冬の布団は至極冷たい。折角、風呂であたたまった躰を湯冷めする前に床につこうとあらかじめ敷いてあった布団をめくり脚を突っ込めばキン、と冷えた感覚が脚先を刺激する。湯冷めどうのこうの云ってもこれだから戴けない。毎度の事ながら一向に慣れたりしないのでその度にあーあ、と残念な気持ちになるのだ、冬の布団というものは。しかしこの冷たい布団もしばらくすればほこほこにあたたまる。自らの体温で。人間には体温があってそれなりにあたたかいものだから冷たい布団に入ってじっと辛抱すれば、いつかは眠りを誘うくらいあたたまるのだ。だから人間の体温は素晴らしい、冬という季節は特に。
そんなことをこの冷たい氷のような布団を目の前にして悶々と考えてしまった。さっきも云ったじゃないか、自分の体温がいずれこの冷たい布団をあたためてくれる。だから良いじゃない、最初だけだよ、と。

「(……でもさ。)」

今日はすっかり湯冷めしてもはや躰は冷えているのだ。自分の躰を抱きしめるようにしてそれぞれの腕をさする。ああ寒い。うっかり体育委員の仕事を忘れて風呂に入って着流し一枚に薄い羽織を羽織って自室でぼんやりしてたら、委員長の小平太に呼び出しを食らって部屋の外へ出てしまった。やっちゃった。てへっ、なんてそんなもんじゃない。寒い。寒い寒い寒い!駄目だこれ躰芯までやられてる。背筋がぞくりと冷たいものを通った感覚。どうしよう。その場で軽く跳ねてみる。こんなもんじゃ暖は取れない!食堂でお茶一杯貰おうかな……でもおばちゃん居ないだろうしこんな夜中に。忍び込む?忍びの学生だけに。……今は笑えない。

「(……ちくしょう小平太の馬鹿。少しは気ぃ遣ってよ!)」

あの時の小平太をちょっとだけ恨んでみる。あの体力馬鹿野郎は私とほとんど変わらない格好(着流し一枚、のみ。)で居たのに身震い一つしていなかった。いけどん野郎め……お前なんか巨乳と巨乳の間に挟まれて窒息死してしまえばいい。……なんちゃって。てへっ。……今は笑えない。ていうか、ていうか今そんなことどうでもいいんだよ寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い……。

「はあ……頑張るか」

もういいか、腹をくくろう。なんで同室の子に頼らないかって、あいつ今、恋仲の忍たまと仲良しこよし中だから。それで良いのかくのたまよ。……まぁそれはいいや。よし、名前、行きまーす。すう、はあ。軽く息を吸って吐いて。畳と布団の境目辺りに膝を折ってつける。ゆっくりかけ布団をめくって、さあなんかもう冷気が漂っている敷き布団を無視して羽織を脱いだ。綺麗にたたんで枕の脇に置く。少し睨んで、掌を白い敷き布団の上に、


「―――お姉ちゃん。」


真後ろから声がした。吃驚して勢い良く振り返る。私の動きを茶色の髪がゆっくり後を追って広がった。視線の先。灰色と薄い紫の間の色したくせっ毛の、少しびっくりしたような表情をした私の弟。


「喜八郎……」


なんで、居るの。まずそう思った。此処はくの一の長屋で、男子は基本的に禁制だ。だから男性の先生であってもなかなか入るには勇気が要る場所だというのに、彼は、弟は今この夜中に私の自室に居る。いらっしゃる。なんで!私は思わず立ち上がった。立ち上がったついでに着流しの袖をぎゅ、と握る。


「きはちろ、どうしたの、今なんじ、」
「お姉ちゃん、一緒に寝よう」
「―――は、」


今きっと私の頭にでっかい星が刺さったよ。ずかーん!て。英国紳士もびっくりだぜ。ちょっと足元がふらついた。ああなんか壊れてる私。落ち着け。眉間に皺が寄る。なんで真夜中の自室に姉弟揃ってつっ立ったまま大人しく会話なんかしてるんだろう。ていうか今喜八郎何て云った?ああ、とりあえず喜八郎に座布団出そうそうしよう。


