「久しぶりですね、不動遊星……いえ、今は不動チーフとお呼びになった方がいいかもしれませんね。ご就任おめでとうございます」
「ああ。だが今まで通り名前で呼んでくれ、お前に言われるとなんだかからかわれてるような気がする」
「それはまぁ、随分な言い草だことで」
 そう言うとイェーガーは遊星を見上げて昔と変わらない独特な笑い声を響かせた。釣られて微笑めば此処まで来る途中に買ってきてたのか、どこからか缶コーヒーを取り出し遊星へ手渡された。冷んやりと暑い日には嬉しい温度が掌に乗る。「甘くなくて残念でしたな」とにたり口角を上げるのを遊星は見逃さず、相変わらずの様子に安心こそすれど苦笑する他ない。二人は近くにあった公園のベンチに座り、暫くは子供達の歓声に耳を澄ませていた。
 昔に比べ、シティは本当に平和になったとたまにこうして実感する事がある。今ではダークシグナーも未来人も居ない。それこそ文字通り平凡な日々を皆が過ごしている。きっと最近の子供には昔話をしても中々信じないだろう。そのぐらい此処は変わったのだ。ぐるりと公園内を見渡し、缶コーヒーのタブに指を掛けパキッと音を立てる。
「それで、今日は何の用なんだ」
 一口喉を潤した後、会う前から抱いてた疑問を遊星が口にするとイェーガーは目を細めた。

 時を遡る事一週間前、遊星に掛かって来た一本の電話はイェーガーがアポイントメントを取るために寄越したものだった。理由は不明のまま、ただ会って用があるとの事だけ。こっちはチーフとしての仕事が詰まっているというのにまた急な話だと思いながらも遊星はそれに応じてしまった。何故か断ってはいけないような気がしたから、と言えばいいのだろうか。とにかく今日迄の間、仕事をしてる以外ずっと悶々として気分が晴れなかったのだ。
「用というのはこれですよ」
「…新しい仕事の資料か?」
「読んでみればすぐに分かりますとも」
 渡された何枚かの資料にがっくりと肩を落としながら遊星はそれらに目を通して行く。だがどう見てもデータが古く、遊星が産まれた直後ぐらいの年代の研究資料だ。それも旧モーメントの。自分にこんな物を見せて一体イェーガーは何をしたいのだろう。さらに深まった疑問を押し込みつつ次のページに捲ると遊星は思わず目を疑ってしまった。
「これは…?」
 資料の右端に貼られたボロボロの付箋。それを最深の注意を払いながらゆっくりと剥がしていく。どうやら粘着力が相当弱まっていたようですぐに剥がせたが、少し曲げただけでも切れてしまいそうだ。そんな付箋に顔を近づけ、これに書かれた事が嘘ではないのか手を震わせながら確認する。
「これでも定期的に自分で掃除をしているのですが、どうやら見逃していた所に前々長官の私物がまだ残っていたようで。彼も棄てるに棄てられなかったのでしょうね」
「……そうか」
 震える咽から声を搾り出すも今の遊星にとってその三文字が精一杯の返事だった。可愛らしい手描きイラストの上に走る文字は遊星の頭の中で何周も何十周もぐるぐると駆け回る。
『この日までに仕事を終わらせる』
 くしゃり。手の中の付箋が形を丸くした。目頭が熱くなるのを抑えきれず、唇を噛みしめる。そんな遊星を見兼ねたイェーガーは肩を竦めて席を立ち、これまた相変わらずな会釈をする。
「では、それは私から貴方へのプレゼントとしましょう。どうぞお引き取り下さい」
 もはや何も言えなかった。その場を静かに立ち去るイェーガーに声をかける事なく遊星はただただ思いを巡らす。知らなくても特に支障はないが、まさかこんなに嬉しいものだとは。
『7/7 愛する息子、遊星の誕生日』



 心臓がどくどくと迅速に脈打つ。息も上がって苦しい。昔はこんなに早く疲れなかったのになと歳を感じながらも遊星は駆け足で研究所の個室に入り、携帯を握った。左腕にはちゃんとイェーガーから受け取った資料を抱えている。そういえば缶コーヒーは半端なまま置いて来てしまった。後で取りに行こう。久方ぶりにわくわくした気分で通話ボタンを押す。液晶に表示されている彼女の名前にまだかまだかと、まるで先ほど公園で見ていた子供のように遊星はそわそわとした様子で待ち続けた。そして永遠にも感じたコールがついに切れる。
「…はい。遊星?どうし」
「アキか!?」
「っ…、そんなに大きな声を出さなくても聞こえてるわよ」
 まったく、と呟かれた電話の向こうでは彼女は顔を顰めてるのだろう。すまないと一言謝りいったん深呼吸をして落ち着きを払う。そういえば医療機関で働くアキは今やドクターアキと皆から親しまれ、忙しさに身を投じているので突然の事に迷惑をかけたかもしれない。罪悪感が生まれながらも彼女にはどうしても伝えたく、ポケットに入れていたくしゃくしゃの付箋に触れた。
「親父の遺品が見つかったんだ」
「そう…よかったわね」
「それで…」
「うん。それで?」
「それで…」
 言葉に息詰まり、ごくりと唾を呑む。そこで遊星は自分は初めて緊張しているのだと気づいた。らしくもないと、ふ、と小さく笑い瞼を伏せる。
「当たり前だが、オレにも誕生日というものがあったらしい」
 実に当たり前だが。これを聞いたアキはどう思ったのだろう。もしかしたらそんな事で電話を寄こすなとか、くだらないと感じたかもしれない。だけど彼女なら誰よりも喜んで祝ってくれると自意識過剰な考えが過ぎり、遊星の心は期待と不安で握り潰されそうになった。やがてアキの方から柔らかな吐息が洩れだし、それだけで邪険にされてない事が判明されたのでほっと一息を吐く。
「ね、遊星の誕生日はいつだったの? せっかくだし、皆で貴方のことを祝いたいわ」
 時々携帯から聞こえるガサガサという雑音は何かメモを取り出したのだろうか、最後にカチャとよくペンで書く時に鳴る馴染みの音が耳を掠めた。握ってしまったせいで所々が破れ読みにくくなってしまった付箋を伸ばし、そこに書かれた日付を確認する。
「…7月の7日だ」
「なのか……それって今日じゃない!」
 ああ、それでイェーガーはプレゼントだと言っていたのか。アキに告げられて申し訳程度に飾ってあったカレンダーに目を向けるが、捲るのは助手であり遊星には今月が7月だという事実しか分からない。研究に浸かってばかりで日付の感覚が狂っていたらしくあまり実感が沸かずに首を傾げた。
「もう半日も過ぎちゃってるし、どうしようもないないわね…」
「なんだか悪いな」
 そう言えばアキはいいのよ、とペンを置いて小さな溜息を吐き出した。絆を重んじる遊星にとって、皆で祝うという提案をされただけでも十分に嬉しかったのだが、なんとなく申し訳なく思う。

「…あのね、遊星」
「ん?」
「お誕生日おめでとう」


僕の愛したひとに幸あれ





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たったこれだけで、初めて己が生まれたことを認められた気がした。
誕生日なんて一番疎遠な祝い事だと思っていたのに、こんなにも。
とても充実した気分だ。



題:不完全燃焼中
2013.7/18

完全なる遅刻


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