この日も例によって遊馬は寝坊していた。大慌てで着替えて机に置いておいた皇の鍵を首からぶら下げる。待ち合わせまであと二十分もない。デッキも腰に掛けてドタバタと階段を降りればスクープを纏めていた明里からご飯について言われていたが、遅刻間際の遊馬はそれどころではなかった。
「いってきまーす!」
「ちょっと、遊馬! せめてこれぐらい持って行きなさい!」
「サンキュー姉ちゃん!」
 これと言って投げられたのは遊馬の大好物であるデュエル飯だ。予め今日の予定を伝えておいたから遊馬が寝坊してご飯を食べない事も予測していたのだろう。これなら外掃除をしている、遊馬の祖母に当たる春にも怒られなくて済む。行儀が悪いのは百も承知で走りながら口いっぱいにデュエル飯を頬張った。



 遊馬が息を切らしながら着いたのは広場の隅の方に置かれているベンチだ。幾ら体力には自信があっても自宅から此処までは遠く、深呼吸をして伝う汗を拭った。
「悪りぃ、待った?」
 そう呼び掛けた先には白いシースルーとその上から茶色の細いベルト、それから薄い水色のショートパンツを着た小鳥が腰掛けている。気づいた小鳥が遊馬と時計を見比べれば鈴のように喉を鳴らして席を立った。
「遊馬にしては上出来よ。待ち合わせの五分前! やればできるじゃない」
「へへ、だろぉ?」
「いつもこうだと良いのに」
 寝坊した事は敢えて伝えず遊馬は得意げに鼻の下をこする。小鳥は幼馴染故そんな事はお見通しであったが、デュエルとは関係のない待ち合わせで遅刻しないだけ及第点だ。
 並んで歩いていると流石休日だけあって彼方此方デュエルをしている人を見かける。その都度遊馬は小鳥が話している途中でも興味をデュエルに移し、ちょっと聞いてるの?と拗ねられてしまう。しかし遊馬が謝れば仕方ないで済ましてしまう事が悪循環を生んでいる事に気づかない二人であった。
「あー! 九十九遊馬だ!」
「おっ?」
 わりと大きな声で名指しされた遊馬は目を輝かせ近寄ってくる少年の為に足を止める。小鳥も何事かと口を閉ざして不思議そうに少年と遊馬を交互に見つめた。
「あのっ、俺、九十九さんのファン、なんです! WDC、見てました!」
 興奮のあまり途切れ途切れで話す少年に合点がいった遊馬はああ、と気の抜けた返事をした。シャークやカイト、Wといった面々のファンならまだしも自分のファンが直接話しかけてくれるとは感動してしまう。お礼を述べたその後デュエルについて少しの間熱く語り、満足した少年は元気良く手を振って去って行った。
「遊馬のファンですって。良かったじゃない」
「まあな。…っと、ごめんな小鳥。つい話込んじまって」
「気にしないで。あの子も嬉しそうだったし、楽しそうな遊馬を見れて私も嬉しかったもの」
 嫣然と笑った小鳥にどきりとした。まただ、遊馬は熱に侵される顔を見られたくなくて小鳥よりも前に出る。この頃の遊馬はどうもおかしく、デュエル中のわくわくした高鳴りとは違う胸の動悸が彼女がふとした仕草をした時が特に耳障りなほど大きく鳴りだす。何かの病気かも、と姉に真面目に相談したら青いわねと笑い飛ばされたのには、真剣な話であっただけに腹が立ったが。そんなやるせなさを抱え歩いているうちに手頃なカフェを発見し、ここでいいだろうと自動ドアを開く。ガラス越しに一瞬映った小鳥が大人っぽく見えて、なんとなくいつもと変わらない格好の自分が恥ずかしく思えた。



