神と民から崇拝されるファラオはまだ子供である。同じ年頃の者達と遊びたい、良いことをしたら誉められたい、悪戯をするのが好きだ、怒られるのが嫌い。この通り他の子らと何の変貌もない餓鬼であった。

 このファラオは辛抱ならずたまに王宮を抜け出して来る癖があった。その度にどこから聞き付けてくるのやら盗賊の王である男の仕事場、つまりは己の先祖の墓場へ数ある中から正確に選び出しその時いる墓へ足を踏み入れるのだ。奇跡だといっても可笑しくないぐらい何故かいつも男の居場所をピタリと当ててくるのが不思議で問うてみても首を傾げ勘とばかり答える。迷ったりでもすれば一生出られぬ事など容易いというのに、とんでもない悪運の良さだ。
王宮から往復する時間も考えて此処へ居れる時間は少ない。休憩が終わるより早く帰り砂埃を払わなければ神官達に怪しまれてしまうので長く居れて十五分が限度だった。いっそ勉学になど励まず一日中休みでいいのにと愚痴ってはみたが民の為だと気の長い説教を散々浴びせられたのは記憶に新しい。
 隣で今回の獲物を見て機嫌を良くしていた男の背凭れへ寄りかかる。自分よりも大きくて広く温かいそこには酷く安心させるものがあった。
この男に幼きファラオは幾度も殺されそうになったが、性懲りもなくやってくる。男は自分だけが体力精神を消費するのが馬鹿馬鹿しくなったのか時が来るまで殺すのは止めといてやった。勿論未だ憎しみは抱いたままである。どうせ殺ってしまうのなら神官共の前で処刑するようにした方が愉しさも気分の高揚も上がるに決まっている。そんな男の思いを言われずともファラオはしかりと知っていた。

「盗賊の王よ」
「なんだよ王サマ」
「貴様は我が名を知っているか?」

顎に指を添えて暫く考える素振りを見せてから男は軽く横に首を振った。この子供の名前など一度たりとも耳に入れたことはない。その答えにファラオは瞼を落とし苦しそうに笑ってみせた。背を向けている男には表情が読めなかったが幼きファラオが何かを求めているのだけは感じ取っていた。

 ファラオは預けていた背中に体を向け直し、はだけていた男の胸へと触れる。分厚い筋肉の内側では心臓が規則的に鼓動を繰り返し、今彼は生きているのだと懸命に伝えていた。心を安らかにする心地の良い音。人々から恐れられている男は自分にとって唯一の安らぎの場所だ。
この男のどこを恐れる必要がある。精霊が操れるからか?人を容赦なく殺すからか?王の墓を荒らす不届き者だからか?最後はないといえどそれ以外なら我が王の一族もしている事ではないか。それなのに生まれた落差は彼にとっても自分にとっても不快極まりないのだ。ファラオは身分というものが嫌いだった。
神がいるのなら救われぬ者など出てはこぬ。自分は、何も出来やしない非力な子供で神と讃えられるべき存在ではない。父は神だと信じてやまないが己は違う。所詮代役など無理に等しかった。父と自分では器が釣り合うはずが無いのだ。

 頭にぽん、と温もりが乗る。下げていた面を跳ぶようにして上げると何を思っているのか解らない表情で男は頭を撫でてきた。

「お前の名は?」
「…」
「おら、黙ってないでオレ様の質問に答えやがれってんだ。お前の名前は何だ」
「…アテム、」
「そうか、アテムってのか」

 嗚呼、自分の名であるのにどれくらいぶりに口にするのだろう。唇の動きが、音の響きが、心を揺さぶって懐かしい。父上が亡くなったのと同時に我が名も葬ったのと同然だったのに、民も恐れをなして呼ばなくなってしまったのに、この男は意図も軽々と言ってのける。
 焼けるように熱い目頭と止まらぬ嗚咽。目元に引かれたアイラインのせいで擦る度に手や顔は真っ黒に染まっていくが、それでも止まる事を知らない水はやがて地に一つの溜まりを作り上げた。黒い雫が頬を垂れて落ちていく様は心の醜い塊が解けていくのを表しているかのようで。流れるのを見つめているとわかだまりが芽生えるような、そんな気になる。
ありがとう、ありがとう。上手く呼吸のやり取りが出来ていないせいで引き吊ってるかのような声になりながらも、言っても言い足りない礼を何度も述べる。王が盗賊に礼をするなど前代未聞ではあるが感謝の気持ちを伝える術はこの手しかなかった。

 泣く。そんな行為もいつぶりだったか。それさえもやはり父が亡くなった時に置いてきてしまった。
あの日に失ってしまったものはあまりにも多すぎる。





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題:410


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