4日目
昨日宣言された通り、葵ちゃんは荷物を纏めだした。俺は引き留めるなんて野暮なことはしない。それどころか清々する。なのにどうしてか残るモヤモヤがとてつもなく厄介だ。
今日は土曜日。明日も休日だし、何かをするには打ってつけだった。
「本気で出てくんだ」
忙しそうな背中に語りかければ静かに頷かれたのが見えた。制服もノートもみんなぎゅうぎゅう鞄に詰め込まれて悲鳴をあげている。来たときよりも明らかに増えた荷物はこの家で過ごしてきた証だ。彼女の私物が無くなった部屋や洗面所を見れば寂しさは一目瞭然で男だけの物が残る。
「ありがとね、狩屋」
「こっちこそご飯とか洗濯とかしてくれたし……ありがと」
この生活にさよならだと思ったらすんなり口から礼の言葉が出てきた。ぽかんとして、それからやんわり微笑するその表情は嬉しそうだった。
俺はこれでいいのだろうか。
天馬くんの所へ行くと言われてからずっと考えてた。疲れている夜も眠れないほどに。無理矢理押し付けられたんだし彼女が俺に負い目を感じて出ていこうが良心が痛む必要はないけど、引き受けた件については最後まで責任を取るのが男じゃないのか。わからない。そうこう考えてるうちに着々と別れの時間が近づいてきて一秒刻むごとに何故か俺の中には焦りが積もる。葵ちゃんが何を思って荷物を詰めてるのか怖くてもう顔も見れない。
「じゃあ…行くね」
「……ん」
でも悔しいことに掛けられた声は少しだけ明るいもので俺はいらっとした。そっちだって本当はこんな生活から抜け出せて清々したんじゃないのか。頭の中でリピートするその高めのトーンが恨めしくて仕方ない。…いや、どうしてそんなことを思ってるんだ。悔しい?恨めしくて?ああ、馬鹿馬鹿しい。今は最高の気分で送り出せるはずだろ。なら、なんで。
鍵が開けられた音がして弾かれるように俯いてた顔を玄関へ向けた。くるりとスカートを翻して笑顔でお辞儀をした葵ちゃんに掛けれる言葉なんてない。奥に引っ掛かったまま出てこないんだ。せめてさよならぐらい言ってやろうとしてたのに。思わず喉元を擦った。
陽の光の中に消えていく姿は眩しく、そして俺の中に新しく生まれたのは寂しさだ。それを理解する前に行動する方が早く、彼女の裾を掴む行為を無意識でやってのける。大きな目がもっと大きくなって驚かれてるってのは分かったけど誰よりも俺が一番驚いていた。そこから何を言い出せばいいのか。真っ白に塗り潰された頭では上手く浮かび上がらない。
「狩屋?」
ほら、葵ちゃんが困ってんじゃん。早く離してあげないと。そう思うのに力は増す一方で自分自身やるせないんだよ。どうしてか今になって重なる彼女と昔に見たっきりの母さんの影。
「わけ分かんないんだよ」
そうだ、正にこの言葉がこの場にぴったりと当てはまった。俺と葵ちゃんとの仲にもすんなり。
「一週間世話になるんじゃなかったのかよ。家事やってくれるって言ったのに、嘘つきだね葵ちゃんは。天馬くんには気を遣って俺には散々勝手にしてくれちゃってさ。だから、今更さ、なに。急に気にするなんて嬉しいどころか気分悪い」
一旦吐き出せば意外と出てくるもんだなぁと俺は休まず口を動かす。聞いてた方は凄く泣きそうなのに止まることを知らないかのように次々と気持ちが生まれるんだ。それもこれも全部、君のせい。自業自得ってやつだから。けどそんな顔して貰いたくて言ってるわけでもないし。掴んでた指を離して彼女と向き合ってみると些か緊張の糸が張る。ごくりと唾をのみ込み、荷物ごと葵ちゃんの身体を家の中に戻してドアを閉めた。今度は自分の行動に驚かない。もう気付いてしまったんだ。
「最後まで俺にそのお節介焼いてみてよ」
それは回りくどい言い方だったかもしれないけどこれで伝わらないほど君は鈍感じゃないって知ってるし。だって、その証拠にしゃがみ込んで嗚咽を洩らしだす彼女と俺の手は繋がれていた。