!明日香=吸血鬼





「っ、はぁ…はっ…!」
 何も見えない。闇雲に駆けたって無駄だと分かってはいても脚を止めたらそこで最後だ。幸い万丈目は髪から爪先まで黒で統一されたコーディネートである為闇には紛れやすかったが、夜目の利く奴ら相手ではそれもただの気休めでしかないだろう。息を切らし、このまま心臓が破裂するんじゃと勘違いするぐらい脈を速く打つ。
 どうしてオレなんだ、他にもエドとかカイザーが居たじゃないか。奴に後を付けられてると感付いたのは三人で週末の仕事について語ってる時だった。エドとカイザーは騒ぎ立てないようにだが火花を撒き散らし言い合いをしていたから気づかなかったのだろうか。だが万丈目には分かった。寧ろ、気配を感じさせてきてる。それなのに何故自分以外誰も反応しないのだろう。犯人が正体を現したのは二人と別れてから間もなく、その姿は今でも目に焼き付いている。
「っあ…!」
 石か段差に躓いて横転した万丈目は急いで立とうとするがどこか捻りでもしたのか上手く立てない。否、急に力みから解放された身体が腰を抜けさせたのだ。格好悪くてもいい、地に這ってでも逃げなければ殺されてしまう。圧倒的な恐怖心に脅えながらも万丈目は慣れない匍匐前進で前へ前へ、爪に土が入ろうとも顔や服が汚れようとも懸命に逃げた。

 足音がする。ざっ、ざっ、ざっ。それも前から。これは逃れられるチャンスなのか、それとも逆に逃げろと言ってやるべきなのか。こつんと指先に靴が触れた時、大人か子供かも判断がつかなくても万丈目は必死にすがった。
「たっ、助けてくれ…!」
 万丈目のプライドが幾ら塔のように高くとも命が助かるのなら背に腹は変えられない。血相を変えて訴えていると目の前の人物がしゃがんだ気配がした。それから手を差し出してくれたような気もした。
「いいわよ」
 その人物から発されたと思わしき美しくはっきりとした女性の声に思わず聞き惚れてしまうが自分に下されている状況を思い出し首を振る。何を考えているのだ、しっかり気を保て。
「さあ、この手を取って」
 それでも彼女の声には人を惹き付ける何かがあった。ぼおっとした頭のままでその手を掴んだがまるで氷のようにとても冷たい。それが死人を思わせたがそんな事は握り締めてるうちに次第にどうでもよくなって地べたに座り込む。やはり腰は抜けたままで動けない。すまないと声を掛けようとしたその時、万丈目の身体は彼女の腕の中へ収められてしまい突然の事態に息を呑んだ。
 首に回った腕や頬を撫でるように滑る指。心なしか良い匂いがするようで、始めとは違う意味で心臓が破裂しそうだった。
「ああ…貴方やっぱり良い香りがするわ」
 それは此方の台詞です、と言いそうになったが寸でのところで胃に仕舞い込み喉をごくりと鳴らす。しかし首筋に顔を埋められたことによって惚けていた意識ははっと我を返し、ここで彼女の言動が可笑しいことに気づいた。浮かび上がった可能性に万丈目の表情はみるみるうちに赤から青へ様変わりし女性を押し返そうとする。だがびくともしない体は離れるばかりかより密着を望んでくる。背筋を駆ける悪寒と脳の危険信号は鳴り止まず、目には涙が浮び上がった。
「何故オレなんだ…答えろっ、吸血鬼…!」
 そう、万丈目が今まで追い掛けられていたのは人間の血を吸って生きるあの吸血鬼だった。最初こそは信じられなかったが人間があんな鋭い牙を持っていたり蝙蝠に化けるなどそんな芸当できるはずもない。友人に散々そういう類いの迷惑を掛けられてきたからこそその算出は速く、あの時ばかりはあの馬鹿に感謝してしまった。そして話は戻り。慣れてきたらしく薄くながらだんだん見えるようになってきた目が映したものは、厭らしい笑みで此方を観察する吸血鬼の姿であった。
「何故、ですって? そんなの簡単な答えじゃないの。愚問だわ」
 まるで追われているのが当然だという言い方である。不粋なことを聞かないで、と耳許で呟かれ万丈目の身体には粟肌が立つ。そして奴からはもう逃げられないと悟りだしていた。悔しいことに。
「安心して。吸血行為は牙を入れる以外に痛みは感じないようになっているの。良かったわね?」
 何もよくないと言い返したくても声が出ない。代わりに出るのはひゅーひゅーとした息が通う音だけだ。まさか恐怖で声まで駄目になってしまったのか、それには情けないばかりで下唇を噛み締める。吸血鬼は万丈目が話せないのを好都合に首から肩にかけて触れ、自分が吸いやすい居場所を探していた。確か、本にはよく吸血鬼に吸われてしまったらその仲間になるという説や干からびるまで吸われるという説が描かれている。これでそいつらの仲間入りか、童貞のままなるのはなぁ…なんてふざけたことを言ってみるが何もできないからこそ思考も冷静さを取り戻しつつあったらしい。

