▼ 愛煙仲間の積念

「…お」
「…あら」

 廊下でふと鉢合わせした女に、俺は淀みなく動かしていた足を止めた。
 海軍本部の一画だ。帰ろうとしている俺と、どうやら今帰ってきたらしい相手。視線を軽く交わして、お互いに久し振りだなと挨拶をする。
 すらりとした体躯にコートを引っ掻けたその姿。俺と同じように、殆ど欠かさずその口元に咥えられているシガリロ。どこか斜に構えたその様子は、新兵の頃からどこも変わっていなく見える。今や中将だが、※※※は嘗て同じ隊にいたことがある、言わば昔馴染みだ。
 種類の違う煙が混ざり合って独特の匂いを漂わせる。そういう空間に身を置くのも随分と久し振りなことのように感じられた。まぁ、それもそうだろう。俺と※※※が同じ現場で働いていたのはもう数年前のことになる。

「あの噂、本当なのか」

 何ヶ月か前に一頻り海軍内をざわつかせた話を唐突に思い出し、俺は声を上げていた。金の目がゆっくりと瞬かれ、問い返す声を投げてくる。

「あの?」
「お前がクロコダイルの──」
「その話はもっと人の来ないところでしたいわ」

 皆まで言う前に鋭さを孕んだ声が俺の言葉を遮った。何度も同じ問いを投げられているのだろうか、その顔には若干の辟易が見て取れる。※※※に率直に立ち入ったことを訊ける奴はそういないと思うが。
 ふいと合わせていた視線を逸らして※※※が先を歩き始める。特に行き先を尋ねるでもなく、俺はその後ろに続いた。
 追い掛ける背中が背負う“正義”の文字。それは周囲のもふもふとした毛に半ば覆われて埋もれているようにも見える。
 そういえばこいつはまだ新米の頃にもよく柔らかそうな毛の上着を羽織っていたな、と俺は思い返す。※※※は海軍に入った時から今のような不遜な態度で、ついでに言えば今のような特別扱いをされていた。
 その若さの割には滅法強く、しかも途中まで能力者であることを隠していたからだ。※※※が能力を使わずに偉大なる航路で立てた武功は、そこらの年季ばかり入った海兵とは一線を画していた。中将の座にしても、他人に滅多と指図されない地位を欲した※※※が、新世界の海賊共を排除するという交換条件の元で与えられたものだという。
 その性情は華麗にして苛烈と評される。だが何者にも媚びない態度は、※※※の実力と険を含んだ美貌とを以てすれば、密かに親衛隊だかファンクラブだかを作られる類のものになるらしかった。そんなものの存在を知ってか知らずか、※※※は直属の部下以外には素っ気ないながら甘い様な面がある。歯牙にも掛けていないから適当に扱っているのだろう、というのが俺の口には出さない推論だ。そして恐らく当たっている。
 ※※※は暫く歩き、一つの扉の前で立ち止まった。するりと室内に体を滑り込ませるのに続くと、そこは既に使われていない資料室のようだった。隅のあちこちに埃が積もっている。

「…で、どうなんだ」
「事実よ。でも血縁関係があるだけ。──ただ、それだけ」

 些か性急な気もする俺の再びの問いに、※※※は溜め息混じりに答えた。それは俺の態度というよりも、口にした事実の方に嫌気が差している風だ。
 何せ※※※は海賊が大の嫌いである。そんな自分が海賊の血を引いているとなれば、そりゃあ嫌にもなるだろう。
 そんなことを思いながら俺は微かに気になっていたもう一つの方を口にする。

「この分で行くともう一つの方も本当の話なんだろうな」

 壁に凭れ掛かるようにして立った※※※は先を促すように器用に片眉を上げて見せる。

「…ドンキホーテ・ドフラミンゴとデキてるって噂だ」
「あぁ…それね」

 再び吐かれる溜め息。だが今度のそれは少しだけ、苦笑を含んでいるように感じられた。
 珍しいこともあるもんだと視線を上げれば、金の目は思いの外柔らかい色を宿している。ぞくりとして、俺は慌ててまた目を伏せた。それを隠すように紫煙の流れを追って虚空に視線を彷徨わせた。

「否定はしねェんだな」
「一々否定するのが面倒になってきたの」
「本当にそれだけか?」
「…さぁね。でもまだナニもしてないわよ?」

 ふふ、と今度は明確に笑みが漏らされる。そんな顔を見るのは、初めてかもしれなかった。自分では気付いていないのかもしれないが、※※※は随分と険のない表情を浮かべている。まるで──そう、年相応の女のような。
 舌打ちが出そうになるのを抑え、俺は※※※を盗み見る。壁に少し寄り掛かるようにしたその立ち姿。その姿勢だと普通はだらしなくなりそうなもんだが、何故だか雑誌のポートレートのようにやけに様になっていた。そういうところがまた、男にも女にも人気な理由の一つなんだろう。
 濃く長く紫煙を吐き出して、俺はゆっくりと腕を組む。上げる声は出来るだけ、内心の動揺を反映させないように気を付けたつもりだ。

