▼ 初めて見た時から

 オーナー、と久し振りに出向いた己のカジノ、レインディナーズで控えめに声を掛けられた。見れば普段店の業務全般を取り仕切らせている男が、少し困ったような顔で立っている。何だ、と問えば簡潔に用件が告げられた。
 オーナーにお会いになりたいという方がいらしています。
 そんな言葉にはて、と首を傾げる。今日は来客の予定はなかった筈だ。事前にアポイントも取らずにどこのどいつが押し掛けてきやがったのか。小さく嘆息すると、上品なレディでしたよとそっと付け加えられた。
 女、とは。またおかしな話だ。仮にもこの店を任せている男が“上品なレディ”だと言うなら、適当に相手をした商売女共の可能性はない。だが知り合いにそれらしい女も浮かばない。一体誰だと言うのか。
 謎めいた来客に興味を引かれ、そいつを通してあるという応接室に足を運んだ。扉を開いた先、置かれたソファにゆったりと腰掛ける一つの人影。
 コニャックのような飴色の緩くウェーブした髪に、どこか異国情緒を漂わせる肌はシャンパンゴールドにも似た色合い。そして──長い睫毛に囲まれたピノノワールの瞳が、クロコダイルを捉えた。

「ご機嫌よう、サー」


◆ ◇ ◆


 順を追って説明しよう。
 まず私、有りがちなトリップ事故の被害者:※※※は何故か助けられた時に悪魔の実を持っていた。ので、漏れなく食べた。そりゃもう不味かったけど美味しく頂いた。あの状況で食べないでか!
 という訳で私は現在悪魔の実の能力者である。因みに能力は──“酒”だった。大の酒好きな私が酒の能力者ってのも笑える話だ。この世界風にちゃんと言うならば“アルアルの実”のアルコール人間、とでも言ったところか。
 おいおいその分類大丈夫か、と思ったもののついでに“自然系”であるらしい。まぁ猿酒とかを考えればあれは偶然が重なって自然に出来たものだし、自然界に存在するものだということでいいのかもしれない。何せ煙も“自然系”だもんな。あれは常に葉巻咥えてるからその煙な気がしてくるせいもあるのだが。
 それで、私は取り敢えず生きていく為に酒場で仕事を開始。いやぁこの世界が履歴書とかそういうの重視してなくてよかった。外資系勤めでもないし英語の書式はいまいち知らないから助かった。
 カクテルの新作やらを開発しながら3ヶ月程、少しはお金も貯まったくらいで私はデカい醸造会社に引き抜かれた。常連客の中にそこのお偉いさんがいて、私のセンスと才能を気に入ってくれたらしかった。そりゃまぁ、私アルコール人間ですからね。時折成分調整とかしちゃってるしね。
 会社では一から仕込みとか商品開発に関われて、楽しいことこの上なかった。けど、自分の好きなことだけをしてる訳にもいかないし若干上層部が鬱陶しいのもあって、私は早々に独立した。自分が関わっていたとある醸造所を一つ、丸々頂いて。酒造りの専門的なノウハウはきっちり覚えたし、この世界は起業に面倒な手続きとかもそう存在しなかった。大学で経済論とか経営学、民法商法会社法辺りを取っておいてよかったとこれ程思ったことはない。頑張って眠いのを耐えた甲斐がこんなところで報われるとは。
 という訳で、あれこれ頑張ること一年。うちの会社はそれなりに名の通った酒造会社へと伸し上がっていた。いつの間にか私は“レディ・バッカス”と呼ばれるようになっていて、会社のロゴである王冠に絡んだ蛇と共にそれなりに名前が通っていたりする。ちょっと楽しくなり過ぎて当初の目的を忘れ掛けたり…しなかった、しなかったとも。だから今ここにこうしているのだ。2年半も経ってるじゃないかとかいう突っ込みは受け付けないことにしているから悪しからず。
 開いた扉、やって来たのは間違いなく私のお目当ての人だ。見間違える筈がない。サー・クロコダイル。私の嫁こと可愛い可愛い鰐ちゃんである。
 つ、と視線を向ければ、その酷薄にすら思える金の目と視線が搗ち合った。思わずぞくりとする。これまでキャラらしいキャラには会わなかったから、こうしてその存在感を感じ取るのは初めてだ。
 テンションが上がり過ぎて変な悲鳴を上げそうなのをどうにかこうにか押し込めて、私は挨拶を口にする。

