「そうちゃんそうちゃん。」


彼女は俺をずっとそう呼んでいた。姉上の真似のようでずっと嫌だっただから俺は彼女にずっと、


「やめろマジで。」


そう冷たく云っていた。なのに彼女は性懲りもなくといった感じで、


「もう、そうちゃんてばー」


へらりとわらって俺の額をコツリとノックするような手で優しくたたいた。彼女の方が背が低いから軽く腕を伸ばしてそう優しく。それが毎日毎日続く。毎日毎日彼女は俺を「そうちゃん」と呼び俺は彼女に冷たく云い放ち突き放すのに彼女は性懲りもなく俺を優しくたたく。額を、たたく。たたく。たたく。彼女は、名前は俺より歳上だった。いくつかまでは知らねぇ。ただ姉上よりはそんなに離れちゃいなかったと思う。
名前は俺をある日好きだと云った。それは人として、男としても含めて好きだと云った。それは冬の寒い日だったと思う。曇天で風が異様に冷たく、痛かったのを覚えてる。そんな日の午後の15時を半分過ぎた頃、いわゆるおやつの時間というやつが過ぎて眠気がピークだった。業務をサボって名前の家で寝ようとわざわざ寒い縁側で横になったとき。アイマスクを装着してあと少し。あと少しで夢の世界に今日和。その瞬間。


「そうちゃんが好きなんです。」


ひとつなぎの台詞だった。前触れなんてまるで無かった。予兆とか、そんなものも皆無。そう要するに突然だったのだ。俺は驚きすぎてその体勢からすぐは動けなかった。ただ眠気は一気に吹っ飛んだ。たっぷり動きを溜めてゆっくりアイマスクを外して曇天のくせにやけに眩しい午後の光に眼を細めて、自らの頭近くに正座して座ってる彼女を躰をうつ伏せにして見やれば……名前はへらりとわらった。へらり。なんでそこでわらう。なんで。なんで。
俺はそのまま立ち上がって、そのまま名前の家から出て行った。歩いた。ただただ歩いた。歩いた。気がついたら夜の18時を過ぎていた。空は真っ黒だが星は出ていた。やけにキラキラ光やがる。うざったくて辺りを見回した。良くマダオが座ってるベンチのある公園に居た。知らぬ間に公園で俺はブランコをこいでいた。あぁ、寒い。だいぶ躰が冷えて、いた。





あれから、名前はいつもどおりだった。今日も、いつもどおり俺のサボりになんも云わずに普通に茶を出してへらへらしてる。「すあま、食べる?」なんて真っ白い皿に真っ白いすあまを俺に出したりして、少し緊張していた俺が馬鹿だ。そう思ってすあまの乗った皿を受け取る為に、あの時のように縁側に居た俺は居間に戻る。炬燵のあたたかい部屋に脚を踏み入れた瞬間もう全身がふやけて、座布団に座る前に皿を受け取らねば動きたくなくなるかもしれない。いやそうだろうきっと。流石にそれは、と立ったまま皿に手を伸ばした。彼女も台所から来たばかりで立ったまま。「食う」そう云って皿に手を伸ばした。皿に触れた。名前の指にも、触れた。瞬間。


 ガチャ、ン


名前が皿を落とした。俺は皿に触れていただけで支えきれずに手から滑らせてしまった。あぁ、すあまが畳に突っ伏してる。白い粉が飛散していた。皿は畳がクッションになって割れなかった。驚く俺の目の前で名前は珍しく硬直していた。眼を見開いて口を薄く開けて。俺も多分眼を見開いてる。口は一文字に閉めてるけど。その彼女は一拍置いて動き出した。眉をハの字にして。


「ごめ、御免ね!ちょっと待ってて!」
「いや……食えますぜ、コレ」
「なに云ってるのー、掃除はしてるけど畳の目の中は意外と色々詰まってるんだよ?」


へらり、と。名前はわらったけど彼女のものではない気がした。どうした。そう訊けたら一発なんだろうけど、不甲斐ないかな俺は今それが出来ない。
台所から布巾を持ってきた名前はせっせと掃除を始めた。俺もすあまを挟んだ彼女の前にしゃがみこんだけど何もしない。その代わり彼女を見た。うつ向き気味の名前の前髪の間から見える睫毛がそれとなく長い。頬の膨らみがこのすあまみたいにやわらかそう、とか思ってしまった瞬間眉間に皺が寄った。何を、考えた、今。


「ねぇ、あのさ、」


ハッとして前を見た。今、呼ばれた?目の前の彼女は俺を上目で見ていた。「何」と動揺を隠して訊くと名前は首をかしげた。


「やりにくいです掃除が。私の顔なんか付いてる?」
「(見てるのバレた)いや特に。なんのへんてつもない顔ですぜ」
「……なんかなぁ」


あはは、またへらりとわらったけどやっぱり何かが違かった。今のそれが反動になって、俺は彼女に手を伸ばした。近い距離。なんてことない。すぐに届く。なのに。彼女は俺の手を避けた。頬に触れる直前。俺の手とは反対方向に頬を遠ざけた。手が、震えた。彼女はまたへらりとわらう。


「何か、付いてるなら、云ってよぉ。自分で取れますって」


でも何か違う。違う。違う!俺は名前を睨んだ。


「名前。」
「なぁに、……どうしたの」
「今、気づきやした。お前、あれから俺の名前呼ばなくなった」
「そうだっけ?知らなかったなあ。たまたまだよ」
「呼べよ」
「……なんで。呼ぶ用はありませんよ」
「呼べって」
「嫌ですー。ほら、すあま掃除出来ないよ」
「呼んだら手伝う」
「我が儘云わないの!ほら!君の膝の下に粉が、」


ぐしゃり。
膝を退かすふりをして浮かしてそのまま下ろした先は、さっきのすあま。俺の膝の下敷きになったすあまを見て名前はかたまった。かたまって、ゆっくり俺を見た。睨まない。ただ上目で俺を見た。ただただ、見てる。


「呼べよ、名前。」


固執。執着。し過ぎ?いや。重要なんだ。名前は。あの声が。今更。そうだ今更。でも、重要なんだよ。あの声で、あの名前を、彼女がわらいながら云ってくれなきゃあ俺は。
冷たい風が吹いた。そういえば障子が開けっぱなしだった。閉める間もなく皿を受け取ろうとした俺はどれだけすあまが好きなんだ。いや、別にすあまはどうだって良かった。問題は、彼女が。名前が。


「名前?呼べば、良いんだね?」
「えぇ。そうです」


名前が、ちゃんとわらって今までみたいに俺のことを呼ぶかどうか、だった。



「総悟、さん」







終了のお知らせです。


(膝を浮かしたら、)
(くちゃりと嫌な音がした)


(まるで俺の心のようだ。)





終。

(08.12.13)
求められて、逃げて拒否した。後になって大事だと気づく。
拒否されて、怖くなった。今更、無理だ。そんな、ふたり。微妙……。

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