ゲスト用に準備されたこじんまりとした楽屋に大人が四人、子供が二人と大人数で入っているせいか息苦しく感じる。ベクターとしてはなるべく端の方へ居たいのだが、しっかりと握られたジャケットの裾がそれを許してくれない。皺になったらどうしてくれようとWとの会話に花咲せるメラグを恨めしそうな視線で見つめても彼女は涼しげに受け流すのだった。
「一ターンで上級モンスターを三体も揃えるなんて、さすが凌牙を追い詰めただけのことはありますわ」
「ありがとうございます。最後の相手は手強く苦戦を強いられましたが、いやぁ、運良く手札と墓地が揃ってくれましてね」
「運も実力のうちと言うじゃありませんか。Wさんはもっとご自分に自信をお持ちになって」
「ですが、それもこれも貴女という勝利の女神がお陰ですよ」
「まあ、口がお上手ですこと」
薄っぺらい笑みを双方貼り付けたまま思ってもいない事をつらつらと言い並べる二人に隠れてうげえ、と舌を出した。メラグは兎も角、Wは嘘しか吐いていないだろう。何せ運良くとは言うが手札を常に三枚以上は持て余していたし、ネクロ・ドールなどしっかり狙って墓地へ落としていたのだから。
おほほほ、はははは、と笑い続ける二人はやがて同時に咳払いをすると他のプロデュエリスト三人へターゲットを変える。羽原夫婦と片桐大介だ。三人も各々仲良さげに話していたが稀に刺さってくるそのうちの一名からの視線が痛く、ベクターはメラグの後ろへなるべく相手から見えないようにして立っていた。
「皆さんには紹介がまだでしたね。彼女は僕の良き好敵手、神代凌牙君の妹、」
「神代璃緒と申します。Wさんに招かれたとはいえ部外者がこのような場に来てしまったこと、大変恐れ入ります」
メラグに手を向けながらWの側で一切隙のない上品な動きでお辞儀をする姿はまさに良家のお嬢様といったところか。前世が王女であり巫女でもあった過去を持つ事を嫌でも知るベクターにはごく自然に映っていたが、それでも他三人にはまだ社会の一端も分からなそうな子供がここまで丁寧な態度を取れる事に驚嘆したらしい。瞬きを何度もして子供相手に腰を折っていた。彼女が実は何千もの年を食ってきたババアだと言ってやりたかったけれど、話を信じてくれないは愚かメラグからの容赦のない雷が落ちてくるのだろう。WはWでどこか呆れているようだった。
「こちらは……貴方男の子でしょう、女性を盾にして情けないとは思わないの? ほら、出てきなさい」
「わ、わかったから押すなよ…!」
強引に前に出されてしまい隠れ場を失ったベクターの目は泳ぐ。真っ当な自己紹介など慣れていないのだから、らしくもなく緊張してしまっていた。だからだろうか。
「し…真月零と申します! よかれと思って璃緒さんのお買い物に着いて来たらこんなに有名な方達に会えるなんて、僕感激しました!」
きゃぴーと効果音が付きそうなぐらいあざとく頬染め上目遣いをしてからしまった、と我に返った。もちろんのこと表面上には出さないつもりでいたが表情筋が引きつるのを感じた。
よりにもよって真月零で名乗り出てしまうとは痛恨のミス。それもこれもここにいる人間の半数以上が猫被りであったのと、遊馬とあんな喧嘩をしてしまったせいだと他人のせいにする。ベクターの本性を知るWにメラグ、それから片桐からの残念そうな空気が傷を抉ってきた。
「あらあら、最近の子は礼儀正しいのね。私達の赤ちゃんもこんな風に育ってくれると良いのだけど。ね? ダーリン」
「そうだねハニー、俺たちの手で必ず立派に育てあげよう」
傍らでは肩を寄り添い、熱い視線を交わす夫婦。カオスですわね、と小声で呟いたメラグに珍しく同意する。ここのところずっと本性を曝け出していたから、そろそろ真月零の笑顔を保つのが精神的に辛い。
「それはそうと、神代さんとW君の関係はわかったとして。神代さんと零はどういう関係なんだい?」
「関係…と言いますと?」
厄介な質問を仕掛けてた片桐へメラグは片頬を触りながらさらに質問で返す。言葉に引っかかりを覚えたのか彼女の眉尻がぴく、と跳ねた。
「片桐君ってば、それは野暮ってものじゃない。子供とはいえ男と女が二人きりで買い物に来る関係なんて一つしかないわよ」
やあねー、と手首を折りながら海美が横入りをする。ここへ来る前の、とても、よからぬ、予感が、再来して。
「恋人同士に決まってるわ」
「はあ!?」
「まあ…」
「うわぁ」
「………なんだって…?」
