!現パロ
好きな人と手を繋いで町を歩く。そう、これはデート。お洒落な服を着て、美味しいものを食べて、楽しい施設を回る。幸せなひととき。
明日香はすぐにこれが夢だと気づいた。明晰夢になってしまうぐらいなら最後まで気づかずこの夢を楽しんでおけば良かった。喪失感に肩を竦めて隣を見やればあの人満面の笑顔。ああ、でも幸せだからそれでもいい。二人は恋人同士のように微笑みあっていた。
ピピピピピ。一定の時間になれば鳴り響く機械音に布団から顔を出して現刻を確かめた。いつも通り朝の八時。欠伸をして身体を伸ばすと節々がぽきぽきと音を鳴らす。
(どんな夢だったかしら…)
目覚めた瞬間は時計に殺意すら抱いていたのに数分もしないうちに忘れてしまった。もしかしたら覚えてる価値も少ないどうでもいい内容だったのかもしれない。それでも満ち足りていたことはなんとなくで覚えてはいたが。
ピピピピピ。目覚ましを未だ止めていなかったことを思い出してボタンを押すとそれはすぐに鳴り止む。
「いけない、今日は兄さんが帰ってくる日だわ」
カレンダーについた赤丸が視界に捉えられ寝ぼけていた頭が起こされると慌ててベッドから跳び出る。資産家の両親は忙しく、朝早く出掛け、帰りは泊まり掛けか明日香が寝静まった頃にしか家に帰ってこないためほぼ独り身のような錯覚をしていたが、明日香には二つ上の兄がいたのだ。現在は彼も忙しさに身を追われめっきり会える時が減ってしまっていても、たまにこうして休みを利用してはわざわざ家に帰ってきてくれる。それがいつも楽しみで本人には調子に乗りそうだから言ってはやらないがその日周辺は浮き足立っていた。今回はどんな土産話をしてくれるのか。自慢げに大袈裟にして話す兄を想像し、ひっそりほくそ笑んだ。
スリッパを脱ぎ捨てて玄関の扉を開けた明日香は、驚きのあまり言葉が出なかった。そこに兄である吹雪が居るまでは正しい。だが、黒いコートに身を包んだ少年が共に居るのは流石に聡明な明日香でも予想はつかなかったのだ。
「ただいまーアスリン」
唖然と固まったままの明日香になんの気なしに挨拶を交わす吹雪に咄嗟に言えたのは釈然としないおかえりだけだった。満足して先に家に入ってしまった吹雪に置いていかれた少年は困惑の表情を浮かべてその様子に見入っている。後で問い詰めなければと溜め息を深く吐いて明日香は同い年だろう少年にちらりと目を向けた。どう見ても被害者である彼を実は知っていたりする。いくつも逆立つ黒髪につり上がった目、記憶の中の彼以外当てはまる人はそういない。けれども聞かずにはいられなかった。
「万丈目君…よね。同じバイト先の」
まさか固有名詞を指されるとは思わなかったのか少年――万丈目は目を見開いたがすぐに小さく頷く。やっぱり、と額に手を添えまた新しく溜め息を吐いた。何故兄と彼が一緒に居たのか不思議でしょうがないが寒い中客人を待たせるわけにはいかず、中へと招いた。
「理由なら後で詳しく聞くわ。お茶を淹れるから、どうぞ」
「…お邪魔します」
律儀に軽く頭を下げて靴を揃え入る万丈目に、ほぅ、としながらもリビングの方に案内する。両親を心配してるようだったが不在だとだけ告げると緊張していた身体から力がほんの少しだけ抜けていた。バイト先での無表情か怒鳴り顔の彼しか知らなかったからなんだか新鮮だ。そして新たな一面をこの目で見れたことが嬉しくてたまらない。眺めるだけの遠い存在だったし今この状況が信じられずにいる自分が居た。実は気になっていた人がすぐ触れられる所にいるのに顔を弛ませないよう我慢しなければとは至難の技すぎるではないか。
甘いものが苦手な吹雪は無糖のブラックコーヒーを咽に流し込んで専用のマグカップをことりと置いた。
「吃驚したなぁ。まさか明日香と万丈目君が知り合いだったなんて」
それはこっちの台詞だ。その明日香と万丈目はマイペースに発されたことに二人で同じことを思っていた。こんな繋がり方が在るなんて誰が考えるだろう。明日香にとっては万々歳だが、彼にとっては兄の思い付きは傍迷惑でしかない。嫌われたらどうしよう、だなんて乙女染みすぎてる。今の自分なら同じ高校に通うももえやジュンコの言う恋ばなといった話についていける気がした。しかしそういった女子らしい話に参加する自分自身を想像しただけでも恥ずかしさは沸き上がり、火照った頬を両手で包んでいやいやと首を軽く横に振る。
「と、ところで。二人はどうやって知り合ったの?」
そこでこの手の事には鋭い吹雪が悟らないうちにと新しく話題を作って誤魔化した。万丈目が家にやって来てからの当然の疑問なのだし流れも可笑しくはない。納得して受け取った吹雪の様子からは気がついてる仕草は見られなかったので一先ず安心だ。だけどこれから言われることに明日香は頭痛がしてくることとなる。
「特にそれといった理由は……強いて言うなら、彼とはこの家の前で出会したばっかりさ。名前も明日香から聞いて初めて知ったよ」
にこやかに笑う彼は、兄は、ああ、どうしてこうも楽天家なのか! 嫌われたどころてはないかもしれない。きっと失礼な奴の家族として一生認定されるのだ。ひっぱたきたい気持ち通り越して最早何も言えるまい。
「兄がとんだ御迷惑を掛けたみたいでごめんなさい…」
「あ、そ、それは…此方こそ何の手土産もなしに突然すまなかった。それに、師匠には短時間ながらも御世話になったのだしオレは気にしてなどいない」
「…師匠?」
「ちっちっ、万丈目君は恋の魔術師であるボクの弟子になったんだよ! だから師匠!」
「兄さんが話すとややこしいから黙ってて……って、え? 恋…ですって?」
明日香の聞き返しに万丈目は違うんだと白い肌を耳まで朱に染めながら大振りで否定するがそれが逆に確信を得ることとなり絶句する。せっかく接近するチャンスができたと思ったら崖から突き落とされたような真実。気が遠くなるのを感じ、手の甲を額に当て上を向いた。
「で、彼には恋愛についてをレクチャーする為にこれからは家に通って貰いたいんだけど、明日香はどうだい?」
どうだい、と言ってくるわりには有無を言わせない迫力がある。昔から強引ではあったが身内以外を捲き込むのは止めてほしいと頼んでいたのに。浮上しない気持ちを怒りで奮い立たせテーブルに肘を落とした。
「もうなんでもいいけど…兄さん仕事はどうするの?」
「それについては抜かりなし! 暫くは此処周辺での活動が主だし、明日香には厄介になるかなって」
吹雪は許しを得たことを万丈目に目掛けてする例の無駄にキレの良いサムズアップで表現したらしい。それに表情を綻ばせて勢いよく頷く彼を見てしまったらもう何も口に挟めなかった。
ずっと気になってた人が家に通う。よくよく考えてみたらそれは滅多にないチャンスなのでは。あの様子からしてまだ片想いの段階らしいし、自分にもまだ白星はあるはずだ。
紅茶を飲むふりをしてちらりと彼を盗み見してみる。兄と熱心に話し込むところから見てそれぐらい真剣なのだと感じ取れた。しかし兄と彼には悪いが、此方も本気で行かせて貰おう。早速第一の作戦に出るため少し身を乗り出して万丈目の手に軽く触れた。
「頑張って成就させてね、万丈目君」
これほどかって具合で笑んでみせれば期待してた通り僅かに頬に赤みが射し込む。自分で言うのも難だが、顔は良い方だと数々の告白で身を持って判っているのでこれは武器になると考えていた。だから作戦は成功。心にもないことを口にするのは些か胸が痛むがそれを覚悟しての事。使えるものは使わないとね、なんて吹雪が昔そんなことを言い張っていたのを思い出した。まさか今になって役立つとはあの時には到底思えなかったが。
(どこぞの馬の骨に渡してたまるもんですか…!)
めらめらとまだ知らぬ女に嫉妬心を燃やし明日香は決意を固める。その隣では「恋の匂いがする!」ときらきらした目で此方を見る吹雪に取り敢えず砂糖を突っ込み黙らせておいた。
-----
明日香と万丈目は同じバイト先で働いてるけど二人はちょうど交代時間と重なるので会話は×。
吹雪は初め不審者と思われたけど苗字を聞いてまさかと期待してたら本当にそうだったので絶対の信頼を得ました。
万→←←明日
補足がないと分かりにくいですね、ぐだぐだすみません!
夢は多分予知夢…?