▼ 心臓が足りない

 カーテンの隙間から差し込む朝日の淡い光。午前7時の5分程前。
 もぞ、とシーツが動く気配に私は伏せていた目をそっと押し開く。綺麗に整えられたキングサイズのベッド、そのほぼ中央に横たわる人影。 身動ぎに呼応して黒い艶やかな髪がさらりと流れて、私の視線を奪っていく。
 薄い布の下に感じられるのは逞しい肉体の陰影。柔らかな枕に埋められていた顔が横を向いて、その美しいラインを描く額から鼻梁までが露わになった。
 あぁ、好きだなぁ、と思う。本当に、こうして側からじっと眺めていたって全然飽きやしない。それよりも愛おしさがどんどん募って、お目覚めの挨拶をしてあげたくなる。意外と怠惰な私は普段はこんな早朝に目覚めやしないが、こういう日は特別だ。
 するりと寝床から抜け出して裸身に服を緩く纏う。私の気配に気付かないまま彼がもぞもぞと動くのを見つめながら、私はそっとベッドの上に乗り上げた。
 上質なスプリングは私程度の体重が加わったくらいではきしりとも鳴かない。それをいいことに、私は未だ夢現の世界に微睡んでいる彼の肉体に覆い被さるようにして薄い上掛けの上に這った。この上なく、好きで好きで堪らない顔を間近から覗き込む。この瞬間の如何に至福なことか。
 流石に近過ぎるからか、眉間に皺が寄って覚醒の気配。密度の濃い睫毛、切れ長の目がゆっくりと開いて──微かに眠気を残した金の瞳が、私を捉える。

「おはよう、Mr.クロコダイル」

 瞬間、綺麗な軌道を描いて飛んできた右の拳が、私の側頭部にクリーンヒット。水音と濃厚なアルコールの匂いを漂わせて、私の頭の輪郭は揺らいだ。

「あん、鰐ちゃんたら朝から激しい…」
「テメェ…一体どこから入ったレディ・バッカス」

 割とリアルに恍惚としている私とは対照的に、如何にもご立腹感満点な声音で彼──クロコダイルが問うてくる。あらやだ、そんな愚問を投げられようとは。

「昨日貴方が手ずから選んでくれたんじゃない、私を」

 にこりと微笑むと、クロコダイルの不機嫌な顔には怪訝な表情が浮かぶ。
 暫くの沈黙、それから視線はゆっくりと、サイドボードへ。そこにに置かれているのは灰皿とショットグラス、それから高級なブランデーのボトル。
 そうそう、それが正解も大正解。流石は私の鰐ちゃん、察しが宜しい。
 私は酒瓶の中でゆったり一晩過ごしていたのだ。何せ私は能力者の中でも“自然系”のアルコール人間だ。体が酒なのだから酒瓶の中に潜むなんて朝飯前である。クロコダイルが好きそうな瓶に入っておけば自動的に運んでもらえるし、我ながらよく考えたものだと思う。寝酒するクロコダイルの様子も堪能出来るし最高だ。
 何度目かになる侵入も、最近慣れられたのか諦められたのか、余り激しく撃退されない。精々寝起きとかだと鮮やかな一撃が飛んでくるくらいだ。無視されるのも冷ややかな視線に見下されるのも大変に美味しいので、放置プレイだって私は大歓迎である。

「思い出してくれた?」
「心底呆れ返って溜め息も出ねェ」

 忌々しそうに言葉を吐き出して、クロコダイルは私ごと簡単に上掛けを捲った。
 ころりと転がったベッドの上、仄かに葉巻と香水の匂いがして私は思わず一瞬息を止めていた。やだ、どうしよう興奮する。さっきはクロコダイルの寝顔に釣られてふらふら寄っていっただけだから深く考えていなかったけど、クロコダイルのベッドの上に今、私は恐れ多くも寝そべって、いるというのか。
 取り敢えず転がされた体勢のまま、すーはーすーはー深呼吸しておく。男臭いけど上品な香りがしてもう何ていうか堪らない。言葉にならない。体臭までイケメンとは恐れ入るわ。
 そんな訳で途端に静かになった私を訝しく思ったのか、クロコダイルの声が向こうから飛んでくる。

「おい、何してる」

 それに反応して顔を上げると、そこにはラフテルが広がっていました。
 思わずばっと顔を逸らす。わぁ死ぬかと思った。死ぬかと思った。大事なことなので以下略。
 だって、クロコダイルの生着替えである。
 脱ぎ落とされたシルクのバスローブ、シャツに袖を通すその背中の美しい筋肉のうねり。微かな朝日に浮かぶ横顔は正に神憑り的なシルエットで、さっさと着替えて鉤爪を嵌めているその仕種一つにしてもいやに萌える。ご馳走様です。朝からお腹一杯です。っていうか何なの、誘ってるの? 何でそんな無防備に肌を晒してくれてるの?

「おい、聞こて──」
「聞こえてる聞こえてる聞こえてます待ってキャパオーバーするからちょっと待って」

 深呼吸して落ち着こうと思ったらクロコダイルのいい匂いがするし、かといって顔を上げたらコートなしのイケメンが見えるし、しかもまだ髪が降りたままで何か雰囲気違うし、ここはクロコダイルのベッドの上だし、あぁ、うん、もうよく分かりませんね。
 私はふらりと立ち上がるとてくてく歩いていって、軽やかにクロコダイルの腰辺りにタックルを決めた。勿論ノーダメージである。単に腰辺りに抱き付いた、と言った方が正しい。
 この腰付き、正に魅惑。微妙にお肉の乗った中年感が逆にエロい。その割腹筋はしっかりあるし、ウエストラインは黄金比みたいな綺麗さだし、あぁ堪らない涎出そう。

「鰐ちゃんのせいで朝から興奮して辛いから責任取って踏んで下さい」
「離れろ変態、朝からテメェに構うような暇はねェんだ」
「やだ冷たい!でもそこが好き!!」

 私の脊髄反射極まりない本能的な叫びにクロコダイルの蟀谷に浮かぶ青筋。あ、これはいいドスを利かせた声が聞けるぞ──と、あくまで私の思考回路はクロコダイルにぞっこんモードなのだった。

「歯ァ食い縛れ」
「何の意味もない気がするけど鰐ちゃんがそう言うなら喜んで!」

 前略、私的リアルワールドの類縁並びに知り合い諸君。今日も私は大変幸せです。






心臓が足りない
(トキメキ過ぎて死ねそう…いや死ぬわもう…)
(ダズ、死体は放り出しておけ)
(何その扱いご褒美?)



13.10.22





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