とんでもない爆弾発言には順にW、メラグ、ベクター、片桐と。驚きと引きに半々で分かれた。演技の仮面が剥がれやすいWは思いきり素で声を上げてしまったし、片桐に至っては固まっている。その関係で結論づく前に姉弟という選択肢はなかったのかと言いたいところであるが、二人はどこをどうみてもそうには見えなかったろうからある意味正しい答えだ。しかし。
「海美プロ、それは違いますわ。私にはまだ自分と兄の事で手一杯ですの。彼と恋人だなんて、到底ありえませんわ」
「僕も璃緒さんとは、よかれと思ってもきつ……あ、いえ。釣り合わないでしょうから」
これまた意見が合ったらしく二人で強く否定した。
あからさまに警戒心を寄せるWに目配せ、ベクターは鼻で笑い飛ばす。彼は初めてできた友人の妹であり、過去に全身に大火傷を負わせ入院させてしまったメラグには友が居ない時は代わりに自分が守らねばという義務感でも湧いたのか何かと世話を焼いていて、そんな彼女にベクターのような悪い虫がつきでもしたら嫌なのだろう。面白そうだしからかってやってもいいが、片桐が居る前でするのは自殺行為であるので大人しく引き下がっておこう。
「どうやら早とちりをしてたようだな」
「そうみたい。私とダーリンのような幸せなカップルが増えて欲しいと思ってたせいかしら?」
「海美…!」
「飛夫さん…」
「ちょっとそこのお二人さん、子供の前でいちゃつくのは止めてくれよ」
羽原夫婦が熱視線を交わらせたところで片桐の相変わらずだねと苦い声が乱入した。振り回されっ放しで疲れてきたベクターがナイスと思っていた隣では、メラグが口に手をあて大人の恋愛にどきどきしていたようにも見えなくはない。どうでもいいが、父上と母上がこんなバカップルじゃなくて良かった。
「だけど未来の事なんて誰もわからないものなのよ。二人が今どんなに否定したって明日になってみなければ、ね。もしかしたら何か切っ掛けが出来て好きになれるかもしれない、すれ違って喧嘩をするかもしれない。偶然に偶然が重なって起きることなんて、この世界には沢山あるのよ?」
会話の締めに海美が云った言葉が妙に心に残る。メラグを下世話な目で見る事はないとして、未来の事など誰にもわからないというのは深く頷けた。
バリアンであったベクターに人間界で人間になって暮らしてますなんて言っても信じはしないだろうし、現状は奇跡にすら値する。ここまで導いてきた九十九一馬さえこの先の事など予測するのはもう難しいだろう。何か大きな事件が動かない限りは、だが。
自分がずっと彼の手のひらの上で転がされていたムカつきと比べれば、この間の遊馬との喧嘩なんぞ子供の取っ組み合い程度のものなのかもしれない。そうと気づいた今なら認められる。あれはただの嫉妬からくる、我儘だったのだと。
九十九遊馬が真月零を求めるのは当たり前。何故なら、親友だったから。仲間を重んじる遊馬なら尚のこと。
ベクターが九十九遊馬を遠ざけるようにし向いたのは逃げる為だった。何故なら、彼はベクターを通して真月零を見ていたから。そのまま真月零が定着しベクターという存在が消えてしまうのではと恐ろしくなって、彼の中でまだ自分で在れるうちに、所謂防衛線を張ったのだ。
ここで視点を変えてみよう。これはメラグが取った方法だ。
心理戦を得意とするベクターにとっては手に取るように簡単な行為であり、されど真剣には向き合わなかった方法。
遊馬の負った傷は想像以上に深く、まだ癒えていない。そんな中で信じてきたものを本人から真っ向否定されたりなどしたらそのショックの大きさは計り知れないだろう。それでもめげずに遊馬は信じると言い切った。見栄の張った、とても大馬鹿らしい答えだと思う。
小鳥の時と違い彼の言葉が心に響かなかったのは、多分そう。遊馬には真月零だけが大事なんだというベクターの先入観も手助けしていたからだろう。そんな選択、脳内お花畑の奴に出来るわけがないと分かっていながら無意識のうちに植え付けてしまっていた。彼の中ではどちらかと言えば真月零の方が大切で、ベクターもそのちょっと後ろぐらいに居るぐらいの差異だ。何しろ別れ方が真月零の方が濃い。ドン・サウザンドに吸収された最期もベクターというよりも綺麗な方であったし、記憶はどんどん偏っていく。はじめましてよりはさようならの方が印象的になるのがごく一般的な事らしいのだから。