「ご機嫌よう、サー」

 あぁ、妙な発音になっていないだろうか。声は震えていないだろうか。こんなに緊張するのは初めてだ。ひぃいどうしよう本物だ本物の鰐ちゃんが私の為にここまで歩いてきて立ち止まってて視線をこっちに向けてるなんて!
 内心あばばばばしているのをきっと出来ているポーカーフェイスで覆い隠し、私は返答を待つ。あぁでも待てよ?生であの声を聞いたら拙いんじゃないか?私死なないか?
 なんて考えているのが相手に伝わる筈もなく、ぷかりと紫煙を吐き出したクロコダイルはゆるりと口を開く。開いて、しまう。

「…何者だ、テメェ」

 ゴフッ。
 正にそんな効果音が似合いだと思う。生声は危険、ダメゼッタイ。アニメで随分耳レイプされたと思っていたけど、生の威力は桁違いだ。
 少し掠れた、腰にクる深みのある低音。それはまるでじっくりと熟成された最高級のブランデーのようで、堪らなくぞくぞくする。
 という思考をコンマ1秒で展開しつつ、私はソファから立ち上がった。すいと纏っているイブニングの裾を少し持ち上げて膝を折る。

「いきなり押し掛けてごめんなさい。こちらにも支社を出すもので、ご挨拶をと思って」

 私の言葉に不可解そうな表情をしながら、クロコダイルはゆっくりと室内に入ってくる。カツコツと固い床を叩く靴音は紛れもなく高級なものだ。見るからにいい革だ、ラムスキンかその辺の質感がする。
 その足元に滑り込みたい欲望が沸き上がるのに気付かない振りで、取り出すのは白の厚手な上質紙。社章を金箔で押したそれは、所謂名刺だ。

「……“レディ・バッカス”か」

 薄い唇が通り名を紡ぐのに、膝が折れそうになった。何というかもう、死んでもいい。多分もうすぐ心臓が仕事のし過ぎでぽっくりいくと思うこれは。

「有名な酒造の女王がこんな小娘とは…で、どうして俺に挨拶に来る。それなら王宮に行ったらどうだ」
「…貴方にはご贔屓にしてもらっていますもの。表の方でも裏の方でも」

 そう言ってにこりと微笑む私とは対極的に、クロコダイルはぴくりと蟀谷を反応させる。
 うちの酒を気に入ってくれたのかレインディナーズから定期注文が来るようになったのが4ヶ月程前のこと。カジノだけで飲まれる量としては多いなと思って探ってみたら、全体の3割はバロック・ワークスの方に回されていたのだ。そのうちの何本が鰐ちゃんの口に運ばれているのかしらと思いながら、私はアラバスタに支社を構える計画を実行に移した。
 と暢気に回想している間に、首元に鈍い輝き。ずいと伸びてきた鉤爪が、私の首にその切っ先を添えた。ほんの少しでも力を加えれば皮膚を裂くだろうそれ。ご褒美ktkr。

「──何を知っている」
「…割と何でも。貴方のパーソナルデータからユートピア作戦まで?」

 トリップ前に知り得た情報なら全部覚えてるけど。とは言わない。夢が海賊王とか可愛過ぎる犯罪クラスだよおいおいとかも言わない。今のところは。
 私の返答に遥か高みにあるクロコダイルの顔には青筋が浮いて、若干焦っているような雰囲気も窺えて、きゅんとする。相変わらず無自覚メロメロ甘風は垂れ流し状態なのかこの人。よく襲われてないな…いや寧ろ皆垂れ流され過ぎて慣れてしまったんだろうか。
 ぐっと鉤爪に力が込められるのが分かる。あ、ヤバいそれ以上されたら、と思った瞬間、バシャッという音と共にアルコールの匂いが辺りに充満した。

「もう、乱暴なんだから鰐ちゃんったら」
「チッ…能力者か」

 瞬時に首だけアルコールに変わったのを直しながら、私は少しだけ唇を尖らせる。ついいつもの呼び方が出てしまったけどこの際気にしないことにした。今日の体の主成分はウイスキーで、その芳香が辺りに濃厚に漂っている。その匂いに微かに眉を顰めて、クロコダイルは距離を取ってしまった。
 あぁ勿体ない、なんて思いながら自分の首を触ってきちんと直っているか確かめる。実のところ自然系のこの再生能力?無敵能力?を使うのはまだ数回目なのだ。
 私の様子に怪訝な顔をしながら、クロコダイルは殆ど臨戦態勢に近い。ここで戦闘って確実に建物を半壊させると思うんだけど。カジノのお客さんたちにも被害が出るのでは。

