ある時突然「春は嫌い。」と彼女は云った。
果たしてそれは本当だろうか。だってあいつは春が近づくと決まってそわそわしだしてうざってェ。頬っぺた赤くしてそこら中歩き回る。そんな名前がある時神隠しにあった。……いや云いすぎた。まる一日、屯所から姿を消した。いきなりだ。今までこんなこと無かったのに。そして翌日の朝何事も無かったかのように「おはようござますー」と舌ったらずのような紛らわしい云い方で挨拶してきやがった。何だってんだこっちは毎春毎春血眼になって捜すというのにあんたは「だから捜さなくて良いんですってばご心配なく!」とか、俺の気持ちわかってやってんのかィ。知らねーだろ。知らねーよなァ云ってねーもん。だからって、俺とは種類は違うが近藤さんの気持ちはわかってんでしょ?娘を心配しない父親ってのはそうそういないでしょ。翌日の朝の近藤さんの泣きっぷり情けなさっぷりにそろそろ折れたらどうだィ。……とかそういうのは名前本人に云やぁいいのはわかってますがねィ。……云えねーよ。云えるかよ。

そうやって、今年も春が来た。そろそろ名前は一日消える。誰も知らねー行き先なんか。そう、誰も。もう訊こうともしねェ。何度試してもだぁれにも口を割らなかった。あの副長さんにも。近藤さんは気を遣ったのかはなっから訊こうとしていなかった。俺は、興味のないふりをした。さんざくさ苛めてきやしたからね。どんな風の吹きまわしだのなんだの……あいつは云ったりしねーけど、心中穏やかじゃなくなるでしょ。またいちゃもんつけるのかとか思うだろうし。……被害妄想、かねィ。俺も弱っちくなりやしたねィ。あーあー。

「なんだかつまんねーや」

俺はいつもどおり、縁側に座ってぼーっとしてる。土方は今市中見回りだかなんだかで居ねぇ。今のうちに寝ちまいますか。

「はぁーるのぉーうらぁらぁのぉ、なぁーんーとぉーかぁーでぇー」

おや。この声は。
両腕を躰の後ろの位置について体重をかけて廊下の奥を見た。歩いてくる音、そこにはさっきまで頭の中を占めていた、女。

「名前、耳に悪い雑音やめてくれませんかねィ」

名前は俺を見るなりピタッと脚を止めて歌も止めて表情はかたくなった。そうだ、こいつはこの時期いつも。

「……御免なさーい。気を付けまーす」

俺と眼を合わせない。いつもいつも。(ほら今だってあからさまに外を見てる。)この時期になる前までは普通に眼を合わせるし一緒に土方抹殺部隊組むし一緒にサボって遊んだり……所謂悪友なわけですが。いや「悪友」から逸脱したい気持ちは山々だが今はそんなときじゃなくて。とりあえず、いつも名前はこの時期、俺を避け出す。俺だけ、を。そんなことされちゃあねぇ?

「なぁ名前」
「なんすか。」

ほら素っ気ない。だから俺は「よっこいしょ」と立ち上がってゆっくり、なふりをして刹那、名前の腕をがっちり掴んだ。名前はすぐには状況が呑み込めずに呆けたけど俺と眼が合った途端、慌て出した。

「ちょっ、と!なんですかいきなり!い、痛い!痛い痛い!」
「勿論、痛くしてんです。」
「なんでですか!痣になるって!」
「こんくらいじゃあ痣にゃならねェ心配しねーでくだせェ」
「わかりましたから離し、」
「だったら云えよ」
「、何を……」
「わかってんだろ」

瞬間、名前の表情が変わった。
今まで「痛い痛い」と眉間に皺を寄せていた彼女は一変、驚いた表情をしたあとまるで、お面のような顔に、なった。無表情。なんの感情も持ち合わせてない、良い云い回しをすれば無垢な、逆を云えば冷酷な、そんなことを思わせる。表情。俺はどうやらスイッチを押したようだ。いいよかかってこいよ、このままそのスイッチを壊れるまで押してやらァ。
そう思ったのに。


「貴方こそ、わかってる、でしょう?」


名前は静かに、夜中の密会のように俺に云う。


「だって隊長は物知りだもの。知ってるから今まで興味のないようにしていた。そうでしょう?」
「…………なんの話でさァ」
「……本当に、ご存知ないと」


なんのことを云ってんだこいつは。全然わからない、脈絡がなさすぎる。ついこいつの腕を掴むチカラが増した。でも名前はもう「痛い」と喚かない。かわって名前自身の腕にチカラが入っているのがわかった。


「知らねェ」
「……そうですか。じゃあそのままでいてくださいよ」
「……なんで」
「なんでも」
「なんででさァ」
「だからなんでも」
「わけわかんねェ」
「わけわからなくて良いんです」
「ふざけんな」
「ふざけてません」
「馬鹿にしてんのか」
「してません」
「…………」
「離してください。私このあと局長に呼ばれてて行かなきゃいけな、」


