もどかしい劣情と

 なんだか町中が騒がしい。民衆共は相変わらずドンチャン騒ぎなのだが兵士達が異様な数で出回っている。こんなに外に居たのでは王宮はさぞがら空きだろうと思ってしまうぐらいには変であった。バクラは身を隠しながら薬屋に行き、事情を知っていないか店主に聞いてみる。
「兵士達の話から小耳に挟んだんだがね…なんでもファラオがこの騒ぎに紛れて王宮を脱け出したらしい」
 言葉がでなかった。復習すべき奴が、今、この手で殺せる場所に居る。それじゃあ探し出せば奴は袋に入った鼠のようなものじゃないか。燃え滾る憎しみがバクラを支配して止まない。
「で、お客さんはどんな薬を要望してるんだ?」
「え……あ、」
 声を掛けられはっとしたバクラは首を振り我を取り戻す。まだ耐え抜くべきであるはずなのに上手くコントロールできない感情を振り払って傷薬を購入した。ああ、なんてもどかしい。もっと、もっともっと力があれば。



 アテムの元に戻る最中もバクラの心は焦りで満たされていた。心臓が煩い。呼吸が儘ならない。瞳孔もきっと開いている。今すぐ八つ裂きにしてやりたいのにどうしようにもない劣等感に襲われくしゃりと前髪を握る。様々な危機に犯されながらも長い年月練ってきた計画をここで台無しにしてしまっては元も子もないだろう。畜生、と声を上げながら血が滲むまで壁に何度も拳をぶつけた。

「遅い!」
 戻ってきての第一声がこれだからバクラはため息を吐いた。拗ねてたのか愛らしく頬を膨らませ腰に手を当てながらバクラの前へと立ち塞がるアテムの頭に手を乗せ苦笑する。
「あいつらとまた喧嘩してきたからな」
「な!? …それで、大丈夫だったのか?」
「大丈夫もなにも…今のは冗談だ」
「はあ!?」
 騙すなんて酷いぜ、心配して損した、他にも色々な言葉を浴びせアテムは抗議する。バクラは一つも悪びれを見せないものだからより激しく荒らげ言い終わるとそっぽを向いてしまった。既にバクラの中ではアテムは美しい少年という第一印象がころころとよく表情を転ばせる面白い子供という印象に様変わりしていた。もしこいつが居なければ自分は今頃怒りに任せたまま身を滅ぼしていたかもしれない。そんな風に考えるとこの子供と出逢えたことに益々感謝せねばならない気がして素直に「悪かった」と謝罪の言葉が出てきた。アテムはまだ気が立っているようだったが渋々此方を向いて突然バクラの手を掬い取る。
「本当に、心配したんだからな…」
 己の胸元へ手を持っていき切なげに眉を寄せる姿には流石に罪悪感がわかないわけではなかった。少なくともバクラが喧嘩をするところを一部始終見ていたのだし絶対に負けることはないと知っているだろう。だがまるで失うことが恐ろしいと物語る雰囲気に呑み込まれ何も言えなくなってしまう。

 ばつが悪そうに唇を尖らせているとアテムは気づいたようにばっとバクラの手の甲を見つめ不安げに瞳を揺らす。また急に変わった表情に次はなんだと戦くも結局バクラからは何の声も掛けられなかった。
「喧嘩をしていないと云うのは嘘じゃないんだよな…?」
「ああ…」
 まさか嘘の方を信用したのかとかそれがなんだとぶつけたかったがあまりの真剣さに首を傾げるばかりで真意を見つけられない。
「血が出てるんだ…。これはどうしてなのか教えて欲しい」
 なるほどとバクラは頷き、不安がるアテムの頬をがさつなりに優しげに撫でる。これしきの怪我をそんな今にもバクラが死んでしまいそうな顔で見られても困るのだが心配されるのは嫌ではない。寧ろ久しぶりで嬉しかった。知らず知らずのうちに洩れていた笑みを間近で見たアテムの頬はほんのりと色づいたがそれに気づくことなく額をこつんと裏拳で軽く小突いた。
「これは自分でつけた傷だからテメェが気に病むことじゃねえ」
 そうは言ってもこの短時間で分かった心優しいアテムは自分が怪我をしたかのように痛々しそうに未だ綺麗な顔を歪ませている。こんな時の対処方法が分からないバクラは狼狽え喉から小さく唸った。
 するとアテムはバクラの手の中から買ってきた薬を奪い取り、きゅぽっと音を発てながら蓋を開けて自身の指で掬いとった。それを怪我の部分に塗りたくるが、本人は丁寧にしているようで不器用な手つきには気づかないまま乱雑な塗り方は怪我によく染みる。それでもアテムの健気な姿を見ると文句は言えなくなり黙って塗られていた。というよりもこれはアテムの為に買ってきたのだが馬鹿な事をしたせいで中身が減ってしまってることにバクラは深い溜め息を吐く。この調子で我を忘れたりする事があれば先が思いやられそうだ。
 自己嫌悪に苛まれて最初こそ気が付かなかったが、手に何かを巻き付けられる感覚がして明後日の方を向いていた視線を見下させる。定めれば薄汚れてはいるが質のいい布を包帯のように縛られていた。こんな物どこから、と尋ねようとしたがバクラはぎょっとして着ていたローブを千切るアテムの首根っこを慌てて掴んで作業を中断させた。
「たかが擦り傷に着るもの駄目にする奴があるか!」
 上物の布なんて庶民には滅多に手に入れることなどできないというのに平気な顔でするものだから思わず度肝を抜かれてしまう。もしかしたら金持ちの家の子だからなんて考えも浮かんだが、それならあんな汚い路地裏にいるわけもないだろと打ち消す。
「勿体ねー…」
 巻かれた布を翳し、無意識ながら呟いた。これを破っていないまま売っていれば少し汚れていようがましな金になったし当分食べ物にも困らなかったはずだ。躊躇なくやってみせたのは子供だから品定めできる目を生憎と持ち合わせていなかったのだろう。きっと自分とは違って正当な金と方法で手に入れたに違いなかったから羨ましさも兼ねて勿体なさげに眺めた。
「小さな傷でも危険な菌が入れば最悪腕一本駄目になるケースもあるって教えて貰ったからな。それを考えれば安いものだろ?」
「お前な…そう思うなら自分にやれよ」
 自分の方が傷だらけで痣もあるのに他人ばかりを心配するこの少年にはつくづく驚かされてばかりだ。アテムはバクラの言葉にゆるゆると首を左右に振り、怪我を負っていない方の手を握ってきた。
「オレはいいんだ。命の恩人とも言えるお前にもし何かあったらと思うと苦しくて生きた心地がしなくなってしまう」
 だから何故こうも大袈裟に捉えるんだ、こいつは。混じりっけのない無垢な瞳に見抜かれて声が出てこなかったがそれだけバクラにダメージを与えたことを知る由もないアテムは小さい背を伸ばし、胸を張っていた。





3に続きます。

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