▼ 愛鳥週間しませんか

 果てもなく苛々する。理由は珍しく馬鹿鳥野郎ではなく──いやあれも十分鬱陶しいことこの上ないのだが──主原因は別にあった。
 カツコツとヒールの音を響かせて歩く海軍本部の廊下。そこにはでかでかと、「禁煙週間」というご達筆な墨書のポスターが一定の間隔で貼られている。私の苛立ちの原因は正にこれという訳だ。今すぐにいつも通りにシガリロに火を点けて、ついでにこの目障りなポスターを焼いてしまいたい。
 本部だけでなく支部までもがこうらしく、更には己の軍艦の上ですら喫煙禁止ときた。殆ど常に紫煙と仲良くしている私としては違和感が半端ないことになっている。それは他の愛煙家たちにも言えることで、つい昨日顔を会わせたスモーカーなど死にそうな顔をしていた。嗚呼、その気持ちはよく分かるよスモーカー君。私もヤニ切れで大分参っている。
 自宅で散々ふかしたところで貯蔵などしておけない訳で、海軍の敷地の中にいると目眩すら感じ始める始末だ。人は立派なニコチン中毒だと呆れるかもしれないが、実に耐え難い。こういう地味なフラストレーションの方が精神的にはクるのだ。
 と思っていたところに前方から人影。袖を通さずに羽織っている黒のコートがどこか自分と同じに見えて眉が寄った。クロコダイルだ。一応は、血縁関係上だけは、認めたくないが父親、ということになっている男である。親子関係の暴露以来は周囲からよく似ているだとか同族嫌悪だとか好き勝手言われているが、全力で否定させて頂きたい。誰がこんな男と。
 普段は顔を会わせれば決まったように嫌味の応酬をやりあうところなのだが、私にその気力は残されていなかった。それは相手も同じようで、何か違和感があると思ったらトレードマークのような葉巻を咥えていなかった。禁煙週間。どちらともなくその文字を見て、溜め息を吐く。

「…誰だこんな面倒なことを言い出した野郎は」
「知らないわ。こっちも迷惑してるのよ」

 交わす言葉には張りも活力もあったものではない。お互いにやれやれという視線を交わして廊下を行き違った。顔を合わせてこんな風に一言の会話で済むのは珍しい。余裕がないのを自覚しているから私にしろクロコダイルにしろ相手を避ける手に出たのは明白だった。今言い争ったら言わなくていいことまで口を突きそうだったのだ。
 今回はあのピンク毛玉は来ていないのか、まだ一度もあの暑苦しい羽コートが視界に入っていない。平穏でいいことだ。この苛立ちの中でアレを相手になどしたらうっかり殺し兼ねない。元帥の説教は長ったらしくて小煩いからご遠慮しておきたい。
 真面目に歩いていくのが面倒になってきて、私は廊下の途中で中庭へと身を滑らせた。そのままするりと体を雲に変えて、丁度いい風に運ばれて一気に鍛練場の側まで到達する。新兵だか入隊何年目だかの若い連中が基礎訓練らしきものをやっているのを眼下に納めつつ、近くの建物の屋上にふわりと着地した。

「あららら、ここなら誰も来ないと思ったのに」
「…クザン大将。またサボりですか」

 聞き馴染んだ声がすると思えば、素っ気ない空間には先客がいた。かなりの長躯をごろりと怠惰に投げ出しているこの人は海軍の三大戦力の一角たる大将“青雉”その人だ。私がまだ佐官の時代に上司であった人物なのでそれなりに気心は知れている。
 誰かに見咎められる前に私も薄汚れたそこに腰を落ち着けて、徐にシガーケースを取り出す。敷地内は禁煙ということになっているが知ったことか。わざわざ屋外に出ただけでも誉めてもらいたいところだ。
 シガリロの吸い口を切って咥え、ライターで火を点ける。息を吸えば芳醇な香りが肺を満たして、漸く少しばかり苛々した感情が落ち着いた気がした。

「知ってると思うけど、今禁煙週間よ※※※ちゃん」
「ご存知かと思いますけど私これがないと能率ががた落ちするんです」

 この週はまだ一桁しか狩れていやしないとぼやけば、向けられるのは呆れた眼差しだった。

「一桁ったってそれ、海賊団単位でしょうや。本調子じゃなくても働き過ぎなくらいよ?」
「他の中将方と私では存在意義が違いますもの」

 きっぱりと返すと肩を竦められる。そういえば彼は私の性急過ぎる昇格に待ったを掛けた一人だったか。それが聞き入れられなかったからこそ私は中将なのだが。
 私の昇進は極めて特別なものだった。海賊の数多の命を今の地位と引き換えにしたと噂されるが全くその通りで、それ故に私は海賊討伐が専門だ。書類仕事やその他の面倒は殆どなく、ひたすら戦いの中に身を置く日々である。時折こうして海軍本部にいることもあるが、まぁ私にも色々とあるのだ。
 煙を吐き出す。じんわりと体に染み渡っていく有害物質が心地好い。やはり禁煙週間など滅び去ればいい。愛煙家諸兄からすれば、立派な生死に関わる問題だこれは。

「しかしほんと美味そうに吸うよね君は。若い女の子がまぁ…」
「親父臭いですわ大将。それにお説教は間に合ってます」
「んーそうね、柄じゃねーわ」

 気紛れで口にしただけなのか、大将はまた微睡みの中に落ちていく体勢のようだ。私が闖入してからここまで、被ったアイマスクを少しもずらそうともしないのだから大したものである。この人らしいと言えば実にらしい。
 そのいい加減な適当さが心地好く、私も少し体勢を崩してリラックスする。至福だ。このまま咥えて仕事が出来たら一番喜ばしいのだが。
 禁煙週間の終了まではあと2日。あとそれだけの我慢で平常な職場が帰ってくるのだからと己を慰める。せめて艦の上が喫煙可能だったら新世界に暫く止どまって快適な喫煙ライフを満喫したのだが。海賊も狩れるし。

「アンニュイな顔もそそるな※※※ちゃん」

 急に聞こえたそんな声と共に、私の体は宙に浮いた。
 大きな人形でも抱き上げるように脇の下に入れられた手。少しだけ視線を背後に遣ればピンクのもさもさが目に入る。私はこんな悪趣味な野郎を二人と知らない。

「っ、離しなさいドフラミンゴ…!」
「フフフ、嫌だね。最近来ねェからどうかしたのかと思ったぜ」
「貴方に会いにいってるんじゃないわよ!」

 この毛玉野郎が毎回のように空を飛んで現れるだけで、何も私はムカつくサングラス顔を拝みに新世界くんだりまで出ている訳ではない。その事実を告げたところでこいつは「そんなことは知ってる」と笑い、器用に片眉だけを上げてみせた。
 背後から抱き上げていた私を自分の方に向かせて、その唇が弧を描く。私の嫌いな顔だ。下品な表情。

「しかしお前軽いな。ちゃんと食ってんのか?」

 身長も乳もデカいのに、と付け加えながら不躾な視線が私の胸部を舐め回す。苛立ちのままに脚を振り上げれば、硬いヒールの爪先は綺麗にその顎を打ち抜いた。

「あだっ! もっと優しく愛してくれよ※※※ちゃん」
「死ね低脳鳥野郎!」
「暴言吐くなって照れ屋さんめ。無理矢理組み敷きたくなっちまう」
「…っ、!」

 ねっとりと鼓膜に絡み付く低音で囁かれた後半部分、不意討ちにぞくりと体が戦いた。サングラスの向こうの瞳が途端に鋭さを宿して私を見据えるのが見えなくとも分かる。そんな手を使うなんて、卑怯、だ。
 グッと答えに詰まった私に満足したように笑い、もふもふピンクはいつもの馬鹿面にころりと戻る。だけどやっぱり手は放されなくて、私は間抜けにも宙に浮いたままだ。
 あぁ気に食わない、心底から気に食わない。けど、ここでこの体勢で何をしようと言おうと、無駄だということは目に見えている。私の視線の先にはおつむの軽い鳥野郎、更にその先には鍛練場。先程から何だかざわざわしているのはどうしたって気のせいじゃあないのだろう。
 そりゃ、建物の屋上付近にこんなピンクのもふもふ毛玉がいたら目立つというものだ。しかもその残念過ぎる中身が王下七武海の一人ともなれば尚更だ。私は咥え煙草のまま溜め息を吐く。この紫煙もばっちり見咎められたりしているのだろうか。

