屋上というのは嘗て王位継承をした時を沸騰させる場所である。身下ろせば人は豆粒の様だし、聞こえる騒ぎの遠さもよく似ている。嫌いではないが、好きでもない。しかし日頃札付きの不良、神代凌牙が屯っている事もあってか人が寄り付かない利点があった。これを利用しない手はないと放課後遊馬を呼び出し、今頃ナンバーズクラブを巻いているであろう間、ベクターは心の整理をしていた。
 真月零としての気持ちは、一晩明かそうとも片が付かず。ベクターの気持ちとの反発は大きい。放って置いて欲しいのと、並んでいたいと思うこの矛盾は大変頭が痛いもので、それでも真月零はベクターの本音である事には間違いはなかった。だからはっきりさせるべく、気づかせた本人を見て確かめようと行動に移したのだが、柄にもなく対峙するのが恐ろしいと感じてしまう。いや、近頃よく対人しては恐怖してしまう事が多い気もするが、あろうことかあの九十九遊馬相手にだ。ベクターにとっては屈辱であり。また、言ってしまえば彼はベクターが人間になって初めてぶち当たった大きな壁だ。嫌だと言い続けてここで逃げ惑っていたらこの先ナッシュの事も馬鹿にできなくなる。身の毛がよだつ正義の王が乗り越えたものを避けて通るだなんて負けを認めたも同然。それだけは絶対にプライドが許さなかった。

「お、お待たせ…」
 ギィ、と所々錆びている重い扉をゆっくりと開き少しだけ顔を出した遊馬はどこか疲れ切っていた。聞くまでもなく騙すのが下手な彼は友人らにベクターと会う事がばれてしまったのだろう。修羅場と化したその場を宥めるために緑の少女も一助けしたのだろうが、その怒りを鎮める迄に苦労を強いられただろう事は一目で分かった。
「おせーよ」
 もっと上手くやり過ごせと隠語も含めて告げると乾いた笑みだけが返ってくる。これだけだと普通に待ち合わせをしているだけの様なのに、今からする話は、きっと自分達の未来を左右してしまうぐらい重いものだ。バタンと閉められた扉はこれ以上逃げるのを許さないという意思表示のようにも思えた。
「待たせたなら悪かったって。遅刻のペナルティのトイレ掃除してたら、な」
 その言い分は鼻で笑うしかなかった。やはり遊馬は嘘が下手だ。視線は泳ぐわ忙しなく手は動かすわその姿は挙動不審である。大方会うのを食い止められそうになったとなれば、そんな腫れ物扱いにベクターが傷つくとでも考えたか。全くもって見当違いな。メラグの罰則がこんなにも早く済むはずがないと知られてる時点でアウトだというのに、この男はどこ迄も間抜けだ。
「自業自得じゃねーか」
 放ったのは嘘に乗ったとも取れる言葉だが、実際はベクター自身に向けての言葉でしかない。言い訳に夢中な遊馬は意図には気づかずそうだよな、と呑気に苦笑を溢していた。