「前から思ってたが、男の趣味が悪過ぎるんじゃねェかお前」
「その悪い趣味の範疇に入っていなくてよかったわね、スモーカー君」
「…あぁ、そうだな」

 嫌味な言葉になってしまったそれに、ニヒルな笑いが返ってきた。
 決して自慢になぞならない過去だが、俺は※※※と関係を持ったことがある。恋愛感情なんて微塵も含まれやしない、ただの“気の迷い”“一夜の過ち”と言える程度のものだ。お互いその後顔を合わせても気拙くなるようなこともなかったし、況して敢えて言及するような真似は避けていた。
 だがこうして口にされてみると、微かな棘のようなものがちくりと俺の内側を突き刺した。お互いに執着も後腐れもない筈だ。確かにそうである、のに。
 ※※※のシガリロがじわりと終わりに近付き、その口から離れる。床に放られたそれは、くしゃりと如何にも高級そうな革のピンヒール靴の底で潰された。間髪入れずに取り出された銀のシガーケースから新しいものが一本抜かれ、切られた吸い口がまた唇へ。
 俺は細い指がいつものライターを取り出すよりも先に、無言で自分の葉巻の先をそこに寄せていた。手をついて自分の体と壁との間に※※※を閉じ込めるような体勢。必然近くなった顔、意外なものを見るような金の目が俺を射抜く。

「──※※※、」
「スモーカーさんっ!」

 場の雰囲気をぶち壊す、というのは正にこういうことを言うんだろう。
 じろりとした眼差しを肩越しに投げれば、どこで俺がここにいることを知ったのか、開かれた扉の向こうで部下の女が身を強ばらせていた。おろおろした視線は俺と、俺の体に殆ど隠されている※※※との間を行き来している。

「…たしぎ、取り込み中だ」
「しっ、失礼しましたっ…!」

 驚く程低く、脅すような声音が口から飛び出したのには、自分でも驚いた。びくんと肩を跳ねさせて、顔を真っ赤にしたたしぎは脱兎の如く部屋を出ていく。
 はぁーっと呆れ返ったような嘆息が出たのは仕方ないことだったと思う。
 気拙くなってがしがし頭を掻きながら体を離すと、※※※はくすくすと喉を鳴らした。火の移った細葉巻を美味そうにふかし、緩く額に掛かった前髪を払い除ける。その仕種は如何にも、たしぎよりも年下だというのに、大人っぽい女のものだった。

「可愛い部下を余りからかうものじゃないわよ、スモーカー君」
「…嘘は言っていない」
「そうね…ふふ、イケナイ人」

 きゅうと切れ長の目を笑みの形に歪ませて、※※※は悪戯げな顔をする。それはどこか俺の言葉が遮られたことを安堵しているようでもあり、何故かまた胸の奥がちくりとした。

「ところでその呼び方はどうにかならねぇのか、年上だぞ」
「…これでも敬意を払った呼び方のつもりなのだけど。それなら“スモーカー先輩”とでも?」
「止めろ気色悪ィ」

 苦し紛れに口にした言葉に、※※※は科を作った声で答えてくる。耳朶を擽った甘い響きにぞっとして、俺はその提案を撥ね付けた。気色悪いと言うよりは、本当は自分らしくもないことを考えてしまいそうになるからだった。
 ころころと屈託ない笑い声を漏らし、※※※は俺の鼻先を指でつつく。瞳に喜悦の色があるのは、俺の内心など見透かしちまっているからなのだろう。

「それなら現状維持ね、スモーカー君。あと一応指摘しておくけど、階級は私の方が上よ?」
「敬語でも使った方が宜しいですか※※※中将殿?」
「やだ、滅多なことしないで。私また新世界にとんぼ返りなのよ? 航路が荒れたら面倒だわ」
「テメェ…」

 ひくりと蟀谷に血管を浮かせると、※※※はおどけた様子で肩を竦めてみせた。
 その薄い唇が紡ぐ「スモーカー君」は流石は父娘かクロコダイルのそれとイントネーションも僅かな発音の癖もそっくりで、だがそこに少しばかりの親愛の情を含み込んでいる。女にしては落ち着いた、微かにハスキーな声にそう呼ばれるのは嫌いではない。そういう風に呼ばれるのが俺一人であることが、それを許してしまう理由の一つであるとは──今は考えないようにしておいた。






愛煙仲間の積念
(…※※※ちゃん、誰といたんだ? 知らねェ男の匂いがするぜ)
(…いつから狗になったの貴方。ただの先輩よ彼は)
(へェ、随分仲いいんだなァ…妬けるじゃねぇか)
(……はぁ)
(アッ待って※※※ちゃん馬鹿なこと言わねェからもうちょっと抱っこさせて!)



13.07.09




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -