見渡す限りの緑に囲まれた此処はどこなのだろう。森の中だというのは一目で判断できるがそういうことでなく、確かに先程まで双子の兄とショッピングモールで買い物をしていたのだ。それが何故こんな所に潜り込んでしまったのか検討もつかず考え悩んだ璃緒は腕を組む。D・ゲイザーもなしに見えるということはARビジョンでもなさそうだ。
「凌牙…」
 今頃入り口で待っているであろう兄の名を口ずさみ雲一つない空を見上げた。まだ昼だからいいが夕方になってしまえば危険が迫ってくる。いつまでもこんな場所に居たらいけないとは判っていても、むやみやたらに動いてしまえばそれこそ二度とこの森から出られないかもしれない。そこで初めて浮かんだ不安から己の身体を抱くように両手で二の腕を掴んだ。風が吹いて草を鳴らす度に肩は揺れ、恐怖も増す。文武両道が何だろうがまだ中学生で更には女子である璃緒が怖がらない筈がない。
「…りょ、が……っ凌牙ぁ…!」
 早く助けに来てと思いを込めて何度も兄を呼ぶ。右手の小指に嵌まった指輪を見ていたら余計に恋しくなり仕舞いには泣きたくなってきた。自分が強気でいられたのはいつだって傍に居てくれると過信していたからであり、もう居ないと分かりさえすれば途端に弱くなってしまうのが女々しく感じて下唇を噛み締めた。神代凌牙の妹ならばその妹らしく確りしなければ。だけど怖いのには変わりなく、ついにその場に座り込んでしまう。此処に来てから既に何時間も経ったような、数分しか経っていないような、時間の感覚が狂っていてただ刻一刻と迫り来る夜にどう耐え凌ぐか考えていた。

 不意に後ろの草影から大きな音が聞こえた気がした。身を強張らせ璃緒は後ろへと下がり行く。もしもこの目下で野生の動物なんて出てきたらひとたまりもない。嫌な汗がじとりと滲み、なるべく音のした方から距離をとる。だが逃げる素振りは見せはしない。背を見せたら最後、襲い掛かってくるという知識は大嫌いな猫相手についていたからだ。無意識の内にごくりと喉を鳴らす。護身用としては頼りはないが落ちていた木の棒も拾い上げた。
「来るならさっさと来なさいよ…!」
 ほぼ強がりで言えばその瞬間より大きく音が鳴った。両の手に棒を握らせ指輪を一瞥して深呼吸する。大丈夫、私ならできる。自分にそう言い聞かせて前を睨んだ。
 だがしかし、そこから顔を覗かせたのは璃緒の想像していた猛獣とはかけ離れた金と小豆色の二層に別れた髪を持つ少年だった。あまりの展開についていけずきょとんとしていた璃緒だがどこかで見たことがあるような謎の少年をまじまじと見つめた。
「…誰だアンタ」
 視線に耐え兼ねた少年はぶっきらぼうに言い放ち、持っているリードの先にいた大型犬の背に手を置く。見透かされるような赤の眼からまさかとは考えたがすぐに有り得ないと首を振り笑みを作った。
「私は何かの手違いで迷い込んでしまいましたの。あなたは…どうしてここへ?」
「どうしてって、家の近くだからコイツの散歩してたんだ」
 少年が頭を撫でると犬は嬉しそうにくぅんと鳴いた。家なんてこんな所にあったのかと感心しながら安堵からか気が弛みだし溜め息が出てくる。小枝を放り出し、警戒しつつ不思議がる少年へと歩を詰めて目線が同じになるよう背中を丸めた。近づいて見ると記憶の彼により似ている気がして小さく唸ってしまったがまあいいわと結論付ける。
「迷惑だとは承知しておりますが、もしよければ街への抜け道なんかを教えて頂けません? 私、帰れなくて本当に困り果ててますのよ」
「…それなら兄貴が知ってる。アンタ、うち来るか?」
「ええ是非。心強いですわ」
「じゃあこっち」
 家の方であろう方向を指差しながらリードを引っ張る少年の姿を頼もしく感じて安心しながら璃緒は後ろを着いていくことにした。



「ここで待ってろ」
 玄関前でそう指示されれば頷いて聞き入れる。近くにあると言ってた通り歩いてから五分程度で着いてしまった。此処等から道も続いて出来ているのでもしかしたら案外そこまで街とは離れていないのかもしれない。下に続いてるので二手道さえなければ下りれそうだ。だけどそんな無謀なことはせず冷静になって少年の言葉通り待つ。
「ただいま」
「おや、もう帰ってきたのかい?」
「にーさまおかえりなさい!」
 扉の端に居たためによくは見えないが中からは少年の声に反応して二つの返事が聞こえてきた。恐らくさっき抜け道を知っていると話していた兄と会話から情報を得るに少年の弟だろう。
「なあクリス。街へ行く道とかクリスなら分かるよな?」
「ああ…。父様の研究室はハートランドシティにあるから覚えてはいるが、まさかトーマス…」
「違うっつの。街に行きたいのはオレじゃねえよ。コイツだ」
「ん…?」
 玄関まで歩めて来たらしい兄――クリスは弟の親指が立つ方へと目を向けると余程珍しいのか璃緒を見つければ目を真ん丸にした。まあこんな所に迷い込む者なんてそうはいないだろう。苦笑を洩らし軽く頭を下げた。
「初めまして、神代璃緒と申します。道に迷って困っていたところをこの子に助けて頂きまして。貴方の弟さんには心から感謝致しますわ」
 微笑めばややあって相手も柔らかく笑んだ。兄弟とは謂えど無愛想な弟と違ってクリスには優男の印象が見受けられる。
「それは災難でしたね。ああ、女性が危険な目に遭う前に見つけられて良かった。とにかく疲れてるでしょうから街へ行く前に紅茶の一杯でも」
「まあ…それではお言葉に甘えて頂こうかしら。何から何まで申し訳ありません」
 ぺこりと一礼すれば気にするなとばかりにクリスは両手を揃え出した。そんなやり取りに痺れを切らしたのかトーマスがつまらなそうに口を開いた。
「家に上がるなら上がるで早く入ろうぜ」
「こら、トーマス。客人の前でその態度は止めなさい。高貴な心を忘れてはいけないと父様から言われているだろう」
「ふふっ構いませんわ。ごめんなさいトーマス君」
 叱られてばつが悪そうに拗ねる子供らしい仕草が微笑ましくなりひっそりと笑みを溢したのだがそのせいか、トーマスは頬を赤く染めてはくはくと口の開閉を繰り返している。そして何かを諦めた風になると我先にと足早に家の中へ入ってしまった。不思議がってクリスの方を見れば面白そうに口元を覆っている。なんなのかしら。二人の相対する態度に怪訝になりながらも続いて璃緒も中へと導かれていった。





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続かない


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