頭、眩暈がした。眩暈がして頭が熱くなって、瞬間小さな悲鳴とでかい音と視界が変わった。変わったのは俺だ。俺はどうやらキレたようで、空いてる手で名前の胸ぐらを掴んでチカラ任せに引っ張ってなぎ倒すように床に押し倒して上に跨がった。引っ張った時に彼女はちいさく悲鳴をあげたが押し倒した瞬間は背中を強く打って声が出なかったようだ。視界は廊下の木目と名前の痛みに歪んだ顔。意外と俺は頭に血がのぼってる。やべぇなァ。きっと眼はあのマヨラーと一緒になってんだ。気に食わねェが仕方ねェ。止まんねェや。俺は廊下の床に名前を押さえつけた。相変わらず腕を掴んで胸ぐらも掴んでる。廊下にぐぐ、と押し付ければこいつは無言で歯を食いしばる。良い顔だ。やっぱり俺はこいつが、


「わたしが、きえるよう、に、なっ、た、りゆうを、しりたいの、?」


掠れた、声。名前のくちから、もれた。俺は眼を細めて、幼子のように頷く。すれば名前はすこしニヤリと笑った。何故ここで笑う必要があるのか。掴めなくてより押さえつけるチカラが増した。すると名前は眼を瞑った。……死んだ?まさか、いや、でも、いや、オイ、顔が、しろい、ちょっとまっ、


「死んだからだよ、」


訊いたことのないような、彼女のくちからは訊いたことのないような低さの声がした。俺は俺の手を解いた。名前の腕と胸ぐらから手を離し、彼女の頭のサイドに両手をついた。こんな状況でなければ凄くよろしい体勢であるがそんなこと云ってる場合じゃない。名前が眼をあけた。真っ黒いだけの眼。光も俺もなにも映らない。真っ黒いだけ。なにを思ってる、名前は。今も昔もなにを考え思って春を迎えて姿を一日だけ眩ますんだ。その俺の心中の問いかけにこたえるように、また小さな声で喋りだした。


「死んだからだよ、隊長本当に、覚えてないです?あのとき、あの春の日、あなたの部隊は大企業に比べたら小さな、健康薬品の会社に仕掛けましたね。麻薬と幕府反乱用の違法武器の密輸の疑いで。そのときです。何処から情報がもれたのか、予想を上回る敵の数にあなたの部隊は苦戦を強いられた。よくある話ですね。だけどそこはやはり真選組一番隊。見事に勝利を手にした。の、で・す・が、」


ここでまた、彼女が笑った。


「誰かが誤って斬ってしまった麻薬が飛散し、それに銃弾乱射が重なり爆発が起こってしまった。ここでも運良く難を逃れた一番隊でしたが、たったひとり、部隊の中で死んだ者がおりました。さぁてその人はこの4人のうち誰だったでしょう?……1真選組一番隊隊長・沖田総悟。2真選組副長・土方十四郎。3真選組局長・近藤勲。4真選組一番隊隊い、」
「もう、いい」


名前の眼が、猟奇的に細められて輝いた。笑ってる。笑っている。別に楽しくて笑ってるんじゃないじゃあ何に対して笑ってる?そんなの知るか。ただこいつはこの時期俺のことをどう思って避けていたのかを、今、知った。




失踪理由。




この時期は、楽しみなんです。だって貴方に逢えますから。だからその日が近づくとわくわくしてそわそわするのです。頬っぺたが赤くなってまるで片想いをしていた頃のようで。ねぇ、そっちは良いところですか?貴方はお人好しですからなんかやらなくていい仕事もほいほい引き受けちゃってちょっと疲れてたりするのではないですか?考えすぎでしょうか。あのね、私貴方に逢いに行くの、誰にも云ってないのです。だって、誰にも邪魔されたくないじゃない?せっかく年に1度、逢える日なのに。でもね、局長は気付いてるみたい。あえて何も云わないの。いい人だよね。いい人過ぎて、やになっちゃう。なんか私悪いことしてるみたいだよ。ねぇ、私ね、わかってるんだよ。わかってる。全部わかってるんだよ。こんなね、仕様がないんだってこと。虚しいだけだもの。隊長は嫌いじゃないの。真選組も嫌いじゃない。でもねこの春の一日だけは殺してやりたいの。なんで貴方が死ななくちゃいけなかったのか、とか。なんで貴方だったの、とか。貴方じゃなくて良かったじゃない。なんで貴方なのなんで貴方が選ばれたのどうして隊長は帰ってきて貴方はかえってこなかったのなんでどうしてどうしてなんでどうしてなんでなんでなんでどうして貴方はどうしてどうしてどうしてどうしてなんで貴方はなんで隊長はどうしてなんでどうしてどうしてどうしてなんでどうしてなんでなんでなんでなんでなんでなんで嗚呼、


わかっています。わかってる。わかってるんだよ。隊長を殺したって、真選組裏切ったって、貴方はかえってこないことくらい。だから私はまる一日貴方のところで過ごすんだ。そして翌日、「おはようござますー」って、わらって云うんだ。




終。
(08.3.13)
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