アスファルトから照り返される陽の光は強く、眩しい。名前は思わず手をあげて光を掌で遮断すると「眩しいね」と隣から声をかけられる。フイとそちらを見れば、手で自分の顔に風を送る渚がいた。へら、と力無く笑う姿はこの暑さに少々やられているのが見てとれた。

 本日は東京都内で社会科見学である。クラスでいくつかの班に別れ、学校側から決められた箇所以外は班ごとの自由行動となっていたのだが、カルマは見事にその名の通り“自由”に行動を開始した。班行動開始と同時に、事前に話し合った方向とはまるで違う方へと歩き出したのだ。驚いた同班のなまえと渚は彼を追いかけ、一拍遅れて名前が3人を追いかけた瞬間、カルマがなまえの手首を掴み走り出す。「カルマくん!?」と渚がさらに驚くと、名前を呼ばれた彼は立てた人差し指を自分の口元に寄せて云った。

「俺たち抜けるけど、もし先生に見つかったら人混みではぐれたことにしといて〜」

 音に表すとしたらポカンとしたような表情で、走り去るふたりを見送った名前と渚はその場で立ち尽くす。ひとつ吹いた風が残されたふたりの髪を揺らした。

「行っちゃったね……。人混みではぐれたって、僕たち携帯電話持ってるんだから連絡つくのに……」
「赤羽くんってあんなに速く動けたんだね」
「……え?」
「こうなったら楽しもうよ。折角ふたりになったんだし。多分、班報告はしないといけないから、私たちは指定箇所回ろう」

 社会科見学のしおりを開きつつ名前が云えば、渚は彼女の言葉に目を丸くしたあと困ったように笑って頷いた。彼の眉尻の下がった笑顔に、名前は心の何処か柔らかいところがくすぐられるのを感じる。彼女はそっと、“はぐれた”カルマとなまえに感謝したのだった。
 そして冒頭に戻る。カルマたちと“はぐれ”てから暫くして太陽がいちばん高く上がる頃、昼食をとっていない事でふたりは飲食店を探していた。日光とアスファルトの照り返しが本格的に強くなり、大通りの脇をずっと歩いていたふたりは額な首などに汗をかき頬を真っ赤にしている。背中に汗が流れた感覚に少しゾワリとする。道すがら自動販売機で購入したペットボトルの飲み物を摂りながら休み休み歩いていると、前方から来た人を避けようした渚は避けきれずにぶつかってしまった。元々体力を消費気味でいた彼はぶつかった反動で地面に尻餅をついてしまう。後ろ手をつく間もなく背中までゴロンと転がり、彼は衝撃で瞑った目を開けると空を眺める事となった。次にその視界に映り込んだのは、驚いて少し慌てる名前の顔だった。

「渚くん!」
「ッてぇな〜〜何処見て歩いてんだチビ!!……あ?」

 名前は渚に手を貸し起き上がらせながら、彼とぶつかった人物を見つめる。男子高校生と思われるその人は、だいぶイラついているようだった。明るめの茶色の髪と着崩された制服とその態度の悪さがあいまって威圧感が醸し出されている。そのイラつきは、渚とぶつかった為かと思われるが、名前は違うとわかっていた。何故なら、前方から歩いて来たこの男子高校生が、機嫌悪そうにスマートフォンを持ち操作しながら速足でズンズンと歩いてきたことはぶつかる直前に見ていたからだ。フラフラしている渚の腕を引き、衝突を避けようとしたが間に合わずこうなってしまった。こちらを睨むように見てくる男子高校生を少し目を細めて見つめていると、相手が途端ニヤついた。

「お前ら、中学生?」
「……それが何か」
「名前ちゃん……!」
「へぇ〜、名前ちゃんって云うんだ?さっきのやつらと同じ制服じゃん。サボり?それとも修学旅行かなんか?さっきさぁ〜、君たちのオトモダチに怪我させられたんだよねぇ〜。もう痛くって痛くって肩があがんない。これから病院行くからさ、おカネ頂戴よ」

 ね?と名前と渚の間にわざわざ後ろに回って入り込み、ふたりの肩に腕を回してそう囁く男子高校生に渚は緊張した面持ちでいながらも考えを巡らす。

(このままおカネを渡したとしても、連絡先を交換させられる可能性が高い。そうなると、後々にも金銭の要求は続くかもしれない……だとしたら、駄目だ。この要求は飲んではいけない。それに、この人肩あがらないって云ったのに、僕らに肩回してるし……。あと「さっきのやつら」とか「オトモダチ」って誰のことだろう。実際怪我してないっぽいけど、怪我させられたとか、まさか……)

 チラ、と横目で見た渚はニコニコと笑ってこちらを見ている男子高校生と、その奥で鋭い横目でニコニコ顔を見つめる名前が見えた。一瞬動きが止まる。その瞬間、ダンッ!と大きな音がして、「ッてぇ!!」と男子高校生が叫ぶと共に身を引いた。突然のことに渚がほうけていると、名前を呼ばれ手首を掴まれ走り出す。彼を引っ張り走り出したのは勿論、名前だった。すぐさま後ろから罵詈雑言が聞こえ、大きな足音が近づいて来る。渚は思った。
 ーーーーこれは、捕まったら、まずい。
 思った時には躰は動いていた。

「こっち!」

 今まで腕を引っ張られていた渚は走るスピードを加速させて名前を追い抜き、掴まれていた手首から彼女の手を離させその手を握った。そうして彼女を引っ張るようにして道を大通りから脇道に入り、ジグザグと迷路に自ら迷い込むようにして走り続けた。後ろに流れて行く景色を覚えることもせずに走り続けると、グンと腕が後ろに引かれて振り返る。すれば、名前が息を切らしながら渚を見つめていた。やはりふたりの頬は赤い。

「渚くん、もう、来てないよ」
「あ……本当だ。御免……夢中で……」
「有難う。振り切ったね」

 息は整わなくともにっこり笑った名前は握られた手を更にギュッと握った。それに、やはり息は整わないまま渚は目を少し伏せる。

「……お礼を云うのはこっちだよ。あの場から離れることが出来たのは名前ちゃんのおかげで……。でも、何したの?なんか凄く痛がってたような……」
「足の甲を踏んづけたの」
「ッえぇ!?」

 鞄からペットボトルを取り出して中身を飲もうとしていた渚は飲み口に口をつける前に小さく叫ぶ。かわって名前はごっくごっくと喉を鳴らしペットボトルの中身を空にした。空っぽになったペットボトルは、近くにあった自動販売機の横のゴミ箱へと捨てられ、その自動販売機で彼女は新しくスポーツ飲料を買った。買ってからすぐさま開けてさらに飲む。相当喉が渇いていたようだ。

「名前ちゃん、あの人の足の甲、踏んづけ、え?」
「前に見たドラマで云ってたの。身動きが取れないとき、相手がいちばん防御出来ていないところを狙えって。そこが足の甲」
「ドラマって……。危ないよ!いくらなんでも……!」
「うん。迷ったよ。でも、渚くん何か考えてそうだったから」
「えっ」

 名前は渚の目を見つめる。渚は小さく驚いて固まった。彼が持つペットボトルの中身はぬるくなっている。それでも開けられっぱなしの飲み口はそのまま、まだペットボトルは傾けられることはない。

「渚くん、逃げる方法考えてたでしょう?顔に書いてあったよ。」
「かっ、顔に……?」
「頬っぺた触っても、本当に書いてあるわけじゃないよ?」
「わっ わかってるよ……!」

 あはは、と笑った彼女はペットボトルのキャップをしめる。そのペットボトルは汗をかいて彼女の手を濡らしていく。

「私は渚くんが逃げる方法を考えてくれてるのがわかったから、行動出来たんだよ。渚くんがいたから」

 安心したの。と笑った彼女に、渚は眉を下げて微笑んだ。何処かスッキリしないような表情に、名前は心で首を傾げるが、ふたりの腹の虫が鳴いたことで考えは打ち切られる。とりあえず、まずは腹ごしらえをしよう。考えるのはそれからでも遅くはない筈だ、と今はそのモヤモヤを流した。名前は前を向き、ペットボトルを持っていない方の手で渚の手を取り歩き出す。渚は彼女に手を引かれながら、まだ浮かない表情で少し下を向いた。



続く。
(2013.9.2)
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