速く、速く、速く。速く走るには脚を上げろ。腕を振れ。顎を引け。上を見るな前を見ろ。無心になれ。

校庭真ん中の200メートルトラックに陸上部の部員が3人、コーナーに並んでる。セパレートではないオープンだから、どちらかと云えばインコースにいる人の方が有利、と思うかもしれないけど2コース目の人だって3コース目の人だって上手くインコースに入ってしまえばこっちのものなんだ。だから頑張りたまえ、外側の君たち。
さぁ、スターターの人が黒丸看板の手前にライカンを持ち上げた。息を、とめろ。


「位置について、……よーい、」


 パァン!   ――――パァン!


「ゴルァ!!馬鹿かテメェフライングすんじゃねぇ失格になんぞボケェ!」
「ご、御免なさいィィィィ」

あ、やっちゃったんだ可哀想にねぇ。……なんて。私は校庭の朝礼台の上の一番前ギリギリで思いきり狭そうに膝を折って座ってた。今日は曇天。余計この季節寒いって。今にも雪とかそんなん降ってきそうだ。でもまだウィンドウブレーカーだからマシかぁ。そんなことブツブツ心の中で呟きながら自販機で買った紙コップのブラック珈琲をすする。


「18のくせにブラックですかィ」


カツン、きっとこれはローファーの音だ。ちなみに校庭はローファーで入ってはいけないことになっている。そんなの知っててわざわざ私に、貴方はまだ一学年下の17のくせにそんなこと云うのはあの、あの腹黒少年しか居やしない。私はうしろに振り返らずに、少し遠くで先ほどのフライングのやり直しをやってる部員を眺めながら云った。

「私はブラックをあいしているのです、沖田総悟くん。」

そしてまた珈琲をすする。ふう、と少し冷ましながら。白い湯気が空へ昇る。曇天だから直ぐに湯気か雲か判断がつかなくなる。なんだかどっちでも良くなってまだ人の気配のある私の真後ろへ振り返った。

「何か……っ用かい、君部活はどうしたよ」

沖田くんは思ったより近くに居て、恥ずかしいけど腰あたりが眼前にあった。こいつ、狙ったのか。思った通り沖田くんはニヤリと笑って「なにやらしいこと考えてんだあんた」と云いやがった。「あんたね、それはあんたがね、」何か云い返したかったけど云い終わる前に沖田くんはしゃがんだ。

「苗字先輩は、走らないんですかィ?」

私はまた、ゆっくり前を向いた。

「……走るよ、も少ししたらね」
「その時はそのウィンドウブレーカー脱いでくれるんですよねィ?」
「え、やだよ寒いよ」
「なんでィつまんねーの」
「私君の欲望に応える義務ないし」

また珈琲をすする。すす、と真っ黒い液体。香ばしい香り。紙コップから口を離して少しぼんやり眺めたら自分の冴えない表情がくっついた顔が珈琲に見えた。なに私、なんて顔。見てて嫌になったのでまるっと全部胃におさめる為にイッキした。
脚を下ろして、ただ朝礼台に座るカタチにした。空になった紙コップを、右手で横からグシャリとつぶした。

「彼女とはどうなの?上手くいってるんでしょ?一緒に帰ってあげなよ私のとこになんか来ないでさ」

今度は上下からぺしゃんこになるまでメキャリとつぶした。

「あぁ、あれはガセですぜ。」
「……は?」
「ガ・セ。ガセネタ。にせもんの情報でさァ。なんでィ先輩、んなもん信じてたんですかィ?」

ぷぷぷ、まさしくそんな音がするわらい方をした沖田くん。(見なくてもわかる!)しかし、私だって確たる証拠もなしにそこまで、云わない。

「う、嘘だぁー。だって私見たもん沖田くんあの可愛いオレンジの髪のコとじゃれあいながらあぶっ」

私が勢い良く振り返り自分の意見を述べようと口を開いて声を出した、途端、沖田くんは少し眉間にシワを寄せて、私がまだ喋ってるのに私の頭のてっぺんと顎の下に手を置いて、ぐんっと押し潰すようにチカラを込めた!まるでさっき私が紙コップにした事を再現したかのように。(というか危ない!舌噛んだらどうすんの!)(彼なら「知るか」と云うんだろうけど。)沖田くんはしかめっ面のまま私の頭と顎にあった手を私のほっぺに移動させて、包んだ。なんだこの人、あったかい。

「あのチャイナとは、なんもありやせん。」

しかめっ面から、真剣な顔になった。この微妙な変化を最近感知出来るようになったのは、私が毎日この朝礼台で部活開始直後ぼーっとするとき必ずこの人が来るから。逢う度逢う度この人を覚えていった結果。(雨の日の校舎内の練習にも現れた。)この人はなんで私に逢いに来てくれるんだろうって、いつも考えていたけど、そういえば初めて来てくれたとき私は間違って買ったブラックの珈琲飲んでたことを思い出した。だから毎日買ってみた。そしたら毎日彼は来た。それは願掛けでもあった。本当はブラックなんで苦手だから本当は、ブラックなんかあいしてない。好きなんかじゃない。むしろ嫌い。苦い飲み物は嫌いです。胃に来る。なかなか受け付けなくて毎晩悲鳴をあげたりもした。胃薬常備。でも、なんか、ほら、毎日逢いたくなってしまったのよ。




願掛けランナーの恋の話。
(フライングはしないよ)
(だって仕掛けて来たのはそちらだもの)




終。
(書:08.2.4)
(直し:09.3.18)

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