すっかり日は昇ってやっと目が覚めた。最近は寝坊することが当たり前になった。朝と夜が逆転することはないけれど、そろそろ人の営みから外れそうな危機感がある。
布団から起きて着替えて顔を洗って、部屋に戻ったら馴染み深い人影。わたしが片付けようとした布団を丁寧に持っていた。それぐらい自分で出来るんだけどなあ。
「柱間兄者…起こしてくれなかったの…?」
「すまんすまん。ナマエがあまりにも気持ち良さそうに寝ていたから」
声をかけるぐらいしてくれたっていいのに…。忙しい兄様達に責任転嫁してはいけない。明日は自分で起きるようにしないと。
兄様は笑いながらわたしの布団を片した。里の長、忙しい兄様がいるのは昼前に仕事が一段落して一旦家に帰宅しているらしい。昼前って……もうそんな時間だったの…。
「お散歩しようと思ってたのに」
「今日は足場か悪いからやめたほうがよいぞ」
甘い香りと濡れた空気を感じる。そういえば畳も布団も湿っぽく部屋に入る光は昼なのに薄暗い。外は小雨が降ったり止んだりしているらしい。小雨程度なら忍にとって何ともないのに兄様ったら何を言っているの。兄様達なんて足場が悪いどころか敵の罠が張り巡らせた道も一族を率先して歩いていたらしいのに。
「ナマエ、髪が少し乱れている。オレに整えさせてくれ」
部屋の隅に置いてある鏡台から鼈甲の櫛を取りだし、柱間兄者がわたしの髪に触れた。鏡台の右の二段目の引き出し、そこにその櫛があるとよく解りましたね。鏡台も櫛も兄様が買ったものだから知っていても当たり前なんだけれど。
顔を洗ったとき寝癖は撫で付けただけだったため、櫛は何度か引っ掛かる。少し恥ずかしいけど家族だし…寝起きだから仕方がないと思っておこう。
繰り返し髪に櫛を通せば整った真っ直ぐな髪に戻る。さすが兄様。結構引っ掛かっていたのに一本も髪は抜けず、痛くもなかった。
「…ナマエの髪は綺麗だの」
櫛をわたしに一旦預けて髪留めを手にした。結ってくれるらしい。
「柱間兄者だって真っ直ぐじゃない」
「オレの髪はナマエほど綺麗じゃないぞ?」
それは兄様は忍だからだ。
わたしだって小さい頃、まだ戦場に出るのは早いと何度も言われ外で修行ばかりしていた時は兄様に似た髪だった。日を浴びて適度に痛み、砂埃で汚れたりもする。それを清めるお風呂が好きだったのに今じゃ寝る前の一日に区切りをつける作業でしかない。
本当に戦場を駆ける兄様達と違って「まだ早い」と言われ続け戦場に出ることはなく、この髪が血で汚れたことだってない。弟たちの遺体ですら見させてくれなかったのだ。父上も母上も皆、わたしには術を教えず、髪を結って花で飾ることしかしなかった。
「もう金木犀が咲いているの」
「ああ、数日前から」
兄様は軽くまとめた結い目に金木犀と玉簾を飾った。玉簾には茎の青くさが無く処理されたものだった。甘い香りは金木犀だったんだ…もうそんな季節だったのね。どうりで最近は夜が長いはずだ。
「ねえ、わたしも外を出歩いていい?まだ里の地理がわかっていないの」
小雨程度なら傘を持ち歩けばいいだけのこと。視界もさほど悪くなく、寧ろ日が照ってる快晴より暑さがなくて出歩くには丁度いい。
「未婚の女性が一人で出歩くもんじゃないぞ」
「いつの時代の話よ…」
「一族の集落とは違ってここは忍里だ。他所の国の者やまだ同盟を組んでない一族の忍だっているんだ」
「じゃあ柱間兄者付き合ってよ」
そういえば困ったように笑って「オレは忙しいんだ、すまんナマエ」とわたしの頭を撫で付ける。
いつもこれだった。外に出たいと言うときも、術を教えてと言ったときも。一族の仇を討つため戦場を望んだ日には何ヵ月も家から出してもらえなかった。
結局わたしの望みが叶ったことなんて何一つない。兄様達は望みもしない櫛や髪飾り、着物に帯留めばかり渡し続け家に留まらせる。
「夕方には扉間が戻るから、その時扉間に頼むといい」
あの扉間兄様が承諾してくれるわけないでしょう。それに最近日が沈むのが早いのに夕方に帰ってきても遅いじゃない。夜に出歩くなって怒られるだけに決まっている。
ていのいいように断ってるだけ。
「ええわかりました、そうします」
金木犀の花が咲いているうちに外に出掛けられるといいなあ。
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