▼ 甘ったるい匂いをまとった小さな、

 ギラギラと、猥雑な街だった。
 小さな島の平凡な王国。その王都の片隅にある、風俗街である。
 安っぽいネオンの光が目に突き刺さるような景観。バーテンダーやコンシェルジュのような格好の男たちが客を引き、或いは肌も露な夜鷹たちが道行く者に科を作った視線を投げ掛ける。掲げられた屋号、道端に置かれた看板、どれ1つを取っても洗練などされてはいない。混沌と享楽に満ちた、退廃的な空気。
 広大な面積を誇る訳ではない。大層な歴史がある訳でもない。ここからここまでと決められた区画の中に、所狭しと建ち並ぶ建物。その間を縫うようにして敷かれた複雑怪奇な道を歩く者は多い。それも日が高いうちから相当な数である。
 数年前までは大した活気のない、夜になっても人でごった返すようなこともない寂れた場所だった。それが今では新店舗が次々と出来、わざわざこの街の為に島を訪れる者が後を断たない。外部の人間の出入りが増えれば自然と様々な需要が産み出され、港町や風俗街近辺の他の町も潤う。
 何故突然、特筆することなどない筈の島が風俗街を中心として賑わうことになったのか。その答えは、とある店の中にある。
 派手な外見の建物が多い界隈に、見逃しそうな存在感のなさで口を開けている細い路地──ではなく、店の入り口へと続く小路。落ち着いたトーンの石畳を先へ進んでゆくと、オークやマホガニーといった大樹の中に瀟洒な建物が現れる。店舗と呼ぶよりは屋敷と称した方が添う外観。眩いネオンサインの類いは1つもなく、寧ろ淡い電球の明かりが揺れている。看板らしきものは辛うじてあるが、それにしてもどちらかと言えば名家の紋章のように見える。
 観音開きの扉を押し開けると、重厚かつ美麗な建築様式とそれに合わせた調度に出迎えられる。ホールの天井から吊られたシャンデリアが淡い光を投げ掛け、靴裏を受け止めるのは柔らかな絨毯。ホールの中央に階段があり、途中から左右に別れて緩いカーブを描いて2階へと続いている。
 広い踊り場に当たるステップに面した壁には、繊細な細工を施された大きな額縁が掛けられている。そこに納められた肖像画の主こそが、正に島の発展に大きく関わった人物である。
 銀にも近い白金の長髪。血の色が透けたかのように赤みを帯びた菫色の瞳。肌は抜けるように白く、貴族の如き典雅な佇まい。ただ薄く微笑む唇に乗せられた紅の色が、払拭し難い婀娜っぽさを主張している。
 誰が見ても美しいと言うであろう女だった。肖像画を描いた画家が創作意欲をふんだんにに盛り込まなかったのであれば、本人もさぞや美人なのだろうと知れる。
 屋敷は、その美女が取り仕切る娼館だった。極力人目に触れないような立地、そして一見はにべもなく断るにも拘わらず、その扉の奥へと誘われるものは後を断たない。


◆ ◇ ◆


「ねぇ、いつまでここにいられるの…?」

 男の分厚い上体、逞しい背中に撓垂れた女の声が問う。
 室内はカーテンが引かれ、微かな間接照明のみが灯されていて薄暗い。そんな中で浮かび上がって見える程、白く撓やかな裸身だ。
 淡い光に照らし出された横顔は端整で、肖像画の女と瓜二つだった。彼女こそがこの屋敷の主なのである。
 視線を巡らせれば、その部屋は娼婦の1人1人に与えられた仕事部屋とは全く違うことがすぐに分かる。寝台は天蓋のついた豪奢なもので、壁際には衣装箪笥やドレッサー、小振りの書き物机などが据え付けられている。明らかに生活感が窺える、私室の様相。
 そもそも彼女は娼館を取り仕切っている立場で、客を取ることはない。本来ならば店の書き入れ時とも言えるこの夜半にベッドに上がっているなど、有り得ないことなのだ。だが、この男が相手となれば話は全く別だった。

「何だ、藪から棒に…娼婦の常套句を真似したい気分にでもなったのか、※※※?」

 滑らかな低音が鼓膜を震わせる。男はふぅっと濃い紫煙を吐き出すと、喉の奥で笑った。
 壁に取り付けられた照明から投げ掛けられている光に反射し、鈍く輝く金属──大きな鉤爪。余りにも特徴的なそれは、時に彼を一目で何者か知らしめる。
 王下七武海の一角、クロコダイル。
 彼はベッドサイドに足を下ろし、葉巻の芳醇な煙を棚引かせていた。背を向ける体勢になっているのは素気がないと言うよりは、寧ろ※※※に直接紫煙を吐き掛けないようにしているようだ。

「もう、茶化さないで頂戴…私、真面目に訊いているのよ」

 ※※※の細い指先が情交の最中に己が付けた爪痕の上を辿る。一つ一つを確かめるように触れる動きに、クロコダイルの目が細められた。まだ長さの大半が残った葉巻を渇きの手が砂に変える。そうして身一つに戻ると武骨な手で※※※に捉えて、己の膝の上へと転がした。
 碌な抵抗もせず、※※※はクロコダイルに膝枕をされるような形で彼の顔を見上げる。柔らかなオレンジ色の光に透けるとその瞳はピジョンブラッドのように赤く、妖艶な香りすら覗かせる。
 一種非人間的なその色香に、クロコダイルはうっそりと欲望を刺激されるのを感じ取った。“魔性”と呼ばれ、行く先々で人々に追い回され、平穏など知らずに育った女。警戒心が強く簡単には人に気を許さない彼女が、己にだけはこうも無防備な姿を晒す。その事実はクロコダイルの内の支配欲と優越感を堪らなく充足させる。そして同時に、どうしようもなく獣欲を煽られるのだ。

「やけに拘るな。俺が鉢合わせると厄介な客でも?」
「そんな人ここに入れないわ。私はただ…」
「……“ただ”?」

 半端なところで言葉を切ってしまった※※※を訝しみ、クロコダイルは先を促す。様々なものに翻弄され流されてきた女だが、臆病な性格ではなく自己主張ははっきりとする方だ。言い澱むからには何か理由があるのだろう。
 肌とシーツの上に散らばる白金の髪を弄んでいると、ふと、見下ろした先の※※※と目が合った。彼女は途端に顔を耳まで真っ赤にすると、勢いよく外方を向いてしまう。余りにも珍しい反応に、クロコダイルは数瞬呆気に取られ──ややあって、正気を取り戻した。手の内にあった髪を辿り項に、まだ赤みの残る耳に触れると、大袈裟な程にびくりと※※※の肩が跳ねる。

「※※※?」
「や、やっぱり何でもない…っ」
「何でもねェ訳あるか。こっちを向け」
「…い、や。今はだめ」

 クロコダイルから顔を背ける形で、彼女はふるふると首を振る。こうなると※※※は落ち着くまでは絶対に顔を見せはしないだろう。そういう頑なさも持ち合わせた女なのだ。
 とは言え、相手がクロコダイルとなれば、それ程強固なものでもないのだが。
 軽く息を吐き、耳の裏から顎先に向けて指を滑らせる。触れるか触れないかの力でその動きを繰り返していると、※※※の吐息が次第に浅くなり始める。それに構わず続ければ、緩く手を掴んで止められた。
 はぁ、と微かに濡れた息が漏らされる。薄い肩が小刻みに震えている。

「…それ、やめて、」
「止めさせてェなら素直に話すんだな」
「う……。私は、その…っ、もう少しいてくれたら、もしかしたら貴方の誕生日をお祝い出来るかもって…思っただけ、で…」

 しどろもどろにそこまで言うと、※※※はやはり顔を赤らめて、今度はクロコダイルの腹筋に顔を埋めるようにして塞いでしまった。
 が、次の瞬間にはそこに戸惑った表情を乗せて首が持ち上げられる。
 というのも、クロコダイルの股間が俄かに反応を示し始めていたからである。

「あ、あの…クロコダイル? さっきいっぱいした、わよね…?」
「今のはお前が完全に悪い」

 クロコダイルがすぱりと言い切ると、※※※はぐっと息を詰まらせた。だから言いたくなかったのに、と小声で呟きながら、思案するように菫色の瞳が瞬かれる。
 惚れた女に恥じらいながらあんなことを言われて、催さない男などいるのだろうか。仮にいたとしてもそいつはとんでもないヘタレ野郎かそうでなければ勃起不全者だ。クロコダイルはそのどちらでもないので、素直な反応が出るところに出たという訳だ。
 正直なところ、自分の誕生日のことなど、すっかり忘れていた。純粋に祝われたような記憶は片手で足りるような程度しかない。力を付けてからこの方は金や権力などを目当てに贈り物をしてくる連中もいたが、鬱陶しいだけで記憶に残るようなものではなかった。
 だが、考えてみれば先日確かに、8月が終わったのだった。この島に上陸したのが9月2日。本当にもう直に、誕生日らしかった。

「──口でする、だけだから…」

 確認するような、若しくはクロコダイルに言い聞かせるような声音。小さく開かれた※※※の唇が、頭を擡げているペニスの先端にやんわりと触れる。その顔には明らかに“口でする”だけでは治まらないであろう欲情の色が含有されていて、クロコダイルは密やかに口元に笑みを刻んだ。



16.09.05




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