 ぷつっ。多分、そんな音がしたと思う。意識を吸血鬼から飛ばしていたから気がつかなかったが、鈍い痛みが首元から走り抜け一瞬息が詰まった。じゅる、ぴちゃ、じゅるると血が吸い取られてるようだが吸血鬼の言った通り痛みは感じなかった。
「ん、む……はぁっ…」
 吸ってる間の声はなんだか艶っぽく、聞いてはいけないような罪悪感が湧き出てくる。熱の隠った吐息が吹き掛かる度に万丈目の身体はびくりと脈打った。しかしそうしてるうちに目眩がしてきてそろそろ血液の限界を告げてくる。人間、死に際になると本当に走馬灯が走るものらしく懐かしかったりつい最近だったり色々な思い出が浮かんでくる。こんなことならあの時一人でなんとかしようとせず、二人に相談すれば良かったんだ。
 心残りが、やりたいことがまだ沢山あるのに。吸血鬼は満足したのかあんなに離したくても無理だった体を意図も簡単に離したが、万丈目の意識はもう遠くなりかけてる。いつの間にか出ていた月明かりに照らされた吸血鬼はこの世のものとは思えないほど美しかった。

 それが、最後に見えた景色。





 万丈目は目を覚ました。黒のシングルベッドに窓から見えるお隣さんの家。覚束ない足取りでベッドを脱け出すが昨日のいつ頃自宅に帰ってきたのか。夕方エド達と別れてからの記憶が思い出せなかったがまあいいとそれだけで済ませてしまう。いつもより心なしか体が重かったが鞭を打ちスイッチを押して電気を点けた。
「あら、お目覚めかしら?」
「…!? お…ま……っ!?」
 背後からする女性の声に驚きながら万丈目は勢いよく振り向いた。長い金色の髪を持つ誰もが振り返るだろう絶世の美女と言うに相応しい容姿をした彼女。なのに身体は震えだし頬が引くつきだす。知ってる。彼女を、オレは、知っている。見た瞬間に戻ってきた記憶の端くれから彼女と最後に映った人物とぴったり合うのだ。
「ど…して…」
「おはよう、ジュン君」
 麗らかに挨拶をしてくる目の前の女は、万丈目の血を貪った吸血鬼だった。体が重いのは貧血から来るものだろう。
「貴様は何故ここに居る!? そして何故名前まで知っているんだ! 今すぐ帰れ!」
 恐怖心を押し込み怒鳴り付けるが吸血鬼はやれやれと肩を竦めるだけで去ろうとはしない。それどころかテーブルに腰を降ろして脚を組み上げた。その行為に眉を寄せたが今はそれどころでない為、我慢をする。
「ちょっと、女の子の扱いがなってないわよ」
「なぁにが女の子だ!! 貴様は吸血鬼だろう!」
「なら貴方は私が男に見えるの?」
 随分と口が達者な吸血鬼のようで万丈目は言葉を詰まらせた。顔もスタイルも抜群で人間でないのが惜しいと思えるほどだが、いやいかんと頭を振って思いを消す。
「それでもお前は吸血鬼だ、人と同じ扱いなんてするものか」
 現に血も吸われたし今さら人間ですなんて言われても絶対に信じない。一瞬だけ吸血鬼が悲しそうな表情をしたように見えたが気のせいだと睨み付ける。
 牙の痕が残ってるだろう箇所に触れれば万丈目は少し戦いた。消毒もしてあるしガーゼも貼ってある。的確な処理に度肝を抜かれ急いで吸血鬼を見た。
「吸血鬼の唾液には止血効果はあるのだけど、吸った痕を消すことまでは出来ないわ。消えるまでの応急処置だと思っておいて」
 そう微笑みかけられ今度こそ何も言い返せなくなったが、

 そこでふと疑問が蘇ってきた。舌で犬歯を触るが何の変化もない。脈を確認してもちゃんと動いている。
「オレは…、…オレは人間のままなのか?」
 独り言のように呟かれた事に吸血鬼は短く、ええ、と答えた。万丈目はへなへなと尻餅をつき大きなため息を吐く。良かった、オレは人間で居られたんだ。死んでもいない。すぐ近くまで奴が歩み寄ってきてるとは知らずに俯き実感していると頭上から声が降ってくる。
「貴方の質問に答えてあげる」
 ゆっくりと顔を上げるのと同時にしゃがんできた吸血鬼は玩ぶように万丈目の髪を指に絡めた。宝石を思わせるような瞳を細め、嬉しげに頬を緩める姿に警戒したがそれ以上何もすることなく緊張を少し解く。こうして見るとただの可憐な女性であるのに吸血鬼なんて勿体ない。逆に言えば吸血鬼だからこそこの美しさを持っているのだろう。
「少し貴方について調べさせて貰ったから知っている…と言ったら?」
「…その理由は」
「血が美味しそうだったんだもの」
 それは理由になっているのかはともかく、恍惚を浮かべてるところから見て嘘でないことを物語っている。昔から変なのに好かれると薄々分かってはいたが、まさかここまでとは。また気が遠くなりそうだったが何とか堪えて頭を抱える。頬を突つかれようが唇を弄られようが、反抗する気力も沸かずさせたいようにさせた。
「でも予想以上に甘くて口通りも良かったから私決めたの」
 吸血鬼はそう言いながらその端整な顔を近づけつつにっこりと笑う。
「万丈目準を私専用のご飯にするわ」
 言い終わったかと思えば唇にふにっと柔らかい物が当たったような。その正体が分からず呆然としていれば吸血鬼は自分の唇を舐め、ごちそうさま、と形だけで告げる。それで何をされたのか自覚してきた万丈目は首から額まで真っ赤に染め奇声を上げて倒れた。
 様子を見守っていた吸血鬼は恥ずかしさのあまり気絶した彼の頭を幸せそうに撫でたのだった。





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これシリーズ化したい


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