とどのつまり、九十九遊馬は騙しがいが生まれるほど分かり易く、腹が立つほど分かり難かった。幼馴染さえ辿り着けていない、ベクターがやっとの思いで出した答えがそれだ。遊馬自身もアストラルとその他以外で優先順位が出来ていたとは夢にも思わなかったろう。これは想像以上にややこしい事態である。
メラグが通話していた時の口ぶりからするに、小鳥と遊馬は一緒に行動しているはずだ。そちらの方でも上手くやって貰わねばベクター共々真月零という亡霊に取り憑かれたままになってしまう。
こちらは腹を括る覚悟は出来た。負けるのはもう、くそくらえだ。
「…零ってば!」
「んあ?」
決意を固めていたベクターの肩を揺すぶったのはメラグだった。眉尻を下げた彼女の手が額を触れる。
「いくら私達では馴染んでないからと言って、何度名前を呼びかけても反応しないなんて貴方らしくもない…。熱でもあるのかしら」
ひやりと冷たい掌に、思わず背筋が伸びた。周囲からも、あのWすら心配の色が窺え、居た堪れなくなる。つい考える事に夢中になり過ぎてしまったようだ。
「平気です、ちょっと考え事をしていただけですから」
「…そう。貴方は昔から頭を使う事がずば抜けて得意だったし、集中してしまえば周りが見えなくなるタイプなのかもしれないわね。それで? いい案は浮かんだの?」
「はい。璃緒さんと、…海美プロのお陰で」
「え、私?」
何をしたのかイマイチ理解出来ていない海美ににこりと微笑んで、メラグの手を下へ降ろす。同じく口元を緩めていた彼女から察するに、メラグは何のことだか見透かしているのだろう。素であったなら照れくさくて堪らなかったろうから真月零を名乗っていて良かった、と矛盾した事を思う。
そういえば真月零からの視点を考えると、またどう変わるのだろう。逃げていた事を自覚したら楽になって余裕が出てきたのか、ベクターは顎に指を置く。一番初めに視界に入った彼女の事は、きっと。
「…『僕』は、メラグが大好きです」
「……零?」
前触れもなく雰囲気が変わり出したベクターにメラグは訝しんで目を見張る。
「ナッシュも、怖いし偉そうだけど『僕』は好き…なんだと思います」
ここで、メラグもWも息を呑んだ。構わずベクターは言葉を並べる。
「ミザエルもからかいがいがあって面白くて好き。ドルべは真面目なのにドジなところが共感できて好きです。アリトとギラグは元気が貰えるので好きです」
「おい…お前どうしたんだよ、何言って…」
「あ、チビッコパパと三馬鹿息子も愉快で好きですよ」
「てめえ」
口を挟んできたWを茶化しながら笑った。
真月零の周りは大好きなもので溢れている。世界が輝いていた。こんなにも素晴らしい場所が他にあるだろうか。
(そうだ、『僕』は)
「…消えたくない」
真月のビー玉のような紫からぽろぽろと涙が零れた。ぎょっとしてしきりに「どうしたの」と狼狽えるメラグも、演技ではあるまいかと半信半疑で覗き込んでくるWも、全てがぼやけていた。
ベクターだって驚いているのに。意思に反して止まない涙は順調に床に水たまりを作る。
不意に頭上に被さった影の正体を見上げてくしゃりと表情を崩した。
「大介さん」
彼はこの場で最も冷静な人物だろう。片桐はメラグにも大丈夫、と声を掛けWに預けた。
「『僕』はどうしたらいいんでしょう」
抱きとめられた胸板は広い。真月は身を任せ、問いかける。
遊馬とベクターのこれからの為には真月零は必要でない。でも、消えたくないなんて、一番たちが悪いのは信じることを止めない遊馬でも逃げてきたベクターでもなく、真月なのかもしれない。役者になりきれ過ぎるのも問題があるのだと悟った。
ぐりぐりと頭を押し付ける。
「零がどうしようと君の決めたことなら、それが正解になるんじゃないかな」
「投げやりですね…」
「そんな事はないさ。前に物足りないとか言っちゃったけど、零が零であれば俺は結局委してしまうだろうし。悩んで悩んで、悩み抜いた末に掴み取った答えは間違いにはならないと思ったからだよ」
「…大介さんらしいと言えばらしいですけど」
ふふ、と息を吐くように笑む。ヒントを与えるわけでもなく自分で考え取れという指導ぶりが実にそうだ。
犬を撫でるようにわしゃわしゃと髪を乱してくる片桐は好きにさせておくとして。目先の問題、特にどうしてか少し悔しがっているメラグからあーだこーだ言われないか不安がった真月は目つきを鋭くさせた。ただし警部モードに入っても事態は何も変わらないと分かると八つ当たりで片桐に擦り付ける頭の力を強めたという。