!遊アキ前提





「ジャック?」
 物珍しいものを見たと思う。凛とする紫がないことに多少の違和感を覚えながらアキは彼の身体が横たわるソファーの傍にしゃがんだ。いつも見上げるだけの、けして勝てることのない身長差でありながらこうして見下ろせる事にほんの少しだけ優越感に浸る。どんなに近づいても震えない睫毛に昔読み聞かせて貰った白雪姫の物語を思い出したのだが、絶対にそんな姫だなんて可愛らしそうな称号は合わなそうだし、キングと言い張る彼が耳に入れたりでもしたら怒鳴られるだろうと一人想像しては苦笑が洩れた。しかし改めて眺めると女顔負けの陶器のように滑らかで透き通るような白い肌をしているし、鼻も高いしでなるほど、通りでモテる。がたいさえ柔らかであれば姫でも通用しそうであるがやはり彼に口付けで目覚めるなど似合いそうにもない。アキはこれ見よがしに弄ぶようにつつつと頬に指を走らせ一言羨ましいと口にする。
「………何がだ」
「…あら、いつから起きてたの?」
「さっきからだ。何やら不穏な視線を感じ取ったのでな」
 漸く見せた紫はまだ寝起き特有のとろんとした甘めの雰囲気を醸しつつ、ジャックは上体だけを起こし欠伸を噛みしめるように小さな呻き声を出した。首を振る毎にやがて普段のキレのある視線を取り戻しそれを訝しげにアキへと向ける。そういえば彼とこんな和やかな日に二人きりになるのは初めての気がする、そんな事を思いながら折っていた膝を伸ばすと喉を鳴らした。
「不穏だなんて、安心していいわよ。そんなやましいことはちょっとしか考えてなかったもの。大半は嫉妬よ」
「…10割不穏だろう、それは」
 残念そうに溜め息を吐かれても尚アキは笑い続けた。

 それから暫しの沈黙が訪れる。いつもなら此処には遊星かクロウかブルーノが居て話の仲介役になってくれるのだが、タイミングが悪かったのか今日はそれがない。なんとなく気まずさを感じて打開策はないかきょろきょろポッポハウス内を見渡していると、アキにとって見慣れたジャケットが目に入った。肩や襟などにオレンジの球体が付いた紺色のジャケットは現在持ち主が居ないので椅子に掛けられるような形で存在している。側に寄ってみると案外ぞんざいにされていて所々が皺だらけだ。こういうところに彼もまた男なのだと胸が高鳴ったりしてしまうわけであるが、こんな些細な事にでさえときめくとは末期の症状なのだろう。もちろん恋愛という病でのだ。恥ずかしさに見舞われながらもアキはジャケットを手にして皺を伸ばしだす。僅かに漂ってくる彼の匂いや汗とオイルの入り混じった臭いにさえ頬が蒸気し、まるで奥さんのする事みたいと馬鹿げた妄想が脳内で繰り広がったりした。
「だ、だめよアキ……大体遊星に限ってプロポーズとか考えられないし、そもそもまだ付き合って一年しか経ってないもの……だけどお互い結婚できる歳なわけだし、妄想ぐらいわけないわよね、ええ」
 独り言としては大きめの呟きで自身に言い聞かせては納得する。はたから見ると阿呆極まりないのだが今のアキにとって周りのことはもはや空気であった。だからこそ既に真後ろまで来ていたジャックに気づけなかったし、ジャケットも奪い去られるのも簡単だった。
「急に何かを仕出かしたと思えば、お前…」
「きゃー!! いけない、すっかりジャックのこと忘れちゃってた!」
「…………」
 我に返ったアキに羞恥心が襲いかかり己の頬を両手で包み込んでは何度もばかばかと内心で罵倒する。夢中になると周りが見えなくなるのはいけない癖だと分かっていたのに。しかも全部見られていたなんて、今にも叫んでしまいたいぐらいだ。ジャックを見上げれば心底呆れたような表情で目頭を押さえていた。これからはその腕に担ぐようにして持たれたジャケットは視界に入れる度にアキの羞恥を煽るのだろう。ごめんなさい、と意図せず放たれた声はあまりにも震えていて届いたのかすら謎である。ああでもジャック以外に誰も居なくて良かった。クロウやブルーノだったらその場では秘密に収めてくれるとしていつかはボロが出そうであるし、本人に見られでもしたら立ち直れる気がしない。先程とは真逆の考えだとは理解しても心からそう思った。
「……今のこと内緒にしてくれる?」
「遊星にか」
「皆によ! もうっ意地悪しないで!」
 訂正、ジャックもかなり厄介だ。フン、と鼻で笑われたと思えば途端アキの視界が真っ暗になり、ジャケットを被せられたと気づくまで少しばかり時間が用いた。鼻の膣を擽る匂いに少々高揚しながら脱ぎ去った目線の先に犯人は居ない。代わりに下の方に跪いて動く黄金色がアキの手を取り、徐々に顔を近寄らせてくる。
「えっ、あ、なに…っ!?」
 困惑するのも束の間で、温かく柔らかい唇が手の甲と触れ合った時、頭は真っ白になる。愛しの彼からは想像もできない事を目の前の彼はいとも容易くやってのけ、それがよりアキを混乱させた。ちゅ、と音を立てて離れた薄く形の整ったそれにばかり目が行ってしまい思わず口を金魚のようにぱくぱくさせる。
「…キングたる者、女性には尊敬の念を」
 極め付けにはこのとどめ。ダークシグナーとの戦いの時も一度だけ目にした事があったが躊躇とかを通り越して呆然とする他ない。つまりは、あの独り言は秘密のままでいてくれるという事だろうか。分かりにくい、遠回し、それでいてあの恥ずかしすぎる行為。ジャックという男がどういう者なのか改めて認識し直さなければならない。火照る顔を俯いて誤魔化し、ただジャケットを握りしめる事しかできなかった。


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