「き、はちろう。とりあえず座布団出すからそれに、」
「お姉ちゃん、一緒に寝よう。さあ」
「ちょ、!ままっま、ま」


待って!って云いたいのに云えてない。ああこういうときに限って頼りない私の口。灯篭の灯りをふう、と吹き消した弟は私があれだけ入ることを渋っていた冷たい氷のような布団にすんなり脚をさし入れて、こちらを見上げた。私はまだつっ立ったままで、正直困惑してる。ただ、顔には出てないだろうけど。でももしかしたら弟なら気付いてるかもしれない。なんだかんだ、血は、繋がっているから。煩わしい、血が。
喜八郎は何を考えているのだかわからない表情。我が弟ながら本当奇想天外、わからない。でもそんな彼は少し目を細めて私にゆったり、手を差しのべた。右の掌。私に向けて。掌はまめだらけで、ところどころ皮膚が硬くなっている。塹壕ばっかり掘りまくってるからだ。蛸壺のターコちゃん。このあいだ伊作が思いきり突っ込んでた、まぁそれはいいや。
沈黙がはしる。灯篭が消えて障子からの月明かりしかない私の部屋は勿論薄暗くて、ああ、多分これは。


「(……喜八郎の手、)」


私の手が今凄い冷たいから、喜八郎の手がやけにあたたかく感じる。そう私は彼の手を取った。取ってしまった。そしたらもう先はわかるでしょう少し強く腕を引かれて布団の中に入って、二人で横になった。枕は要らない。二人で布団の中の中まで入って、外気から遮断された世界になった。暗くて、何も見えない。でも良いの、あたたかいから。嗚呼あたたかいなぁ人の体温ってあたたかい。一気に眠気が襲ってきた。でもまだ寝たくないよ、わかるでしょう。ねぇ、起きていようほら。真っ暗なあたたかい世界に、二人。喜八郎、そんな手を強く握らないで、痛いから。何か怖いの?そうなの?だったら云えば良いのに、暗いのが怖いって。違うの?じゃあ何が怖いの?


「こわくないよ、なんにも」
「……そう。じゃあ、寝る?」
「寝ない。」
「……そう。」


喜八郎の顔は見えないけど、目が合ってる気がする。多分思いきり合ってる。何処に顔があるんだろう、そう思ってそろりと掴まれていない方の手を伸ばしたら、意外と近くに顔があった。というかほとんど眼と鼻の先。弟の頬っぺたに触れた瞬間びくりと揺れた手も何故か掴まれてしまった。あれ、捕獲完了?
それから特に会話は無く二人してぼーっと夜の布団の中で静かに過ごす。時折躰が硬くなって、身じろぎをしてお互いの頭がぶつかったりとかシュールな笑いみたいなのが起こったりしてなかなか寝付けない。もう寝なくて良いや。明日確か、演習があった気がするけど。私って刹那主義だったっけ、まぁそれも良いや。
ゆっくり目を閉じた。眠たくはない。やけに脳みそが冴えていて、けれど冴え過ぎてこの場には居ない感覚になった。宇宙の端っこに意識が飛ぶような、そんな。だけどそれを喜八郎が私の手をぎゅう、と力強く掴むことでこの部屋のあたたかい布団の中に引き戻される。「勝手にそっちに行かないで。」って云われてるみたい。喜八郎とは喋らなくても何となく意思が伝わってくる。弟は私におそらく、依存している。唯一の姉として、唯一の意思が疎通する相手として。他に何があるのだろうか。……他に何かがある、と私が思いたいだけかもしれないけれど。
ああやっぱり眠ってしまいたい。こんな混沌とした意識の中に溺れているくらいなら。





夜に潜る姉弟。


(本当はその首に腕をまわして苦しいくらいに抱きしめたいとか、考えているけれど)
(君はどう思うのかな)

(ねぇなんで、私の部屋に来たの、?)





終われ。
(09.1.28)

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