血を見るのが駄目ということはない。何故って、僕は一応忍者の学校に通っていて、それなりに体力もついて実技訓練もこなした。よって落第せずに無事、学年を一つ一つ上げていき、今年六年生になった。ここでは自分の“不運”は発揮されなかったようで。
そんなとき僕はまた保健委員になった。特に異論はなかった。1年生から続けていた事だし、手先が不器用というわけではなかったし、傷ついた人の治療をするのも嫌いではなかった。むしろ放っておけない。血を見るのが駄目ということはなかった。


「伊作!伊作居るかー!!」


ある日の昼過ぎ。今日は何だか体調が優れなくて自室で寝ていた。熱はない。怪我もない。特に目立ったことはないが、ただだるかった。躰がやけに重い。のびた髪を結うのも億劫でばらしたまま布団の中で躰をだらりと横たえていた。そんなとき、ドタドタと廊下を走る音。そして僕の名前を呼ぶ声。
六年ろ組、七松小平太だ。


「伊作!起きてるか!!」


僕はやけに重たい躰をゆっくりうつ伏せにして肘で躰を支えながら上体を浮かした。顔を枕から離す。もう無理矢理に近かった。声をしぼり出す。まるで医者の不養生だ。保健委員なのに。


「こ、小平太……どうした?」


同時に外へ繋がる障子が合図も無しに開いた。彼らしい姿の見せ方に安心した。……安心?何が?何が“安心”?必死の小平太の表情と反比例した。


「伊作!!」
「こ、小平太。大丈夫起きてるって……。どうしたの、そんな慌てて」
「急いで身支度しろ!!体調不良なのは忘れろ!」


無茶を云う。また彼らしくて小さく苦笑いをこぼす。同時に安心感。だから、この“安心”って、何?布団に肘をついたまま頬をかいて、悠長に僕は質問をした。


「小平太。何をそんな慌ててるんだ?すまないが僕今本当に動けなくて、」
「云ってもいいが、―――――お前、『此処』は今、強い方か?」


僕の言葉を遮って小平太はいつもの大きな声で口を開いたかと思えば、間をあけた先の台詞はやけに慎重だった。そして、そのとき彼はゆるく握った右手の親指で左胸のある場所を指した。『此処』と云った場所。それはいわゆる、


「し、心臓……?」


静かに首を縦に振った彼に不安を感じた。“不安”?何が?何、が?躰が重たさを増した気がした。彼らしくない。慎重だなんて。全身に鉛がのしかかってる感覚。重い。何だこれは。僕は一度息を吸った。どうにも、ぐらぐらだ。


「、今は、どうかな」
「……すまん、体調不良を忘れろと云ったのに精神の方は平気か、なんて支離滅裂だったな!とりあえず伊作、着替えてくれ。忍服とは云わない、私がおぶってやるから動きやすい格好に!」


















寝間着から普段着に着替え、小平太におぶられて何故か僕は街中でも裏道を走っていた。流石、小平太。凄いスピードで15の男を一人背負ったまま走っている。揺れも少ない。ただ冬の風が冷たかった。マフラーとは到底呼べない程の薄い布を首に巻いて、口元に来た部分を鼻の上まで上げた。喉が、痛い。空気が刺さる。小平太は痛くないのだろうか。彼はあの深い緑の忍服のままだった。


「小平太、すまない。辛くないか?」
「あぁ、平気だこれくらい!気にするな!」
「(あぁ、いつも通りの返事、だ、けど)」


微かに振り返った小平太の横顔はいつも通り、ではない気がした。あの太陽みたいな、曇りのない陰りのない“お兄ちゃん”みたいな笑顔、ではないような。すぐに前を向いた彼は街を抜け、人気のない原っぱを抜け山道へと入る。何処へ行くのか、訊いていなかった。いや。


「(訊けなかった……怖く、て)」


何が?何が“怖かった”?さっきからこればっかりだ。何が“安心”なんだ?何が“不安”なんだ?何が“怖い”んだ?何があるんだ?何がこの先の山奥にあるんだ?何で小平太は何も云わないんだ?何で小平太は笑ったのにいつものようにあのはつらつとした覇気が無いんだ?何でだ?何で僕は背負われてるんだ?何で走れないんだ?何で今日は体調が悪かったんだ?何で躰が重たかったんだ?何で?何で何で、何で?

何でさっきから、あの子の顔が意識にちらつくんだ?


小平太がすぐに僕の元へ急いで来た理由を話さないのが気になっていた。いつもなら、例えば今のような移動の最中に、事の内容を話すのが後の手間を省くことになって理想だろう。無駄が無くなる。しかしそれをしない彼は何処かおかしいとしか思えなかった。単に、忘れてる?小平太なら有り得る?そう思いたいが彼のさっきの横顔やあの言葉が引っかかる。


「云ってもいいが、―――――お前、『此処』は今、強い方か?」


彼らしくない。僕の心の心配なんて。
眼を瞑った。落ち着け。忍らしく、居ろ。


「着いたぞっ!」
「、!」


はっとして眼をあけた。見渡すとどうやら深い森に居た。景色が何処も似ている。前後左右何の目印もないように見えて、恐らく一般人は此処で確実に迷子になるだろう。深い、深い森。忍服のものより深い緑色の葉っぱが重なりあってるせいで空が見えない。とても閉鎖的な空間だった。湿った空気が気持ち悪い。喉に貼り付く。息苦しくて布を鼻の上から下ろした。同時に小平太は僕を地にゆっくりと下ろした。じゃくり。水を含んだ土と落ち葉を踏みしめたせいでたちまち草履の裏が泥っぽくなった。それをぼう、と眺めていたら、


「良いか、伊作」


いきなり、諭すように小平太は云う。


「先に訊く。お前、今、強いか」


……違う。違うだろう小平太。それは俺に“訊いてる”んじゃないだろう。嗚呼。そんな、願うような眼をしないで。嗚呼何だか集中出来ない。きっと僕の眼は今彼から見たら濁ってる。掌を強く握った。


「小平太……、僕、は、」
「強くないなら、他の奴に頼む。だが、私はお前が適任だと思って此処に、連れて来た。」
「…………」
「出来ればお前が、ミて、やって欲しい」


その、ミて、って。
嫌な予感がした。小平太の表情が、焦りを帯びた。


「……云って。小平太」


途端、沢山の烏[カラス]が、狂ったように頭の中で哭いて暴れた、気がした。


「名前が、潜入実技試験中に、負傷した」




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