 ところで、彼を馬鹿だ馬鹿だと蔑み続けてきたが、それは頭の出来であって空気が読めないような馬鹿ではないのだ。溜息一つ吐いたベクターの纏う空気が変われば、遊馬も先程とは打って変わりきゅっと表情を引き締めた。こういう切り替えが早いと余計な疲れを感じなくて済むので助かる。
「俺から近づくなと言っときながら呼び出したのは他でもねえ、テメェのガールフレンドのせいだってのは脳にあるよな?」
「や、俺と小鳥は別にそんなんじゃ」
「うるせえ! 否定されると逆に怪しいわ! あと俺が聞きてえのはそこじゃねえよ!!」
「いてっ」
 やっぱりさっきの賞賛は撤回しよう。脛を軽く蹴られた遊馬の尖った唇に、けっと顔を背け腕を組む。超のつく鈍感にしたってそろそろ恋心を自覚してもいい頃だろうに、関係のない事でやきもきさせるのは止めてくれないだろうか。当人らの問題だけならばとにかく、周囲を影響させる恋路は途轍もなく厄介だ。
 話は戻り、ようやっと休日を丸ごと捧げるハメとなった元凶に思い当たる節がごまんとある遊馬があー、と憐れみを含んだ目でベクターを見つめた。その日に何が起きたのか把握済みの遊馬からのその視線は額に青筋が浮かぶぐらいうざったらしく、だが、それは今回目を瞑っておく。先に進まないのでは意味がないと荒波を立てる心を宥めつつ、心頭滅却と呟いた。
「……で、だ。ムカつく事にまんまと嵌められた俺は渋々メラグに連れられたわけだが」
 いったんここで苦々しく切る。元とはいえ一国の皇がそれも敵対してた国の巫女の荷物持ちにされるとは、非常に情けな過ぎて溜息が生まれた。それはともかくとして。
「ひっじょーに許せねえ事が起きたわけよ。…責任、とってくれますか? ねっ、遊馬君」
「は、えっ!?」
 にっこりと弧を描いたと思えば次の瞬間、ベクターは真月零として遊馬の名を呼び見事混乱を招くことに成功した。これも作戦だとは知らずにD・ゲイザーをセットすれば素直に真似て遊馬もセットする。多分デュエリストとしての本能で思わずといった動作だろうが、あまりの操りやすさに征服感さえこみ上げて来た。心理戦はこっちのもんだ。デュエルディスクにデッキをセットする前にぱらぱらと中身を確認して、久しぶりに戦ってやれる事に自然と口角が上がる。自動でシャッフルされるデッキに高揚さえしてきた。胸が、焼けるように熱い。遊馬の方に目を向けてみると動揺もしているが、彼も同じく燃えているのだとわくわくが止まらない表情で最初の五枚をドローしている。
「デュエルをすればどんな相手でも分かり合える、でしたっけ。だけど僕は相手よりも自分の事が分からない。だから遊馬君。僕達に、本当の気持ちを気づかせてくれますか?」
「もちろんだ! 俺も俺が分からねえ…。けど、いつもそれを乗り越えられたのはデュエルがあったからだ! お前が今悩んでるなら悩みごとデュエルにぶつけりゃいい! 久々のデュエル、楽しもうぜ!」

「デュエル!!」



 屋上の様子が見える教室には二つの影があった。それぞれD・ゲイザーを付け、ベクターと遊馬のデュエルの行く末を見守っている。両者とも負けず劣らずの勝負をしているが、なによりも表情が輝いてた。ここ暫くはずっと暗い顔をしていたので、あそこまで明るい顔を見たのは本当に久々だ。
「ふふ、やってますわね。話し合いではなくデュエルで語るというのがらしいと言うべきか」
「特に遊馬に頭を使わせるのは向いてないので、これが正解なのかもしれませんね」
 璃緒の言葉を肯定しながら笑った小鳥は慈しむように目を細める。小難しい話は女性の方が向いているし、男同士なら拳で語り合えというところだろうか。ナンバーズを賭けない純粋なデュエルで彼らは何を掴み取るのか。デュエルを眺めていた璃緒はくすりと微笑み、窓辺に手を置きながらそっと瞼を綴じた。
「あんなに楽しそうにして……私達の方が過ごした時間は長かったはずなのに、なんだか悔しい気もしますわ」
「璃緒さん…」
 悔しい、と言っておきながら彼女もどこか晴れ晴れとした様子でD・ゲイザーを外し、教室から踵を返す。慌てて後ろ姿を着けた小鳥ももう、彼らのデュエルの結末は気にならなかった。
「ねえ小鳥さん? 女の子同士なら、たまにはぶらりと息抜きするのも悪くはないとお思いにはなりませんか?」
 髪をかき上げ尋ねられた言葉は小鳥の放課後を奪うに等しかったけれど、それで不快になったりはしない。そうなるどころか、奇遇にも小鳥も同じような言葉を掛けようとしていたのだ。ならば返事は勿論。
「いいですね。璃緒さんの話、いつかいっぱい聞いてみたいと思ってたんです!」
「本当ですか? なんだか今日は有意義な日になりそうですわね」
 照れたようにはにかんだ璃緒とそれに頷く小鳥を、傾き出した陽が明るげな色に染めていた。



 心臓がどくどくと、耳障りなほど激しく鳴る。
「うわああああっ!」
「よしっ、続けてダイレクトアタック!」
 手汗が滲んで、カードがぺたぺたとした。
「まだだ…! ダイレクトアタック宣言時、罠を発動します!」
「なに!?」
 吹っ飛んだ時の痛みも賭けをする時の緊張感も、全部が面白い。アストラルとではなく遊馬だけのデッキとなっても主軸のモンスターは変わりないし、次はどう動くか場面場面知恵を振り絞り、気持ち良く作戦が決まった時は最高に楽しかった。
「反撃させて頂きますよ!」
「くっそー…! やっぱお前とのデュエルは油断ならねえ! いいぜ、来いよ!」
 カードをドローする度に応えてくれる事がどうしようもなく嬉しくて、にやにやしだしそうな口元を隠すために少しだけ俯いて今ある限りの手札で考えていた。胸が、熱い。



 まだ続けていたいと願いながらしたデュエルは、呆気なく勝敗を別けた。勝者は九十九遊馬だとブザーが告げたがベクターには敗けた悔しさよりもふわふわと宙に浮いているような軽さが印象的だった。肩の荷が下りたようにどこかすっきりとした表情で倒れっぱなしだった身体を起こし、D・ゲイザーやらをしまう。嬉しそうな遊馬がこちらに駆けてきた。
「大丈夫か? デュエル、してくれてサンキューな……ベクター」
「…さっきもだが、真月とは呼ばないんだな」
 遊馬はそれに曖昧に笑って誤魔化すだけで理由を話さない。あの休日に小鳥に何か吹き込まれたのだろうか。あれ程嫌がっていた真月という呼び方だが、急に止められてしまうとそれはそれで勝手過ぎやしないかと思う。ああでも、何か裏がありそうだ。彼からボロを出すまでこの話題は止めておこう。
「なあ」
 優しさを孕んだ真紅が細まる。未だ冷めぬ興奮からか上気した頬のまま、遊馬は手を差し伸べて握手を求める形をとった。
「俺と友達にならないか」
「は…」
 あんなに親友と宣っていたくせに。珍しくも大口を開け、固まって動けなくなったベクターは求めてくる手と真っ直ぐ見据えつつも緊張しているのが見破りやすい表情を交互に見つめる。
「真月とはお前がどう思ってたかは別として、友達だったろ? けどベクターとは敵…とは言いたくないけど、倒さなきゃいけない奴だったし。だから」
 すぅ、と遊馬の肩が上がり腹が膨らむ。ベクターの呼吸もそれと同じく荒くなっていくのは自覚していた。この手を取るべきか、否か。
「俺と、友達になろう、ベクター」
 そう、遊馬は先程と似たような言葉を吐いた。真一文字に結ばれた唇と、鼻頭に滲んだ汗の玉。全然似合っていない面構えを眺めていたらなんだか可笑しくなってきたベクターは気付けば噴き出していて、緊張感はどこに行ったのやら次第に呑まれかけていた雰囲気もそれによって戻ってきた気がした。真剣だった遊馬はどうしてこの場面でと随分不服そうに眉を逆八の字にさせていたけれど、手は最後まで下ろさなかった。
「フフ、ヒヒッ…! 少しはマシになったかと思えば、ハハハ…! 甘ちゃんは腐っても甘ちゃんってかァ? …あーくそ、反吐が出る」
「んなっ…!? ひ、人がせっかく頑張って考えたのに、そんな言い方しなくてもいいだろ!」
「せっかくも何も、俺は友達になって欲しいです〜とか頼んだ覚えはねえしぃ?」
 けらけら笑われるのが不快なのか遊馬の眉間には更に皺が刻まれていく。いい顔だ、と一層笑みが深まった。乾いた唇を舐め、他人の嫌がるところを見て生きた心地をしばらくぶりに感じるとは、我ながら呪われているなとぞわりと背筋が、相手に気づかれない程度に悦びで震える。そうやってからかってるうちに下ろしかけた彼の手を追っては握り、引っ張り寄せる。うわっ、と驚愕の声が上がった。
「何、勝手に引っ込めようとしてんだよ」
 つい一秒前までの表情を綺麗に消したベクターに遊馬のこめかみから冷や汗が流れたのを見逃さない。力んだ指が皮膚に食い込むと、血色の良かった肌は黄土色に変色していく。それでも握手は離さなかった。