 中はやはりと言うか人が多く、空席を探し当てるのにぐるりと徘徊して入り口と窓側から一番遠い隅っこに座ることにした。暗めの席であるがこれからする話の事を考えれば妥当の場所だろう。入ってすぐに頼んでおいたココアをストローで吸い上げながら、気づかないうちに乾いていたらしい喉を潤す。氷がぱきっと割れる音がした。
「で、小鳥が言ってた話したい事って真月の話で間違いないよな? 俺はそのつもりで来たんだけど」
 対する小鳥はキャラメルマキアートの入ったグラスを包みながら肯定した。手が冷たさで色が変化し始めている事を注意すると鈍い返事を返される。離した手は思った通り霜焼けのように指先まで赤い。
「まず、遊馬にはこれだけはわかっていて欲しいの。私は何があっても遊馬の味方でいるつもりだって」
「ああ、わかったよ」
 なんせ遊馬だって同じ心構えなのだから頷く他ない。そんな遊馬に満足したのか固くなっていた表情はちょっとだけほぐれていた。
「うん…ありがとう。私はこれから遊馬が傷つくかもしれない事を言うけど、その言葉覚えておいて」
 ずるくてごめんなさい、と眉を八の字にして自分を蔑み笑った彼女にゆるゆると首を横に振る。
「仲間ってのはそうやってぶつかり合って絆を深めてくもんだろ。小鳥の言うことなら尚更受け止めるぜ、俺」
「…ふふ、遊馬のくせにかっこいい」
「俺のくせにってなんだよ!?」
 せっかく人がいい事を言ったのにと不貞腐れてココアを飲む遊馬を真似て小鳥は自分の飲み物を喉に通す。その顔にはもう、躊躇など浮かんでいなかった。

「さっき遊馬のファンだって子が居たでしょう。楽しい以外でどう思った?」
「どうって…デュエルしてえなーって」
「それだけ?」
「……いや」
 言い淀む遊馬がこの先何を言いたいのか、分かっているような口ぶりである。否、振りじゃない。分かった上で聞いてきているのだとすぐに悟った。ああ、意地の悪いやり方だ。
「…真月に似てるなって、思った」
 だから彼女は先にあんな言葉をかけてきたのか。本音を吐けて清々したというよりも強い後悔が押し寄せてきて、軽く頭を抱える。あの少年の憧れに輝く瞳も、敬語なのも、かつての真月零に重ね合わせてしまっていた。ひどい自己嫌悪が遊馬に容赦なく襲い掛かってくる。
「でもよ、誰かにそう思っちまうぐらい俺にとって真月はかけがえのない存在だったんだ。あいつが居た事で、俺だけがアストラルを守れるってプレッシャー…って言っちゃなんだけどさ、ほんの限られた時間だったとしても少し楽になれてた」
 それがベクターにとってはごっこ遊びの一環でしかない出任せだとしても。
 皇の鍵を握り締めてそれきり口を閉ざした遊馬を見兼ね、小鳥は「質問を変えるわね」と柔らかく告げた。
「遊馬はベクターとどうありたいの?」
「…そんなの、決まってるだろ。真月の時みたいに、俺はあいつと親友になりたい」
 そう、と微笑んでは氷が溶けて始めの頃に比べれば色素の抜けたキャラメルマキアートを小鳥が呷る。一息ついて。
「良いと思うわ。でもね、一つ間違ってる」
「なんだよ…?」
「私があの喧嘩を見て確信した事なんだけど、今一番過去に囚われているのは他でもないベクターなの。慎重は言い換えてしまえば臆病。怖がってるのよ、彼にとっては虚像だったはずの自分に居場所を取られてしまうのが」
 思わぬ台詞に遊馬の目は大きく丸められた。それと同時にあの日の記憶が呼び起こされる。
 真月零がいない現実を見ろ。あれはつまり、そういう意味だったのか。互いに過去ばかりを振り返っていたから言葉の裏側に気づけやしなかった。ベクターはこの事に自分で気がつけているのだろうか。
「ああ、そうか…」
 ぽつりとぼやく。遊馬は還ってきた彼とやり直す事しか考えていなかった。新しい未来を創ろうとするよりも先に、戻ろうとしていた。あいつが怒るわけだよ、とテーブルに項垂れる。
「真剣に向き合いたいなら、まずは真月君と過ごしてきた日々は抜きにして腹を括って話してきちゃいなさいよ。いい? 親友になるのはベクターがちゃんと心の整理をつけるまで待ってあげるのよ」
「わかったよ」
 猫背になりながら見上げ、待つことに慣れない遊馬は一抹の不安を覚えながらも承諾する。