「放して」
「断る…っつったら?」
「ぶち殺すわよ」

 にこりと微笑み掛ける。その間に全くもって手が引かれなかったので、私はすっと右手を何かを掴むような形に動かした。

「“ハリケーン”…」

 声と共にヒュル、と掌の上に生まれる小さな雲の渦巻き。それは通常なら熱帯性低気圧によって発生し海水などを吸ってぐんぐん発達する、暴風雨の塊──の卵だ。フワフワの実を口にした私にとって、その未曾有の大自然災害を引き起こす気象現象を生じさせるのは容易い。
 早く手を離れたがっているのを感じながら餌をぽいぽい投入し、規模を“過去最悪”なんて言われ得るレベルまで引き上げる。私の手の上で元気に渦を巻くそれに、流石のふわふわピンク毛玉も危険性を感じたようだ。鳥類としての本能だろうか。
 今や私の操作の影響を受けて、先程まで晴天だった空までもが黒々しく雨雲を垂れ込めさせている。いい具合に空気が湿ってきた。シガリロを咥えた口で自分でも分かる嫌な笑みを浮かべると、眼前の顔は引き攣るのだからなかなか面白い。

「ちょ、※※※ちゃんそれは引っ込めとこうぜ? なぁ──」
「…“グr──」

 構わずに十分に育った可愛いハリケーンを解き放とうとする。その時、私とピンク鳥を引き裂くようにして雷が落ちた。勿論比喩表現だ。

「そこまでにおし!!」

 下方から響いた鋭い声は私と同じ階級の、とは言え立場的には遥かに偉い人の声だった。“大参謀”のおつるさん。いい人なのはまぁ理解はしているが、私はこの人が苦手だ。何せ私の性格がこれなので、彼女の有難いお説教は大概無駄というか苛立ちの材料になるだけなって消えるのだ。
 どうやら彼女は建物の中から訓練風景を眺めていたようで、つまり私が来た時も鳥野郎が現れた時も今までの遣り取りも、全部ご存知なのだろう。何というか、幾らヤニ切れで苛付いていたとはいえ、もう少し色々と気を付けるべきだった。

「※※※、海軍本部を丸ごと吹き飛ばす気かい? それにドフラミンゴ、あんたはもう少し落ち着きな」

 至極全うな突っ込みだ。頭に昇っていた熱が急速に冷めて、私は大人しく能力を解除した。自然に集まってしまった空のどす黒い雨雲は放っておいても消えないので、適当に安定した気圧になるように弄って方々に散らしておく。
 あからさまに聞こえた安堵の息は多分訓練場にいた新米一同が漏らしたものだろう。と思っていたらモモンガもいた。そんなところで何をしているのかあのオッさんは。あぁ、もしかして指導でもしていたのか。自分の仕事に含まれていないものだから咄嗟に浮かばなかった。
 などとくるくる考えている私の耳に、あんたもいい歳なんだから云々、とピンク毛玉に諭している声がぼんやりと聞こえてくる。そうそう、もっと言ってやってくれ。不惑もすぐそこに見える歳だと言うのにこの男と来たら、下半身が思考の八割を支配している思春期の十代男子のように絡んでくるのだから──

「兎に角、痴話喧嘩は人様に迷惑の掛からないところでやるんだね!」

 絶句、した。
 絶句する以外、私に何が出来たというのだろうか。
 痴話喧嘩? 私が? この万年発情期の低脳鳥野郎と?
 冗談でも御免だ。願い下げだ。この世界をお前にやるからと言われても絶対、何がなんでも、嫌だ。

「痴話喧嘩? 痴話喧嘩か、そうか…そうだよなァ、フッフッフッ!」
「────…るな」
「ん? どうした※※※ちゃん」
「ふざけるな誰がこんなドピンク野郎と!!!」

 言い様、私は先程のリプレイの様に目の前でこてんと首を傾げた男の顎を、爪先で打ち抜いた。但し前回よりもかなり強い力で。
 何だかしてはいけないような気がする音がフラミンゴ野郎の首辺りから聞こえた気がするが、私は構わず拘束の緩んだ腕の中から抜け出した。叫んだ拍子に口から零れ落ちてしまったので、新しいシガリロを咥えて火を点ける。そうしながら私は居た堪れない空気に支配された鍛練場区画から、季節風に乗った雲の如く逃げ出したのだった。
 頬が熱く火照っていたのは、きっと余りにも頭に血が上ったからだ。ということにしておいた。嗚呼、心臓の音が煩い。






愛鳥週間しませんか
(あー首イテェなー、誰かさんが思いっきりへし折りかけた首超痛い)
(………何よその目、何が言いたい訳? 自業自得でしょう?)
(キスしてくれたらちょっとは治まるかもしれnあだぁっ! ちょっ、ヒール刺さってんだけど?!)
(煩いわね、私はあんたの腕の中にいるのもそろそろ我慢の限界なのよ…!)
(照れちゃってカッワイー)
(死ね馬鹿鳥や……ん、ふぅ…ッ!)



13.06.08




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