ピーチ味と塩水

唇に鮮やかな赤を施した。化粧なんて七五三にした時以来で、鏡を見れば写っているのが自分ではないような気がして少々浮いた気分にさせる。

「とても似合っているわよ」
「けど落ち着きがないっていうか…変にそわそわしちゃいますね、お化粧って」

初めはそんなものよと綺麗な微笑みを浮かべて夏未先輩は私の顔から仕上げに余分なファンデーションを払った。鼻にかかる化粧品特有のにおいはあまり好きではないけれども、憧れの大人の女性になれたみたいで内心では嬉々していた。チークが乗った頬は淡いピンク色に染められてファンデーションの白とマッチしている。可愛い、と自分へ向けてはっきりと思えるぐらい素敵。

「よかったらこの化粧品、音無さんに貰って頂けるかしら?」
「えええっ!?だってこんな高級そうな物貰えるわけ…っ」
「いいのよ。どうせまたパーティーで頂けるし沢山余っちゃってて丁度いいから。お下がりになってしまうのは許して頂戴ね?」

ポーチに片付けながらそんなあっさりと言われたら断る隙もなくやや遠慮気味に頂くことにした。嬉しくはないのかと言われたら女の子なら誰でも手に入れたくなる物だし当然嬉しいに決まってる。だけどよくよく見ればCMや雑誌等でよく目にするブランド品ばかりで凡な中学生が持てないような物が多いから恐れ多い。お嬢様ともなるとやはり格が違うんだと思い知らされてしまった。

「そうだ…。ねえ音無さん、貴女の彼氏さんに今の姿を見せてあげましょうよ」

受け取ったポーチを鞄へと入れている途中で唐突に言われた台詞にげほげほとやや大袈裟に噎せ込んだ。

「むっ無理です!」

ぶんぶん首と手を横に振って否定すると、どうしてとばかりに小首を傾げられた。

「…あの敦也さんですよ?どうせ、よりブスになったって言われるに決まってます」
「何言ってるの。今の音無さんはとても素敵な女性なんだから、どんな人でも惹かれてしまうわ。彼だって例外なんかじゃないって私が保証してあげる」

背を屈めて私の制服のリボンを整えながら自信満々に言い返される。夏未先輩がしてくれたんだしそれは間違いないと確信は得ているけど相手が相手だから心配というか。踏み止まっていたらぽん、と背中を押されて足が二、三歩前へと進む。わわっと声を上げながらバランスをとって後ろを振り返ると、手を振りながら柔らかく「いってらっしゃい」と告げられてしまった。



口を尖らせて渋々敦也さんを探す事になったが緊張は大きい。せめて吹雪さんみたいにデリカシーがあれば良かったのに。言っても仕方がない文句に肩を竦めた。

「はーるーなさんっ」
「きゃあっ!?」

そんなところにズシッと重みがかかった。耳に聞こえるふふっ、とした特徴の含みある笑い方は吹雪さんだ。噂をすればなんとやらとはよく言ったもので。

「驚いちゃった?」
「急に来て驚かない方が変ですよ!」
「じゃあ成功だ」

私よりも小さい身長とはいえあまり大差はないから、そのまま後ろから首に腕を回されて笑いながら頬を指でつつかれた。こんな所を敦也さんに見られたら大変だろうなぁと他人事めく。けれどすぐにメイクの事を思い出して下にしゃがみ、意外にもすんなりと腕の中から抜け出すことが出来た。残念と言いながらもヘラヘラしてるからとてもそうには思えないがその表情が一変して私の顔を覗き込むようにしてきた。

「んん…?今日はいつもと違う雰囲気だね………あ、わかった。春奈さんメイクしてるでしょ」
「へ…よくわかりましたね…」

するとまたふふっと吹雪さんは意味深に笑った。

「僕が君の変化に気付かないわけないだろう?」

一言で今の気持ちを纏めると流石天然タラシのプリンスって感じだ。苦笑を溢すも些細な変化にも気付けて貰えて女の子個人としてはかなり嬉しい。吹雪さんみたいに敦也さんも、って変に期待して後で痛い目を見るのは判りきってるのに。私もまだまだ甘いのかなあ…なんて。

「これって敦也の為にしたのかい?」
「いや、夏未先輩にやってみないかって誘われて」
「だけど今は敦也を探してる。あながち違わないよね」
「はあ…」

妙なところで鋭い。私はまだ敦也さんとは言っていなかったのに、そんなに解りやすかったのだろうか。

「知ってるから教えてあげるよ。ほら、耳貸して」

ちょいちょい手招きして私を呼び寄せる彼に普通に言ったらいいのにと疑問を抱くも深くは考えず耳を傾けた。えっとね…。勿体ぶるように呟いて口元を手で包み込むと耳に優しくがぶりと。それから沈黙が訪れる。数秒後に私は理解して吹雪さんを凝視した。ちりちり痛みが走る耳を押さえて赤くなりながら体を震わせる。

「ふ…っ」
「兄貴テメェエエエエエ!!」
「って敦也さんどこから!」
「やっほー敦也。…ね?こうすれば来てくれるって解ってたんだよ」
「だからって本当にしなくても…」
「それは春奈さんへの提供代って事で」

ばいばいと降りかかる拳をひらりと華麗に避け、持ち前の俊敏さで何処かへ行ってしまった。まったく、人騒がせな人だ。でもお陰で来てくれたわけだしあれぐらいなら許してあげよう。

「…音無」
「はい」
「こっちに来い」

いつもより低い声が私に逆らう権利はないと告げていた。危険信号が脳で点滅してても既にどうする事も出来ない。腕を痛いぐらい掴まれながら私はづかづか歩く背中の後ろを着いていくしかなかった。



連れて行かれた先は人気の感じられないグラウンドから離れた空き地のような場所。太陽の方向というのもあるが木が生い茂っているせいか、全体が影に包まれている。やっと腕を離されたところで作り笑いを浮かべて敢えて軽い調子にどうしたんですか、と聞いてみた。

「あ?」

どうやら選択肢を間違えたみたいだ。真面目に聞いた方がよかったと今更ながらの後悔が押し寄せる。利かせてくる睨みが恐い。びくびくしていると大きくため息をついた敦也さんが頭をぐじゃぐじゃ掻いて空を仰いだかと思うとまた私に向き直した。

「……あのよ、春奈」

急に下の名前で呼ばれたから顔が熱くなる。今が二人きりとは謂えどあまりにも突然で心の準備がなかったというか、不意打ちは狡いんじゃないかと。釣られて赤くなったのを見てまた一段と熱が集中する。

「はい」
「前からずっっと思ってたけどお前、無防備すぎ」

え、と言葉が出かけた後に先程吹雪さんに噛まれた所と同じ所を舐められた。消毒するみたいに唾液を含ませた舌が丁寧に這っていく。

「…っ」

敦也さんの肩に顔を埋めて声を必死に我慢しても聴こえるぴちゃぴちゃって音は私を羞恥で懲らしめるには充分すぎた。最後にリップ音を発しながらキスをして離し、肩に寄り添う事で精一杯の私の顎をくいっと持ち上げられた。頭が回らない状態で見つめ合ってからのキス。いつもなら当然舌を入れてくるのだけど今回は苦い表情をしながら直ぐ様離れられる。

「おま…っ何だこの味…!」

ぺっぺと舌を出して気持ち悪がられるとショックを受けたがこの反応はキスされる上で一応覚悟はしていた。

「それは多分、口紅の味ですね」
「くち…べに…?」
「ナチュナルだから気が付き難いかもしれなかったですが私、今メイクしてるんです。リップもしてたし流石に唇だけは気付くかなって期待はしてたんですが…敦也くんはやっぱり気付かなかったみたいね」

わざとらしく口調を崩して嫌味たらしく言ってみると、ぐぬぬとする敦也さんに追い討ちをかけるようにため息を吐く。でも残念だったのは紛れもない真実でこのぐらいしないと気が済まなかったし。つーんと横を見ていたら思い立ったみたいに私のスカートのポケットから突然ハンカチをとられて頬を包まれると、ぐいぐいぐいぐい顔を拭われていく。摩擦で擦られる度に顔中に痛みが走った。

「いだだだだ」

これ絶対腫れる、腫れちゃう。引き剥がしたいのに力が強くて駄目。相手が満足するまで待つしかなかった。
数分後。

「…これでいいか」

ふう、と一仕事終えたように爽やかな笑みで汗を拭う姿を私は睨みつけた。顔中日焼けしたみたいにひりひり。

「せっかく夏未先輩にお化粧して貰ったのに、ばか!敦也くんなんてもういい!」

じわり。涙が出てきた。相手の顔が見え辛くなっても睨むのを止めない。夏未先輩の言葉を信じて遠回しにでもいいから可愛いって褒めて貰いたかった、なのに。全部めちゃくちゃで心もズタボロ。今の自分には惨めという言葉が一番似合う気がして手で顔を覆った。

「う…、えっ…」
「な、泣くなって…」
「さいて……っ」

ああそうだ、今日のハンカチはお気に入りの真っ白なやつ。それさえぐっちゃぐちゃ。考えれば考える程涙がぼろぼろ。

「なあ。なあってば」

肩を揺すぶられても私は泣き続けた。どうしてこの人を好きになったんだろうってそこまでネガティブになっちゃって。指でいくら掬われようとも枯れることはなかった。

「春奈ごめん。似合ってた、すげぇ可愛かったのにごめん」
「きっ、気付いても、いな、かったくせに…」
「それはその……でも俺は有りの儘の春奈が好きだ。そもそも化粧とかしてなくても可愛いと思ってるし、わざわざしなくていいんだよ」

言い聞かせられた事に震えながらほんと?、と聞くと柔らかくほんと、って返ってきてぐしぐし手のひらで涙を拭いた。

「泣き止んだか?」

赤くなった目を親指で触れる敦也くんにこくんと頷く。

「敦也くん、さっきの本当に信じていいんだよね?嘘じゃありませんよね?」
「まじまじ。まず惚れた女を可愛いと思わない方が変だっつーの」

やけに素直で逆に怪しかったけど耳まで茹で蛸みたいになってるから笑って信じてみる事にした。マフラーをいじって羞恥に耐えてる姿がいじらしくてとても愛らしい。膝を少し折り曲げて目と目がぴったり合うような高さになるとまずは額、次に瞼、鼻先、頬とキスを落としていき最後には唇に仲直りの印を送る。同じようにして敦也くんからも送られると悲しさや悔しさなんてどこかに行って幸せが溢れ返った。敦也くんも可愛いよ、と言い返せば口をヘの字にして小突かれたけど今はその痛みさえも私の中で至福に変わっていくのだ。



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題:望蜀
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