「何が目的だ…!」
「ご挨拶しに来ただけですとも。ずっと会いたくて堪らなかったんだもの」

 まぁ会ったら死ぬ!とか思ってたんだけどね。実際問題死にそうだけどね、二重の意味で。
 馬鹿正直に答えた私に、クロコダイルは眉間の皺を深めている。さっぱり信じてもらえていないな十中八九。
 でも本当に目的と言えば一つだけなのだ。愛しの鰐ちゃんに会ってみたいって、ただそれだけ。それに際して私も何の策も弄せない馬鹿って訳でもないから、それなりの社会的地位と名目を用意して乗り込んだのだ。回りくどいことをした自覚はあるし、そのせいで余計に疑われている気もするが。
 割とうっかりさんなのに慎重な性格って矛盾してるよまぁそこも可愛いんだけどね。一人で納得しながら片手を動かすと、ほんの少しの動作なのに注視されているのがよく分かる。そんなに見つめないで欲しいな恥ずかしい。ときめき過ぎて眩暈とかしたら責任取ってくれる気はあるんだろうか。たとえば罵倒してくれるだけでいいんだけど。
 盛大に思考を逸らしつつも、ひょいと取り出すのは黒のブランデーボトル。ラベルは羊皮紙風で、印字はなし。封を切っていない完全な新物だ。
 今投げ渡したら確実に割られそうだから、私はそれを私とクロコダイルの間にあるテーブルの上に置いた。
 それを見止め、金の目が微かに見張られる。彼のこと、きっと知っているだろうと思ってそのボトルを選んだのはどうやら正解だったらしい。つん、と厳封された瓶の口を指先でつついて、私は一応世間的な概要を述べておく。

「…我が社の創業記念日に出したシリアル入り限定1500本、“幻”とまで言われたアルマニャック──の1本」

 因みに等級はナポレオンだ。一般流通したやつは、の話だが。
 でもこれは違う。最高の醸造環境で私の能力をフルに使って仕上げたオール・ダージュ。“幻の酒”の更にその上を行く、ボトルに詰まったものは世界にこれ1つしかない代物だ。何せここに来る前に私が手ずから一番いい状態のものを一番いいタイミングでボトルに移して封をしてラベルを貼ったのだから。
 ラベルに深いボルドーの箔でエンブレムと銘柄、シリアルナンバーを押した通常版たちは、クッション材を敷かれた木箱にベルベットのリボンを掛けて出荷されていった。受注形式なんて真似はせずごく普通に注文を受ける形の販売にした為、発売日の思たる酒屋は軽い戦争状態だったようだ。流通価格はかなり値高だと思ったのだが、その日のうちに売り切れた。それも随分日の高いうちに。なのは完売!なんて言葉が私の頭に浮かんだのは言うまでもない。

「…お近付きの印に」

 貰って欲しいのだけど、と言えば、クロコダイルの表情は見る間に悩ましいものになった。うっわエロいやだそんなに全力で誘わなくてmげふんごふん。
 血を血で洗うような争奪戦の原因になった酒は、彼の口には入っていない。それは把握済みだ。好みのものだろうし情報は入っていたのだろうけど、それでも手にはしていない。
 あんな未完成の若いのより、飲んでもらえるなら最高のものでなければ嫌だから都合はいい。それにその方が、このボトルの重みも出てくる訳で。
 あぁ悩んでる悩んでる。嫌そうな顔もすっごく可愛い。何だろうこの天使。天使にしちゃ色々と黒々しいけど。
 私とボトルとを行き来した視線が、無銘のラベルの上で止まる。紫煙と共に吐き出される声は如何にも疑わしげだ。

「それにしちゃ、随分と素っ気ねェラベルだな」
「印字してあるのだと中身と釣り合わなくて」
「あ?」
「プライベートな樽から抜いたオール・ダージュなの」

 そう告げると、ぐらりと見るからにクロコダイルが揺らいだのが分かる。ボトルにじっと注がれる視線。
 因みに、プライベート樽というか鰐ちゃん樽と言った方が正しいけどね、アレ。“鰐ちゃんの”とハートを乱舞させた手書きのプレートを掛けてあるそれは、部下たちにも手出し厳禁のプライベート樽として認識されている。気に入ってくれたなら樽毎あげてしまってもいいんだけどなぁ。

「…要求は何だ」
「え? んー…別にそういうの目的で来たんじゃないけど」

 聞いてくれるなら言っておこうかな、なんて。






初めて見た時から
(貴方に決めてました、踏んで下さい!!)
(……………はぁ?)
(ちょっとだけでいいから! その解せないって顔のままで是非!)
(…断る)
(えええそんなぁ鰐ちゃんのケチー!)



13.06.03




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