彼に対するこの気持ちを親愛だと称するのなら、ぐるぐると渦巻く鉛のような感情はどう説明しようか。
 果てしない疑問を胸に明日香は灯台を目指していた。潮風が頬を撫でれば髪が風に靡き、きらきらと金色に輝く。海に包まれたこの島は居心地が良かった。されど今はいっこうに気分が優れず明日香に不安を抱かせていた。

 混沌としたお世辞にも綺麗とは到底言えない気持ちに気づいてしまったのは校内での出来事だった。明日香とは違う系統のふわふわしている、正に女の子と言うに相応しいイエローの子が万丈目に手紙を渡している場面に偶然出会した。ただそれだけの事。けれども照れて受け取る彼の姿が脳裏に焼き付いてしまって目蓋を綴じても離れようとしない。
「ばか」
 呟きが波の音によって掻き消されたように記憶も簡単に消してしまえたのならどんなに楽だろう。目的地はまだ先。行く気は消沈し砂浜へと足の向きを変える。無性に悔しくて歩幅は大きく開いていった。
 こんな気持ちは知らない。でも好きではないと本能で悟っていた。ぐちゃぐちゃしてて己が己でいられなくなるような激しい焦燥感。だけど本当に分からない訳でもなかった。何故なら、決闘で自分よりも強い者が現れた時も同じ気持ちになったから。認めたくない一心で拳を握りしめ砂を蹴る。大らかな海のような心を持ってさえいればこうはならなかったのだろうか。自分と云う小さな器に嫌悪さえしてくる。
(私が好きだと分かりやすいぐらい態度で伝えてくるくせに、……違うわ、彼は悪くない。悪いのは…)
 彼のせいにしては否定し、自分が悪いのだと考えればまた否定して、そんな悪循環が明日香の中を巡る。制服が汚れるのも気にせずに座れば海がより偉大に見えた。



 どうにか心が落ち着いてきた頃、同時に明日香はうとうとしてきた。不定期に流れる波の音が心地好く終には仰向けに寝転がり空を仰いだ。吹雪がいたなら間違いなく女の子なのにはしたないと注意してきたであろうが此処には誰も居ないことから遠慮などすることもなかった。帰ったらシャワーを浴びたい。寝返りを打ち、ただそう考えた。
「…っ天上院君!」
 しかしタイミング悪く掛けられた、日頃からよく聞き慣れている声に明日香はがばりと勢いをつけて起き上がる。驚きのあまりに砂を振り払うことも忘れて髪はぼさぼさのまま駆け寄ってくる万丈目を凝視して固まってしまった。
「大丈夫か天上院君! どこか具合でも!? それだったらいけない、今すぐ保健室へ…! …ん? あ、いや決してオレは君の後ろ姿が見えたから追い掛けたとかそんな事はしていないぞ。急に海が見たくなって此処に来たらたまたま…そう、たまたま君が居たんだ!」
 何故と聞く前に一から十まで真っ赤になって唐突に弁解しだした相手に更に呆気にとられながらも我を取り戻した明日香の溜め息を聞いてか否か、口を詰むんだ万丈目は砂浜に足を踏み入れる。隣にしゃがみ込むと制服のポケットからシンプルな水色のハンカチを明日香へと差し出した。それで今の自分の格好を思い出して羞恥を持った明日香に断る術はなく、おずおず受け取った。皴の少ない綺麗な布を汚すのには狼狽えはしたがせっかくの好意を無駄にするわけにはいかず腕から砂埃を舞わせる。大分砂にまみれてしまったなと苦笑を溢していると不意に万丈目が背後へと回り明日香の髪を割れ物を扱うが如く手先で優しくすいた。
「嫌だったら言ってくれ」
「…そんなこと、ないわ」
 普段からは想像できないほどの行動力に頬が熱くなるのを感じた。初な彼が躊躇もしないぐらい見れないものに変化していたのだろうか。穴があったら入りたいとはこのことであり、恥ずかしさから顔を覆い隠す。

 頭を引かれる度に華麗にカードを扱うあの指が自分の髪を弄り遊んでいるのだと思うとお尻の辺りがむずむずとしてきた。でもそれは同時に手紙を受け取ったあの手でもあり、複雑さも帯びる。
「終わったよ」
 最後に整え話し掛けた万丈目だが明日香は返答をせず苦虫を潰したような表情で俯いていた。天上院君、と再度話し掛けるとはっとするも口ごもったまま顔を上げようとはしない。
「やはり具合が…」
 心配の色を浮かべて手を伸べるがそれを許すどころか明日香は振り払った。ぱちん。小さく鳴った音に万丈目は驚いたがそれ以上に明日香が驚いていた。視線を泳がせ辛そうに己の手を見つめ固まる。彼は純粋に心配をしてくれてただけなのに酷いことをしてしまった。唖然としていた万丈目に何て言えばいいのかわからなく頭が真っ白になってしまい今にも涙が出そうだ。そして何かを感じたように立ち去ろうとする万丈目の制服の裾を急いで掴む。弾かれたように振り向かれ、目が合うとすぐに逸らした。気まずい雰囲気が流れる中、意を決しゆっくりと手を離す。

「万丈目君は、私が好き?」

 この、暫しの沈黙が重い。突然すぎて氷のようにかちかちになったまま動かない万丈目を軽くつついてみる。それでも微動だにしない彼をこちらに呼び戻すため明日香は腕を思いきり引っ張り尻餅を着いた体に身を寄せた。すると先程までとは打って変わり耳まで紅潮させた万丈目が声にならない叫び声を上げる。
「なっ、なななっ! なになに、い、ぁえ!?」
 色んな意味で混乱し始めた万丈目に構わず明日香はじっと見据える。少しの間戸惑っていたがその後観念したように息を吐いた。惹き込まれそうな意思の強い瞳と絡まる。
「オレは……天上院君の言う通り、君が好きだ。初めは一目惚れからの淡いものだったかもしれない。だが、鮮やかなカード捌きに心から楽しんでいる姿。それから気高く誇りを持つ君にも気づけば、同じ一人の決闘者としても惹かれていたよ」
「…その言葉に嘘は?」
「あるものか。君を愛していると言っても過言ではないぐらいにはね」
 半ば自棄になって背中から砂浜に倒れる万丈目は真っ赤なところを見られたくないからか腕で顔を隠した。恥ずかしいのは明日香もだというのに自分だけ言い逃げはさせまいとその腕を取り払う。万丈目には悪いが身体に跨がりお互いの鼻が付くぐらいまで近づいてまじまじと目に焼きつけていく。まるで茹で蛸みたいだ。
「このままで聞いて万丈目君。退いたら貴方、逃げてしまいそうだから」
「……っ」
「いいわね?」
 確言う明日香も逃げたくて脚が震えているのだが。頷いた万丈目に安心しながら薄く笑みを浮かべる。
「あのね、一つ言わせて貰うと私は貴方の理想するような天上院明日香ではないわ。きっとなりたいと願ってもこの先叶えられることはない。無力で、そのくせ欲もある。卑しい人間の一人なの」
 目蓋を綴じ、思い出されるのはやはり変わらず照れながら手紙を貰う目前の彼。その彼は現在自分に押し倒されるような状況で自分しか目に映していない、となると沸き上がる優越感に流石にこれは子供染みてると自嘲した。だけどあの子がいくら想いを寄せたところで万丈目は明日香しか見ていない。それが明日香の心を灯してくれた。何かを紡がれる前に明日香は己の唇に人差し指を立てる。今なら分かるのだ。自分はあの子に劣等感を抱いていたこと、嫉妬していたことを。
「欲張りなのよね。応えられもしないのに万丈目君を誰にも奪われたくないと思うのも、一番でありたいと思ってしまうのも。結局は私の我が儘。軽蔑されたとしても仕方が」
「そんなことはない!」
「きゃっ!?」

 ずっと聞いたままの筈だった万丈目が言葉を遮り、かっとなった勢いで明日香の肩を押し倒し返した。砂埃が大きく舞い、二人でごほごほと咳き込む。顔と腹の両サイドに手足を置かれると明日香は事態を上手く呑み込めないまま瞬きをする。必死な表情で見下ろす万丈目の腕に手を携え彼が唇を割るのを待ち続けた。
「…オレは、有りの侭の君が好きなんだ。誰も君を欲のない人間だと思ってはない。欲を持ってこそ真に生きているという証になるんじゃないか?」
 それから一拍置いて。
「嬉しかったよ天上院君。まさかDA生徒憧れの君からあんな台詞が聴けるなんて、夢みたいだ」
 言葉通り嬉しそうに目を細め万丈目は身体を退けた。さあ、と差し伸べられた手を取り明日香も上体を起こす。どうして彼はこんなにも自分に優しいのか、その優しさにでさえ応えられずに甘えることしかできない罪悪感いっぱいの胸で見つめ返すことは不可能だった。せめて彼の態度が周りに向けるのと同じようだったなら上手に受けることが可能だっただろうか。否、そんなこと想像しなくても明日香には無理だ。ここまで自分が不器用だったとは呆れて物も言えない。
「これでようやくオレも一歩どころか二歩も前進ってわけか。よし、十代に追い付けたかもしれん」
 ふっと鼻で笑う万丈目に言えたのはただ最初とは違う意味を含むばか、とだけで。これ以上何かを話してしまえば熱いものが溢れてしまう気がしたから固く口を閉ざす。彼は、明日香になれそうにもない海に良くも悪くも似ていると思った。


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