二人の男女の前には質素なマグカップに淹れられた紅茶が人数分用意されている。テーブルの中心には一切れサイズのケーキがこれまた同じ数で存在を示していた。だが、ケーキに手をつけるのは可愛らしい食べ物とは無縁そうな無表情な男の方だけ。女はただ微笑ましそうに肘をついて口に放られるスポンジの残骸の行方を見守っていた。
「遊星が甘いもの好きで助かっちゃった」
ふふ、と柔らかくはにかんだ女は男を遊星とどこか愛しそうに呼んでまだ湯気の立つ紅茶に息を吹き掛ける。
「いや……疲れが溜まっていたからちょうど糖分が欲しいと思っていたところだ、此方こそありがとうアキ」
又、女の方は男からアキと呼ばれていた。ほんのりと頬を染めて「どういたしまして」と受け答える彼女は完全にほのじらしい。紅ののった唇は艶やかに弧を描き、マグカップに口付ける。
二つ目に食いかかろうとする遊星はまるで子供のように、チークを振り掛けたみたいにピンク色をした苺のムースに夢中だ。大好きなD・ホイールや機械といった物以外にこんなになるのは珍しいらしく半ば呆れ気味にアキは、絶品だと賞賛しては口数の多くなってきた遊星に頷いていた。その無邪気さからは甘いものが純粋に好きなんだと物語っていたがちょっぴりそのケーキに嫉妬を覚えていたりもする。
(…我が儘かしらね)
そんな事を片隅で思いながら一つ溜め息を吐くとアキ自身のポッケからハンカチが取り出された。
「ついてるわよ」
「…どこだ」
「いいわ、私が取ってあげるからじっとしてて頂戴」
身を乗り出して向かい側に座る遊星の右口端を優しく拭いとると夜空を連想させる深い青が気まずそうに彼女から逸らされる。いい歳にもなって食べ滓を顔に付けていることに羞恥を持ったのだろう。表情には出ないものの薄く色づいた耳からそれは間違いなかった。その恥ずかしさはそれだけではなく、屈むことによって胸が無理矢理視界で強調されるというものに対する事であるのも彼女は知らない。
そうだ、と最後の一口を口の中へと放り込んだ遊星は席から立ち、棚をがさごそと漁り込む。
「遊星?」
「あったぞ。これだ」
不思議がってアキも近づいて行き名前を呼び掛けた所で嬉々の声が前の背中から上がった。振り返った遊星の手にはまだ真新しい、彼の瞳と同じ色をした缶が握られている。それを詰めた袋をアキに渡し彼は優しげに語りかける。
「クッキーだ。良かったら御両親と食べてくれ。昨日同じものを皆で食べたんだが甘さは控えめでジャックも絶讚していたし、多分アキも平気だろう。…修理依頼者からの貰い物になってしまうのは悪いが」
言い終わる前にもアキはぶんぶんと首を振っていた。男四人住まいの借家での厳しい経済生活からすれば貴重な食料でもあるそれを受け取っていいものか悩んでいたが、遊星のせっかくの両親と自分への気遣い。それが嬉しくてならなくて自然と袋を抱き締める力が強まった。
「ありがとう」
華が溢れんばかりの笑顔で見つめてきたアキに思わずして息を呑みながらも、心中穏やかに遊星は微笑み返した。