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「なにしてんですか。」「んー?新しいシリーズのセーラーの下調べ。」
「……あんた仕事は?」
「鬼男くんに任せたよ。あの子意外と出来る子だから」
「はー……また鬼男さんに押し付けて。」
「む、ちがうよー!彼が是非僕にやらせて下さいって申し出たんだよ!!だから喜んで俺は彼に、」
「嘘つけゴルァ」
「すんません嘘ですすんません。」
うちの店は馴染みの人しか長居しないような古い喫茶店だった。だからこの昼過ぎのまったりした時間はそういうお客さんしか来ない。よってこの部下任せな偉い人はこうやってだらだら雑誌なんぞを読んで「あー、このリボンの新色良いねー」なんて呟いたりしてられるんだ。そしてそうやってうちでは取り扱って無いって云ってるのに何度も「オレンジカルピス頂戴(ながれぼし)」とか注文しやがるせいで裏メニューなるものが出来上がるとかはた迷惑なことされるんだ。全部この偉い人のせいで。名前はよく知らない。ただ部下の人の名前は『鬼男』さんと云うらしい。(やたら名前が出てくるからいちばん信頼されてる人だと思われる)(そして第一人称は「僕」)
この偉い人はセーラー服が好き。いっつもセーラー服のことを喋ってる。こっちは興味無いってのにべらべらと喋る。だからセーラー服の発祥が水兵さんらしいのも覚えてしまった。要らぬ知恵だ。トリビアだ。
彼はいつも入店後この私の目の前のカウンターに座る。何故だ。他にも席は在るだろう。何でこのカウンターのこの私の目の前なんだ。そしていっつも何で『オレンジカルピス』なんだ。だから無いっつってんでしょ。いやもう裏メニュー出来ちゃったけど。ほらマスターもそんな微笑んでる場合じゃないですって。うちカルピスてゆう単体メニューも無かったのに、オレンジジュースは有ったさ。それで良いじゃんなんでカルピス。面倒だな、もう。この偉い人は雑誌をあらかた読み終えると私の顔を1分程眺め出す。この時間が、いちばん、嫌だ。何故ってやりにくいのだ、仕事が。ずっと見られ続けているのをわかったまま、1分間動き続けるのだ。無視するのも少し気が引けるが「何ですか」と訊くと「ん?別にー」で終わってしまうのは経験済みなので2度も訊けない。それにキレて問いただすのもなんか餓鬼だし、何よりこの人にキレるのもシャクだ。よってスルーするしかない。1分間の我慢。60秒間の我慢。(あー秒に直さなきゃ良かったなんか長く感じる。)
「君ってさぁ」
突然偉い人が話しかけてきた。この1分間の中で話しかけられたことは無かったから私はお皿を洗っていた手から滑らせてしまい、水の中に落とした。あっっっ……ぶない。良かった水の中で。私は目の前で頬杖をついてる偉い人を上目で睨みながらこたえた。
「何ですか」
すると偉い人は少し眠たそうにこう云った。
「俺に対してだけ、わらわないよね」
ガチャン。 ピシリ。
パ キ ッ。
皿をシンクに落とした。ヒビが入った。割れ た。奥からマスターが飛び出てきてくれて「大丈夫!?」と心配してくれた。私の手や躰に怪我が無いのを確認してホッとした顔なんてするから凄く申し訳なくなって「すみません」と何度も謝った。謝った。その間偉い人は凄くびっくりした顔をしていたけど、頬杖はやめなかった。……ちくしょう何なんだ。変に動揺してしまった自分を呪った。(加えてこの人を)
店を閉める時間まで偉い人は居座り続けた。初めてのことじゃない。だから手慣れた手つきで「出てけ。」の合図を出し続けた。(いろいろ問題がある)(閉店時間まで居座られるのも)(出てけ合図も)しかし珍しくこの人は頑固だった。「やだー」の一点張り。いつもなら「良いじゃんもう少しくらい」とかへらへら笑ってるのに今日は何だか膨れっ面だった。
「お疲れさま。明日はお店休みだからゆっくり休んでね」
マスターはにこやかに送り出してくれて私もわらって「お疲れさまでした」と云って帰路につく。その後ろをあの偉い人はついてくる。これも初めてだ。いつもならもうあの部下の鬼男さんが迎えに来てる筈なのに。
都会の冷たい風が吹く。商店街の通りとは云え建物に跳ね返って吹く風は時折痛かった。80デニールのタイツを履いてて良かった。こんな中素肌さらして歩きたくない。少し後ろを振り返る。偉い人と眼が合った。咄嗟に前を向いて歩みはとめない。
「とうとう鬼男さんに見離されましたか」
「……ん?」
「お迎え、来られないから」
「あー。いや、あの仕事の量じゃ来らんないよ、きっと」
「……あんた悪魔か」
「俺、真ん中のヒトだよ」
「(は?)」
この人は何も見えない人だ。職業も、住所も、出身も、いちばんわかりやすいだろう名前も、年も。
性格、も。
だからつい訊いてしまった。よせば、良いのに。歩みをとめた。
「貴方、誰なんです、か?」
「俺?」
風が、吹いた。 びゅう。 一陣。
眼を反射的に瞑った。痛い。眼にゴミが入ったかもしれない。涙が出た。眼をこすろう。そう思って右手を眼に持って行こうとして、とまった。とめられた。誰かに。
偉い人、に。耳元で声がした。
「俺は、大王様だよ。罪を裁く、あの人」
これ貰ってくね。そう云って私の頬っぺたをさらりと拭うと右手の拘束がとけた。また風が吹いてそれが止んだころにゆっくり眼をあけたら、あの偉い人は居なくなっていた。眼をしぱしぱさせても、誰も居ない。前後左右見渡しても何処にも居ない。居ない。居ない。不意に頬っぺたを触ったらあの涙がなくなっていた。風で飛んでしまった?……いや。
「(偉い人……)」
お土産にしては陳腐だろう。鬼男さんに怒られますよ。私は何だかわらってしまった。何だか妙に可笑しくて。
わらわないオレンジカルピスと偉い人の話。
(またオレンジカルピスよろしくね。)
(だから無いっての!)
(、有るけど)
終。
(08.12.8)