「……ねぇ、エルリックさん」
「あ、アルでいいですよ!」
「いえ、もうなんだか癖なんですよ」
「そうですか、じゃあせめて名前で呼んでくれたら嬉しいです」
「じゃあ、アルフォンスさん」


そう云って、彼女はゆるやかにわらった。
それなりの家柄、口調が自然と丁寧になってしまって「なんだか他人行儀のようで好きじゃないのですが、」と直したいのにもう手遅れなんだとか。僕はいつまでも「エルリックさん」から抜け出せずに、とうとう頼んでしまった。あー自然と、が良かったんだけどなぁ。仕方がない、か。でも嬉しいんだ。名前で呼んでくれた。素敵な第一歩だよね。
そして僕は今日も、貴女が“居る”場所に足を運ぶ。黒い艶のある棒を何本も隔てたこっち側から、その向こう側に“居る”貴女に逢いに。逢いたい、から。
これはいわゆる、『それ』なのか。

「おはようございます、アルフォンスさん」
「おはよう、ございます」

実はまだ名前を訊いていない。
なんだか、名前を知ってしまったら、ほんとうに『それ』になってしまいそうで。『それ』の名前を認識してしまったら、もう後戻り出来ない気がして。でも、いつまで経っても、貴女が僕の名前を呼んでくれるのに僕が呼べないなんて。そんなの、失礼だし、なにより、不公平だ。

「あの、今日はちょっと頼みというかその……」
「?」

あぁでもいざそうなったら云いにくいなぁ!どうしよう、どうしよう。に、兄さんならどうするかな。いや兄さんはまずこんな行動取らないや。直感型だもん僕みたいにこんなうじうじしない、筈……いやするかも兄さん『それ』には疎そうだ。って脱線した話脱線した!

「アルフォンス、さん、大丈夫ですか?」

具合よろしくないのですか?彼女はそう心配そうに僕らを隔てる黒い棒を握って云った。ヒトひとりギリギリ通れない狭さの高い柵。こんなの、錬金術でどうにでもなるけど、駄目でしょ。こんな、ことに。(それに元に戻すのは大変なんだ)

「大丈夫ですよ、すみません。」
「あ、いえ……大丈夫なら良かったです」

彼女が黒い棒から手を離す前に、僕の手が彼女の手を包んでそのまま棒を掴んだ。彼女はびっくりして僕を見上げる。

「僕、アルフォンス・エルリックって云います」
「は、はい。存じております」
「僕の兄さんは、国家錬金術師のエドワード・エルリックです」
「はい、それも教えていただきまし、た」

突然、僕が喋りだしたうえに彼女に既に教えたことも喋りだしたから、彼女は困惑している。おまけに片方の手はカタチ上拘束されて動けない。小さな恐怖感。彼女の笑顔が少し曇った。
別に、そんな怖がらせたかったわけじゃないんだ。ただ、臆病な僕には少しの前置きが、必要だったから。すこしだけ、彼女が痛くない程度に握る手にチカラが入った。
ねぇ、きっと貴女の名前を知ってしまったら僕はもう後には引けない。それを貴女は、わかっているだろうか。




貴女の名前は、なんですか?

すこし、彼女の瞳が潤った気がした。
そして、ゆっくり曇っていた顔を晴らしていって、
そして、いつものあの優しい口調で云ったんだ。



「私の名前は、―――――――」



終。
(07.11.30)

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