*十←明日前提





 紺色に染まったシンプルな四角い箱。それがどんな意味をなしてるかなんて子供でも分かる事だ。明日香は差出人である万丈目を唖然と見つめ、後にふるふると首を横に振った。
「これを受け取る資格なんて、私にはないわ」
 両眼を睫毛の影で覆い唇を割って出てきた声は予想のものよりずっとみっともなく震えている。言い終えたすぐで箱を押し返そうと試みるも彼はそれを許そうとはせず、明日香の手中にしっかりと収めてしまった。
 何故こんな事をするのだろう。蓋を開けたらそこにはきっと美しく輝く宝石と組み合わされた指輪が存在する。だが何を言われようとも明日香は受け取るつもりは毛頭なかった。
そしてその事を万丈目も知っている筈なのに。
「どうして…? わ、私は、貴方から幸せを貰う権利なんて…!」
 ない、のに。上手く呼吸ができなくて最後までは言い切れなったけれど、相手には充分伝わったと思う。箱ごと包まれた手は振り払う事も出来ずにただただそこに在った。こうやって温もりを奪ってしまうだけの行為さえ明日香にとっては罪深い。

 まだ心に残るは燃えるような血潮の紅。自分勝手なところが多くて散々困らされていたのに彼にはどこか人を惹きつける力があった。明日香もその内の一人に含まれ、また、仲間とは違う意味でも惹かれていた。一度は告白しようと踏み出してみた事もある。けれど彼の顔を見た瞬間、やっぱりその想いは己の内側だけで留める事にしたのだ。
 それを知っていて万丈目準という男は明日香に付き合ってくれと、ただ一言だけ告げてきた。もちろん初めは断った。だけど彼に惹かれていたのと同時に、明日香の心は目の前の黒にも揺れていたのもまた事実。こんな自分をこんなにも想ってくれる人はきっとこの先居ない。女は愛を与えるだけじゃなく与えられたいと願ってしまう、我儘な生き物だ。あいつが好きのままでもいい。万丈目はそう言ってきた。だけどいくら心揺さぶられようが明日香はそんな曖昧の気持ちで他の誰かと付き合える程不誠実ではなかった。
「ごめんなさい」
 その時の彼のした淋しそうなのにどこか安心したような表情が今もずっとこびり付いてる。



 プロリーグで忙しい万丈目と教師として毎日がてんてこ舞いの明日香が休みが重なるのは滅多にない。気まぐれと言うに相応しいだろうが、電話でのやり取りでその事に気づいて久しぶりに話がしたいと誘ったのは明日香の方からだった。あの出来事からも少し距離は置かれたが変わらない優しさで接してくれる彼と直接会って、また昔みたいに戻れたらと期待していた自分も居たと思う。一緒に過ごしてたうちに身勝手なところが移ってしまったのだろうか。こんな時にも思い出してしまう紅に苦笑しながらも黒にはとても申し訳がなかった。

「天上院明日香さん。オレと結婚を前提に付き合ってください」
「え?」

 そんな気持ちで来たわけなのに予想外の言葉に明日香は大きく戸惑う。DAを連想させる夕焼けの映えた港。確かに告白するには打ってつけかもしれないが、まさかそんなと思わず目を見張った。からかわれているのかも。そうも思ったけれど真面目な彼がそんな事するわけもないし、手渡された箱にこれは本気だと悟りせざるを得なかった。
「分かってるの? 今の私じゃ貴方を傷つけるだけだって」
 叫びたい衝動を箱に指圧を掛けてなんとか抑えながら万丈目に言った。それでも彼は穏やかに、明日香の手を握ってもう片方の手で遠慮がちに頬に触れてくる。
「何も変わらないままでは君も変わらない。オレ自身だって変わらない。ただ同じ後悔だけの日々を繰り返すだけだ。だからオレは新しい明日を踏み出す為に、君に三度目の想いを伝えに来たんだ」
 その決意は力強い瞳と微かに震える手からひしひしと伝わってきた。デュエルでは自信満々でライバル達を尊厳しながら薙ぎ倒し、エドや亮と並んで世界中に名を知らしめたそんな彼が。なんて光栄なのだろう。彼とはただの同級生で、しかもしがない教師でしかない自分が一つの器では抱えきれない程の愛を与えられている。きっと今の明日香は現在世界で最も幸せな者として認定されるだろう。
「でも私は…」
 幸せにされる権利もする権利もなくて、今回もまた首を横に振る。
 すると明日香の肩に万丈目は両手を乗せ、強く鷲掴んできた。
「いつまでお前はあいつに囚われたままなんだ! あいつは、十代はもう人ではなくなってしまった! 傍にも居られない、居ようともしてくれないそんな奴に!!」
 明日香は突然飛んできた普段の明日香に対する物腰では考えられないその怒鳴り声に一瞬面食らってしまった。そんなの分かってる、彼は正論を言っただけにすぎない。なのに抑えてた筈の苛立ちや悲しみが一気に押し寄せてきて、奥歯をぎりりと噛んで明日香も迷わず食ってかかった。
「そうね、彼はもう普通の人ではないかもね! でもその過程には仲間だった筈の私達が居たわ。あの人をそうさせてしまった原因の一つに私が…っ!」
 ずっと溜め込んでいた思い。吐き出してしまえば言葉としてではなく涙としてはらはらと流れ出てくる。
 昔のようにいつでも気丈でいたかった。それなのに自分はいつの間にこんなにも弱くなってしまったのだろう。疲れてしまった頭を万丈目の胸板にぽすりと預けながら明日香は自嘲しながら、ふっと息を吐き出す。もうどうする事も出来ないと理解していてもまだ何か出来る事があるかもしれない。そう聞き分けならない自分が何処かに居た。

 本当はあの二回目の告白の時も、こうやって叱って欲しかったのだと思う。十代の事は諦めろ。他でもない、明日香を誰よりも一番に想ってくれている万丈目の口からで。
「奴は仲間を恨んだりしない男だ。それに、ユベルと融合する事を選んだのは紛れもない奴自身でしかない」
「……知ってるわ」
 弟分達よりも、親友よりも、どんな人よりも近くに居たいと欲張りをしていたから彼がどのような人柄であるかなんて明日香は充分承知していた。今も何処かで旅をして世界の危機を救っているだろうあの人を忘れるなんて残酷な事は出来ないかもしれない。それでも理解してくれる人がいる。支えようとしてくれる、大事な人が。

 突風が髪を奪った時、前に踏み出せと誰かに囁かれた気がした。
「そうね…」
 誰もいない空に向かって穏やかな笑みを浮かべた明日香は誰にでもなく独り呟く。何時迄も過去に浸っていてはいけない。これでやっと一歩、新しいスタート地点に立てるのだから。
「万丈目準君。こんな私の隣に、ずっと居てくれますか?」
 まだ心の整理はつけれていないけども、貴方と一緒なら私は大丈夫。
「て、天上院君…!」
 歓喜するあまり力を制御しようとはしない万丈目に苦しいぐらい抱き締められ驚く明日香だったが、しょうがないと淡く微笑んでからぽんぽんと優しくその背中を撫でてやる。離れた後に左手の薬指にそっと嵌められた指輪は二人を祝福するかのように綺麗に輝き続け、存在を示していた。





-----
主催企画の「まんあす!」に提出してきました。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -