▼ ご冗談はそこそこに

「は?」

 何を言われたのかさっぱり理解出来ない、という様子で目の前の美貌は顰められた。
 センゴクは頭を抱えたくなるのを何とか抑え、己の脇にいる彼女の元上司に助けを求める視線を投げた。その彼──大将“青雉”ことクザンは、何で俺がという様子を隠しもせずに口を開く。

「だからつまり……今度のシャボンディ諸島での天竜人の警護を※※※ちゃんにお願いしたいのよ」
「…私がその役目に相応しいと?」

 問い返してくる彼女の表情は険悪というどころの話ではない。綺麗に口紅の引かれた唇に咥えられたシガリロなど、今にも噛み折られてしまいそうだ。獣じみた瞳孔を晒す金の目に、じわりと額に冷や汗が浮く。
 だがセンゴクとて引く訳にはいかなかった。世界政府を通じて伝えられた天竜人の要望だ。拒否などすれば、どんな理不尽な叱責が飛んでくるやも分からない。しかも生憎と、ここには先方の要求に適う人物が存在してしまっているのだ。
 ※※※は間違いなく“若い女”であるし、警護という目的を考えても力量は申し分ない。ただ問題なのは──その人となりだ。

「大将以外で構わないから年若い女を、とのあちらからの要望だ」
「…私は媚び諂うのも天竜人もうっかり殺しそうな程嫌いですが」
「ほらセンゴクさん、やっぱ※※※ちゃんは止めといた方がいいって〜」

 だらけた声にお前はどちらの味方なんだと怒鳴ればクザンは肩を竦めて口を噤む。※※※の方はと言えば、眉間の皺をこれまでにない程に深くして、それでもまだ辛うじて部屋には止どまっている。あくまでも辛うじて、だ。

「……そこを何とか頼めないか」

 声を絞り出せば、※※※はふーっと長い溜め息を紫煙と共に吐き出した。その顔には分かり易過ぎる嫌悪の表情。それから、微かばかり諦念も含まれていた。

「…どうなってもしりませんよ」

 そんな“どうにかする気しかありません”というような返答に、しかしセンゴクは宜しく頼むと言葉を重ねることしか出来なかった。


◆ ◇ ◆


 あぁ、煙草が吸いたい。
 この際いつものシガリロとは言わない。軽い紙巻きでも我慢する。兎に角ヤニ切れなのだ、それも深刻な。警護中の禁煙を命じてきた元帥を絞め殺してやりたい。
 苛々している私の斜め前方には背の低い小太りの男。嫌な表情がその醜さに拍車を掛けていて、その手が度々私に触れようとしてくるのだから余計に苛付く。一瞬でも感触を感じるのが嫌で能力に頼らず毎度避けるのも些か面倒になってきた。
 眼下では人間屋のオークションが展開され、先程からあられもない格好をした女やらそこそこの賞金のついた海賊やら、または珍しい種族などが下賤な視線に晒されては落札されていく。来客の中には私を知っている海賊連中も交ざっており、覚悟だとかあの時の恨みだとか言いながら向かってきた奴らは軽くあしらっておいた。壁にめり込んだどこぞの海賊団の船長はびくびく痙攣しているが、まぁ死んではいないだろう。元帥の言い付けがなければ今頃鮮血の滴る首を門前に並べてやっていたところなのだ、寧ろ命が微かでもあることに感謝して欲しいくらいだった。全く、本当に苛立たしい。
 じっと黙して背後に控えた私の方へと、また天竜人の手が伸びてくる。それを大人気なくも剃まで使って躱して、私は嘆息混じりの声を漏らした。確実に不機嫌な時の低音だが、そんなことはつい数時間前にあったばかりの屑には分かるまい。

「目ぼしいものがないなら場所を移されては?」

 どこか周囲の人間を舐めくさった視線が私に向けられる。悍ましいと素直に思いながら、一応はその感情を表情に乗せないように努力しておく。女の平均よりも背の高い私の顔は椅子に座った状態ならば殆ど見えないだろうが、念の為だ。秘書だか政府の人間だか、黒服の男も付き従っているからそちらへの配慮でもある。
 んー、と如何にも愚鈍そうな声を上げ、目下の天竜人は視線をステージに向ける。そこでは現在、それなりに男の欲を煽りそうな妙齢の女が競りに掛けられていた。

「そうするえー、腹も空いてきたのだえー」

 ざらついた声に私とは反対側に控えていた黒服がご案内致しますと律儀な応答をし、天竜人は席を経った。
 漸くこの胸糞悪い場所から抜け出せる。私は小さく息を吐く。どこの誰が金で買われてどう扱われようと、真っ当な正義感が強い海兵でもない私にとってはどうでもいい話だ。そんなことより周囲から向けられる敵愾心が鬱陶しかった。纏めて狩り取ってやれないからこそ余計に。
 などと思っていたところで背後から研ぎ澄まされた切っ先が一直線に心臓を狙ってきたので、するりと雲になって避ける。そのついでに死角に回り込んでピンヒールの踵を側頭部に叩き込めば、明らかに海賊の見た目をした男は綺麗に床にめり込んだ。その脊髄の上にヒールの先を乗せ、私の喉はやはり不機嫌な音を生み出す。

