どんなに美しい肌であろうと、細かい皺は必ずある。血でできる一筋の紅い道は、ガラスを伝う水滴とは違って不恰好に垂れた。ねっとりとしたそれを指筋で拭うと、滲むように指紋をなぞり広がった。
「えへへ…来ちゃいました」
先に真っ暗な空間から浮き出る橙の仮面が見え、後にゆっくりと影が全身の形を捉えた。
「トビ…くん、なんで」
鍵は閉まっていた。チェーンもかけていた。ドアを開ける音もドアノブを捻る音も無かった。真っ暗な影からゆったり現れ、気がついたら目の前に居た。
「何でって…ナマエちゃんがいつ来てもいいって言ったじゃない」
そうだけれど。そう言ったのは他でもないわたしなんだけれど。でも違う。彼はそんな人じゃない。わたしが許可した、いつでも来ていいトビくんじゃない。そもそも質問はそういう意味じゃなくて、彼はどうやって。
「ああ、アレなら大丈夫っスよ!ボクの仲間が処分してくれますから気にしなくていいです」
ああ、やめて。
いつもの口調で、彼の姿でそんなことを言わないで。ほしかった。
盲目的 トビくんとの出会いは、衝撃的だった。
わたしは度重なる任務で、人を殺したり、または性を使ってものを盗んだりする道徳観のない忍に嫌気がさしていた。
しかし「辞めたいです」と言って、辞められるほど忍世界は甘くない。特にわたしの里はそういうことはとても厳しく、民間で噂のブラック企業以上にどす黒いのだ。結局、そんな生活から抜けるためには掟破り、つまり抜け忍になるしかなく、抜け忍になれば当然追われる身になる。
考えもなしに逃げて、追われて、絶体絶命で、ああもう死ぬしかないんだなって時にトビくんは助けてくれた。
追い忍を倒して助けてくれたのではなく、わたしを抱えて逃げ切って助けてくれた。
そりゃあ敵もわたしも呆気に取られた出来事だった。
何処から音もなく急に現れ、素顔のわからぬ不気味な仮面と雰囲気、そしてあの暁の衣を纏った忍が、兎も吃驚な速さで逃亡したのだ。脱兎なんてレベルじゃない。抱えられたわたしも何がどうなっていたのか、その時の記憶は曖昧だったりする。
逃げ切った彼の第一声は「あーっ!怖かった!」、助けてくれた理由は「顔がボクの好みだったんでつい……」だ。あんまりな彼に脱力しきった。チャクラも体力も魂も、全部抜けてその場でへなりと倒れた
今まで忍をやっていて、こんなに規格外の人に出会ったことなんてなかった。
「へぇ〜ナマエちゃんって言うんですか!名前も可愛いっスね」
「えっ、仮面の下って…ナマエちゃんのエッチ!ボク達、会ったばかりっスよ!不潔!」
「暁?ああ、こう見えてもボク強いからね」
「いつも向かってくる敵を倒………す先輩の攻撃を避けてます。必死で!」
「はあ……」
「あれ?もしかして呆れてます?」
呆れるというより、警戒心がなくなった。のほうが正しいかと。
一を聞いたら、明後日の方角へ向かった回答を連鎖して答える忍に出会ったのは初めてだった。会話の噛み合わない流れに、警戒心どころか大切な何かまでストンっと落ちてしまったようだ。
ここからの記憶も曖昧なものだった。
トビくんに助けられてから忍をすっぱり辞めて、気がついたら何故か怪しさ満載のトビくんと恋人ごっこの立場にいた。
ごっこというのは、恋人なのか、何なのかよくわからない曖昧な立場だから。一応、命の恩人だからと素顔がわからぬまま、彼なら大丈夫だろうと色々許した結果の立場。
トビくんは暁で、そして忍だから頻繁に会えないけれどそれでよかった。馴れない一般人の生活に少し疲れたとき、嵐のようにやって来ては騒いで、去る。一緒に居ると楽しいし気分も気持ちも良くなった。
だからトビくんが忍でもいいと思っていた。忍でも、暁でも、犯罪者でも。トビくんは他とは違うって思っていたから。
「だって、トビくんは…へなちょこで…」
「ヒドイ!へなちょこってヒドイっス!ボクだって人ぐらい簡単に殺っちゃいますよ」
ぱたぱた手を動かし、笑う声は正しくトビくんだった。
ああ、わたしは何を期待していたのだろう。小さい頃に忍を夢見ていたように、彼が清いものだと勘違いしていたのか。
「ナマエちゃんは、まだ」
それでもわたしは、赤を見ないようにしていた。もう少し眠っていたい。
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