑うのを止めてグレーの双眸を切なげに揺らす一瞬を遊星は見逃さなかった。
「どうした?」
 しかしあれは無意識だったのだろうか。「え?」という疑問符しか返ってこない。
「気掛かりがあるように感じた」
「あー…うん…」
 どんなことを聞かれても飄々としてみせるブルーノにしては珍しく歯切れの悪い答えだった。

 二メートル近くある巨体を前のめりにさせテーブルで腕を組んで出来た体との空洞に頭を落ち着かせる。相手から何かを言われるまでじっと待っててくれる遊星の性格に助かったと密かに苦笑を洩らした。ブルーノは大きく息を吸って吐けるところまで膨らんだ背中から空気を抜いてみせた。
「……そのお墓ってさ、ゾーンやアポリアの分もある?」
「ああ」
「じゃあさ…あの三人のは?」
 向き直してそう聞けばターコイズが揺れ動く。ひとくくりにしても分かってくれただけで充分だったから別に責めてるんじゃないよ、と言い訳はしといた。あの三人は元は一つの人間だったのだしそれで歓んでるには違いない。でも、ブルーノは知っていたのだ。彼らが各々の自我を持つことに時たま不安がっているのだと、全身どこまでも白かった男がそうだったから。いつかの懐かしい記憶に思い馳せながら席を立つ。玄関へと向かえば戸惑いを拭えぬままそれでも後ろを着いてくる遊星にそっと微笑んだ。
「道案内、お願いね」



 薄明かるい外で吐く息は白かった。霜も降り、昨夜より拍車がかかったように寒い。もっと温かい格好をしてくれば良かったとは思っても今着ているもの以外は手持ち沙汰でおざなりだったからどうしようもなく、肩を震わせる。ここに送ってくれた旧い友人には感謝しているものの季節に適した装備も考えてくれたなら尚嬉しかったのに。いや、それはあまりにも贅沢すぎるか。
 先を歩く友人は耳を真っ赤にして見るからに痛そうだった。それでも文句を言わず案内してくれることに罪悪感が芽生える。いてもたっても居られずに後先考えないで出てきてしまった自分の身勝手さに思いやられてしまう。
「寒いよね? ごめんよ…」
「気にするな。遅かれ早かれお前が戻ってきた時から連れていこうと計画はしていたんだ」
 振り返りながら、ふっ、と笑う彼にはブルーノも頭が上がらずに心でまた一つ謝って口では短く礼を告げた。

 そうしてポッポタイムから少し離れた場所に見えてきたのは殺風景の中に佇む何個かの手軽な岩。まだ新しいのか花も美しく飾られている。
「わ、実際に見ると不思議な感じがするな」
 しゃがんでぺたぺたと触っていれば困ったように脇に並んだ遊星が手を合わせて拝み始めた。それに習い慌てて拝んだ後は被ってた砂埃を軽く払ってやる。一つ一つ丁寧に。器用にも名前が彫られており、さすがに己の墓石の前では形容しがたい気持ちに犯された。左からゾーン、アンチノミー、パラドックス、そして最後にはアポリアの順で並べられたそれらはただの冷たい石でしかないにも関わらず目には見えない重たい何かが鎮座していた。
「アンチノミーの分は後で撤収しなきゃな」
「え? 別にいいよ、このままで」
「だがお前は生きてたじゃないか。矛盾が生じてしまう」
「うん、君の言う通りボクは生きてる。だけどボクはアンチノミーであってアンチノミーではない、遊星達と過ごしてきたブルーノなんだ。本物のアンチノミーはとっくに天国だよ。矛盾なんてものは何処にもない」
 遠い、遠い未来で過去のボクよ。どうか安らかに。
 慈しみの眼差しを贈り再度拝んだブルーノは墓石を撫でた。

「さてと、」
 徐に膝をついて立ち上がり周囲を見渡す。近くで見つかったそれぞれ疎らな大きさをした石を三つ拾い上げて服の裾で泥汚れをとった。
「彼らの分」
 両掌に乗せたそれを遊星に見せびらかしブルーノは笑う。こんなのじゃ怒られちゃうだろうけど、と言いながらもアポリアの前に並べて満足そうな表情をしていた。名前なんて掘らなくても見ただけで判るように大中小と揃えられてるところが微笑ましい。束になってた花のうち数本だけ抜き取ってまた新しく出来た墓前に飾る。遊星は何も手助けできずに黙って見守っていた。
「遊星はまだ嫌い?」
 主語がなくとも分かるその問いに首を横に振れば嬉しそうに、そっか、と呟かれる。こんなとき、どう話しかければいいのだろう。そんな優しい遊星の困ってる心の声が伝わってきたような気がしてブルーノの喉がくすりと鳴った。
「そういえばボクとプラシドって恋人だったんだ」
「………意外だな」
「ふふふ、そりゃあもうそんじょそこらのバカップルに負けないぐらい熱々なベストカップルだったよ。周りも見えないぐらい突っ走っててそれで……ごめん、遊星達のこと裏切ってたよね。知ってて付き合ってた」
 最初の威勢のよさはどこか、後に行くにつれて細々としていく声に情けなさを感じながら恋人だった奴に見立てた石を指先で弾く。爪がちょっと痛い。
「当時に知ったなら怒っていただろうが今となってはそうだったのかとしか言えないな」
「…熱々っていうのも嘘。どっちも素直になれないまま終わっちゃった」
「それについては想像がつくさ」
「やっぱり?」
 ああ、何事も冷静に受け止めてくれることがいつもなら安心できた筈なのに辛いと感じ取る時が来るなんて思わなかった。いっそ怒鳴ってくれたなら楽なのに。涙は出てきやしないからこの濁った感情は一向に身体から出ていこうとはしない。
「ブルーノ」
 肩に手を乗せると遊星は視線だけでそろそろと訴えた。気づけば朝日も昇りここに来てから大分時間が経っていたらしい。

 皆が起きて心配する前に帰ろう。もやもやだってクロウ達と話をしていれば楽しさでその内消えるだろうから。
「そうだね…、帰ろう遊星」
 ばいばい。傍にいられた頃には伝えられなかった別れの言葉を告げて名残惜しげに緩やかに踵を翻した。見たこともないのにあの真っ白な雪が恋しい。





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