「…次に顔を見たら仲間毎狩り潰す」

 控えない殺気に、足の下の男と少し離れた場所の一団から悲鳴のような声が上がった。ここにいるのはざっと8人か。総勢何人だか知らないが、去り際の私を足止めした罪は重い。彼らが思っている以上に。
 このまま背骨をへし折れないことに舌打ちを一つ零して、私は人間屋を後にした。
 ほんの3メートル先に進んでいる天竜人に追い付き、はぐれたことにして逃げ出したいなと思う。これではどうしようもないサボり癖を持つ元上司のことを悪くは言えないが、私にも嫌な仕事の1つや2つ存在する。こんなイレギュラーな、元帥直々に押し付けられた仕事でなければとっくに職務放棄していただろう。
 そんなことを思っているうちに目的地に着いたようだ。そこはシャボンディ諸島で最も格の高いホテルであり、レストランもそれなりの評価を受けていた。まぁ選択としては妥当だ。世界貴族様なぞのお口に合うかは知らないが。
 鬱陶しいまでの謙った態度で店内に案内され、完全に人払いをされた席に通される。高層にあるテラス席は下を行き交う人の様子がよく見えて、全くいい趣味をしているものだと思った。下々の人間を見下ろしながら食事なんて、こちらとしては楽しくも何ともない。護衛係の私の口に料理など入る訳もないのだが。
 などと思っていると、何故か着席を促された。その意図を理解出来ずに黒服に視線を投げれば、何をもたもたしているんだと言わんばかりの顔をされる。天竜人の要望ならば何でもありなのかこいつらは。
 もう反論する気すら起きず、私は仕方なしに醜男の向かいの席に腰を下ろす。その間際に羽織っていたコートをさり気なく回収した辺り、流石は最高級ホテルの使用人は教育が行き届いているようだ。
 お行儀よくしろよと幼い子供に言い聞かせるように何度も言われていたが、癖とは怖いものでつい脚を組んでしまう。が、特段お付きから叱責は飛ばず、天竜人の方も気にしていない素振り。元帥の言い付けを途端にどうでもよく感じてきてしまい、私の口は欲求のままに言葉を発していた。

「葉巻…吸っても?」
「好きにするがいいえー」

 流石に咎められるかと思ったが、意外にもあっさりと許可が出される。それを受けてシガーケースを取り出そうとしていると、さっとホテルマンが御大層なケースを差し出してきた。中には普段吸わない太さのものが並べられている。それが軒並みいい銘柄だったから、私はついそのうちの一本を選び出していた。
 普段シガリロを咥えているからと言って、別に葉巻が嫌いな訳ではない。細いそれを愛用しているのは単に持ち運びが便利だとかそういう理由で、こうして差し出してくれる人間がいるならわざわざ選びはしなかっただろう。
 カットを聞く声にパンチと答え、素早く綺麗に切られたそれを受け取る。古風にも長マッチで差し出された火に口を寄せれば、芳醇な香りが鼻孔を満たした。それがどこぞの男の纏っているものと似た芳香なのには嫌悪を通り越していっそ笑えてしまう。どうしたらこうまで似るのだか。何もそこまでシンクロする必要はあるまいよ私のDNAたちよ。
 苦笑と共に紫煙を脇に流すように吐き出す。食事の場では褒められたものではないと理解はしている。だが限界だったのだ。欲求不満な時に目の前に美味そうな餌を並べられて、飛び付かない奴というのはいっそ変態的に忍耐強いのか寧ろ自制することに快感を覚える変態なのだろう。
 流石に太さがあるから手を添えて葉巻を燻らせる私に──私の組んだその足先に、ついと何かが這う感触。間違いなく目前の男の指だ。分かりたくなどなかったが一度認識してしまえば、それは不快感を齎すもの以外の何にもなり得ない。

「そなた気に入ったえー、連れ──」
「小汚い手で触るな下衆、穢らわしい」

 瞬間、私の口から飛び出していたのは地を這うような怒声だった。我ながら沸点が低い。しかし受け付けないことというのは誰にでもあるもので、そう、私にとってはその一つがこれだった。
 誰が色目を使われて喜ぶだろう。こんな身分しか取り柄のないような糞野郎に。せめて見た目が好みなら少しは、ほんの少しくらいは我慢してやったかもしれないが、それもこの男相手では有り得ない。
 己の言葉を罵倒で遮られたことに呆然としているらしい天竜人と、口をぱくぱくさせて咎めることすら出来ていない黒服を尻目に、私は席を蹴立てた。葉巻の煙を棚引かせ、預けたコートを受け取って一言。

「…帰る。代わりの護衛くらいは寄越してやるわ」

 どう聞いても失礼極まりない言葉を残して、私はふっと体を雲に変えた。


◆ ◇ ◆


「──お客様…お客様、お待ち下さい」

 その声が掛けられているのが自分だと気付いたのは、たっぷりと一拍を置いてからだった。※※※が振り返れば、支配人然とした初老の男が後ろから足早に近付いてくるところだった。
 ホテルのフロントに続く長い廊下でのことだ。姿を変えていたのは下階に来るまでで、そこからは流石に自分の足を使って歩いていた。ヒールが鳴らす筈の不機嫌極まりない音は上等な絨毯に吸われ、幸か不幸か高い天井に響くことはなかった。
 苦情でも言われるのかと顰め面で立ち止まれば、彼の口から出たのは全く違う言葉だった。

「オーナーが是非貴女様をお呼びしたいと申しておりまして」

 ご足労頂いても、と言われ、※※※は思わず怪訝な顔になった。オーナーが一体何の用だというのか。しかも苦言を呈されるような雰囲気ではない。
 一刻も早く帰りたい気持ちが胸中に渦巻いているが、帰ったら帰ったで今度は元帥の相手に骨が折れるだろう。となればほとぼりが冷めるまで時間を潰した方がいい。その場所にまだ天竜人がいるホテルを選ぶのもどうかと思うものの、他に候補地もない。街を歩けば天竜人のいるなしに拘わらず否応なく目立つことは先程までの面倒な仕事で十分に身を以て分かっていた。
 肯首すればどこかホッとしたような息が男の口から漏らされる。その先導を受けて、※※※はホテルの中を進む。レストランに行ったのとは違う場所に設置された階段で上階へ昇れば、落ち着いた高級感を持つ空間に出た。廊下のようなものはなく、ぽつんとある扉の向こう側はワンフロアぶち抜きの部屋になっているようだ。
 どうぞお入り下さいと促されるままに※※※は足を動かす。そして開かれた扉の向こう──には、誰もいなかった。ただだだっ広い空間が広がるのみだ。
 背後でぱたんと扉を閉じられる音を聞きながら視線を巡らせれば、どっしりとした執務卓の上にブランデーのボトルとグラスが見えた。汗を掻いているグラスの中にはまだ氷が形を止どめており、人の気配を感じさせた。
 だが人影はない。疑問に思いながら眉を寄せたところで、もふりとした感触が※※※の体を包んだ。

「随分ご機嫌斜めだなァ、※※※ちゃん」
「! ドフラミンゴ…っ」

 体に回された腕、それが纏う目に痛いピンクは間違いなく悪趣味なあのコートだ。そして耳元で囁かれた声も、寸分違わずあの男のものである。
 手を振り払って距離を取ると、サングラスをした不敵な男と対することになる。どこまでもいつも通りなその立ち姿に、※※※は声を荒げる気も失せて溜め息を吐いた。手広くビジネスをしているのは知っていたが、ホテル業界にまで進出していたとは。

「フッフッフッ、驚いたか?」
「…それなりにはね」
「いい啖呵だったぜさっきの…ゾクゾクしちまう」

 ニヤニヤ笑いを目の端に収めつつ、※※※はちらりと執務卓の上に目を遣る。そこにはちょこんと電伝虫が乗っていて、小さいボリュームながら何事か音声を流していた。
 その内容にくっと※※※の眉根が寄る。

「盗聴とはいいご趣味だこと」
「そう怒るなよ、好きなだけ匿ってやるから…な?」

 ガチャリと外しっぱなしだった受話器を置いて、ドフラミンゴはブランデーを差し出してくる。いつもなら仕事中だと撥ね除けるところだ。しかし、※※※は少し考えてからグラスを受け取った。
 仕事はつい先程放棄してきたばかりだ。ムシャクシャしている気分を落ち着かせる為にも、少しくらいアルコールを入れても構うまい。
 それは完全に言い訳に過ぎなかったが、濃い液体を喉に流し込めばそんなことはどうでもよくなった。腰を抱いてこようとするドフラミンゴの手を避けながら、勝手にソファに腰を下ろす。如何にも特注らしい金糸の使われた織地は、適度な硬さで※※※の体を受け止めた。

「なァ、触られたとこ消毒してやろうか?」
「…結構よ。余計汚れるでしょ」
「あっヒッデ、俺傷付いた慰めてくれよ※※※ちゃァん」

 背凭れの向こう側からちょっかいを掛けてくるドフラミンゴに煙を吐き掛ける。不意打ちにゲホゴホ咳き込んでいる姿を見ながら、あぁ誰か代打を寄越すように連絡をしなければ拙いなと、※※※はどこか他人事のように考えていた。
 ──結局、※※※が不承不承電伝虫を手にしたのは日も大分沈んでからのことだった。






ご冗談はそこそこに
(あー…元帥、こちら“緋雨”ですが)
(※※※! お前先方に一体何をした?!)
(えぇとですね、)
(今後も是非警護をと先程連絡を受けたぞ!)
(………は、ぁ?)
(兎に角一度戻ってこい、訳が分からん!)
(…私にもさっぱり訳が分かりませんわ元帥)



14.1.28





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