「諦めるのか? おい、遊馬。てめえはこの程度で諦めちまう奴だったのかよ」
「ベ、ベクター…?」
 痛みに眉をぎゅっと詰めていた遊馬も、矛盾に気がつくと無意識なのだろうがベクターの危うから目を逸らさず、手を力強く握り返してきた。それがなんだか取り込まれる直前に酷使していて、二人揃ってお世辞にも良い顔をしていたとは言えなかった。あの時先に離したのはベクターの方だ。神も、ナンバーズも、もう無いというのに植え付けられたトラウマだけが変わらずここに残っている。
 だからそれを克服するために。ごくりと唾で渇いた喉を潤す。これから、“ベクター”にとって絶対に認めたくなかった事を、云おう。
「反吐が出るってのは、九十九遊馬の言葉に嫌気が刺すどころか歓喜を感じた俺自身に向けての言葉なんだよ」
 そう言った自分は現在、どんな顔をしているのだろうか。遊馬の唇が何かを訴えようと形作りだしたのを見計らい、首を緩く横に振った。今名前を呼ばれるだけでも考えて考えて、組み立てているものが崩れ落ちてしまいそうで、溜まった想いを吐き出すことに専念しなければ訳のわからない事を紡いでしまいそうだ。遊馬も察してくれたのか聞くことだけに集中しだし、ベクターの口元が少しだけ緩んだ。
「存外、真月零として生きた期間は短いが薄くはなかった。…ってな。この気持ちを受け入れるにゃまだ時間は要るが、統一する日はそう遠くねえ筈だぜ」
 デュエルを通じてようやっと素直になれた心に偽りはない。心臓がある箇所に手を当てながらどこか泣きそうで、嬉しそうな彼を見据える。その反応はこの選択が正解であると答えを教えられたようなものだった。
「真月零は確かに存在したんだよ」
 ベクターの口より肯定された意味はとてもとても大きく。ずっと独りで信じてきた遊馬が堰き止めてきた涙が、目からボロボロと零れ落ちた。抱きすくめられた肩と腰に震えが伝わる。

 待たせた、ベクターは目蓋を下ろしながら云う。力の抜けた微笑みを浮かべては遊馬の温もりを求めた。あの日離してしまった手よりもずっと温かい体温が、現を生きているのだと訴えてきた。ただ一箇所だけ、遊馬の涙に濡れて冷たかったけども、それもまた一興だろう。
「遊馬に話したいことが沢山できたんだ。小鳥にも、…凌牙や璃緒にも、数え切れないくらいの話」
「ああ…! ああ…っ! 俺も真月とっ、たく、っさ…!!」
「ばか、おま絞まってる」
 感極まった遊馬が匙加減を間違えベクターの身体を思いっきりきつく腕の中へ閉じ込めてしまったが、彼はひたすら笑うだけで殆ど緩めることなく白い歯を輝かせていた。
「真月」
「ん?」
「生まれ変わってきてくれてありがとう!」
 どしゃ。勢いのまま体重をかけてきた遊馬のせいにより、二人は夕焼けに照りつけられたコンクリートに打ち付けられる。いってぇよ! と怒鳴れても笑い続ける遊馬を見て風船が萎むようにしゅるしゅると毒気を抜かれてしまったベクターはほんの僅かだけ、釣られて噴き出した。


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