 と、ここで小鳥のDパッドが突然反応しだした。なんだなんだと姿勢を正した遊馬が目を見張っていると待ってましたとばかりに小鳥は素早い動作で映像を開く。
「失礼致します」
 畏まった入り方、それがその通話の始まりだった。その聞き覚えのある凛とした声と映し出された瑠璃色の髪に遊馬の口からぽろりと言葉が零れた。
「いもシャ?」
「その名前で呼ぶなって言ってるでしょ!」
 Dパッド越しで軽減されてるとはいえ、怒った迫力は健在だ。思わず肩を竦め、苦笑していた小鳥に助けを求めて視線を送る。ばかね、と唇だけを動かして璃緒と話し出した彼女にぐうの音も出ない。
「こんにちは、璃緒さん。そっちはどうですか?」
「ええ、捕まえた時には暴れてしまって困っていましたけれど今は大人しく……少しお待ちくださいます? こらそこ! 荷物を地面に降ろさない! 袋が汚れてしまうでしょう! …ごめんなさい。反抗者で中々手に負えない事には変わりありませんわ」
 頬に手をやって、ほぅと息吐く璃緒の向こう側から「ふざけんじゃねえぞこの我儘姫がッ!!!」とこれまたよく聞き覚えのある声で罵声が飛ばされていた。映像からははみ出ていて見えやしないが、細いわりにはタフである彼があんなに疲れきったようにやけくそで叫んでいたのだから、その荷物とやらは相当量があるのだろう。いや、それよりも。
「なんでベクター?」
 捕まえたと言っていたが、普段どこに住んでいるかも分からない彼を休日の中どう確保したのか。その答えは意外なものだった。
「小鳥さんに協力して頂きましたの。理由は私も把握していませんが、ベクターは小鳥さんには心を許しているようでしたので。彼女の名義で呼び出した場所へ私が向かい捕まえましたわ」
「そういう事なんだけど…ベクターにごめんなさいって伝えてくれませんか?」
「お安い御用ですわ」
 女の団結力って怖い。ベクターに同情しつつ遊馬は呼び出された場所に居たのが小鳥で良かったと心より感謝していた。聞きたいことは山ほどあるけれど、とにかく命拾いした事にかいた冷や汗を拭う。
「せっかくですし、もうしばらくの間はお買い物を楽しませて頂きますわね。何か変化があれば随時連絡致します」
「わかりました。すみません、こんな事お願いできるのは璃緒さんぐらいしか周りにいなくて…」
「いいんです。私もいつかは解決しなければいけない問題でしたから。小鳥さん達も引き続き、デートをお楽しみください。それでは」
「り、璃緒さん!?」
 小鳥の叫びも虚しく、璃緒は言い終えるとぶつりと切ってしまった。通話はすべて遊馬にもばっちりと聞こえてしまっていたので気まずい雰囲気が二人の間に流れる。
「……と、取り敢えず出ましょうか」
「お、おう…」
 熱に浮かされた顔を冷やすため、グラスに入っていた残りを一気に飲み干し席を立つ。璃緒はああ言ったが、それならあの二人もデートという事になるのでは。シャークにバレたら大変だよなぁ、と他人事のように思いながら遊馬は赤くなって足早に去ろうとする小鳥の後ろを着いていった。


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