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誰かが私の名前を呼んだ。低いような、良く響く声で。単調な音程なのに良く通る。単調、だからか?……あぁ、なに、五月蝿いなぁ。そんなに何度も呼ばないで。五月蝿くて落ち着けない。なんだか高い音までする。高い音……声?これも?でも耳障りじゃない。しっとり聴こえる。でもあんまり呼ばないで。やっぱり落ち着けないよ。誰だ私をそんなに呼ぶのは。あぁほら、頭までぐらぐらしてきたじゃないか。五月蝿いからだよ誰だ。誰。知らないよ君のこと、なんか。知る筈無いですだって。だって。……知る筈無い?そうなの?知らないの?いやいや知ってる筈だ。だってこの単調なリズムや高いしっとりとした音は私毎日訊いてる。知ってる。だって好きだから。好きだから。好き?なんで?なんで好き?知らないのに?いや知らない筈は無いのだって毎日。毎日逢ってる。毎日。……毎日?私は何処で毎日逢ってる?その前に、私何処に居た?今は?待って私今何処に居るの?何してる?何?わからない。わからないよだって、
此処はなんだか真っ暗だから。真っ暗だ。何も無い。何も見えない。見えないの?無いんじゃなくて。手を伸ばす。何も触れない。……待って。私今座ってる?立ってる?それもわからない。目の前に手を出してみる。けど見えない。今私手を見たの?それもわからない。腕をあげた感覚しか無い。なんでだろう。どうして。全てが曖昧。曖昧。あいまい、すぎる。すぎて、こ、わい。怖い。急に怖い。感覚が、冴えた、急に、怖い何なになんでこんな、どうして。私、なんで、待ってまって来ないで何が、誰が、真っ暗闇しか、誰かだれ、か、
あの人、あの人が、あの人に、あの、ちゃいろいやわらかい、やわらかな、冷たいまなざしと、すこし優しい、声。あいたい。あいたいよ、だれ、誰に、あの人に あわせて あいたいあいた い なんであえない だれ わからないだれなの あいまいすぎて こえはきこえる どうして みえない たすけてなんてだれが だれに だれ おもいだして でもこわいでも だいじょうぶだってわたしは やわらかなちゃいろ、に あの冷めた眼に、白と黒しか云わない彼に、少し優しい声と気持ちを持つ、あの、ヒト。に。
息が、吸えた。すぅ、と。そしてゆっくり感覚だけで、手を伸ばした。すると、瞬間何かに触れて、掴まれて、引っ張られ、た。そしたら、
ひかりがみえた。
「――――、」
「ミス・ナマエ・ミョウジが意識を回復した。至急ナイトロード神父に報告を、シスター・エステル・ブランシェ」
「は、はい!」
途端ヒールがせわしなく床にぶつかる音がしてそれは素早く遠のいた。そして「神父さまー!」という、しっとりとした高い音。あぁ、と直ぐに理解した。あの音は、彼女だったのか、と。じゃああの単調なリズムの低いような声は?それも直ぐに理解する。だって私の左手は、彼に掴まれていたのだから。
「……トレス、くん」
手を、というより手首をがっちり、掴まれている。掴まれているというより拘束に近い圧力。手の甲がしびれてきてる気がするのは、まぁ、今はいいや。此処がどうやら、医務室らしいから。私はどうやら、座ってるわけでも立ってるわけでもなく、ベッドに横になっていた。白い枕が視界の端にちらちら見える。そして白いシーツが躰の上にかかってる。さらりとした素材が清潔感を感じさせた。なんだか自分が異様に綺麗な躰にさせられた感覚に、疑問みたいな、噛み合わない感覚を覚えて同時に思ったことを口にした。ベッドの傍らで佇んだままの彼に。
「トレスくん、私、なにした?記憶がすっぽり、抜けててわからない」
白い天井から左へ視線を動かして、やわらかそうな茶色の下の肌色を見た。そして丸い、茶色の硝子玉を、見た。その奥が一度赤く光ると、その下の方にある薄い自然な桃色が動いた。
「……報告する。今日、一四〇〇より開始した任務の遂行中に、人質に捕られた子どもを救出するべく卿は戦力武器を持たずに吸血鬼と対峙した。その後子どもは無事救出。卿は左腹部に二ヶ所の刺傷と全身に浅い切傷を負った。刺傷は貫通していた。吸血鬼の爪によるものと思われる。俺はその場に待機していなかった、よってこれは俺の推測だ。確証はない。今ナイトロード神父が医師に詳細を確認している。182秒前にシスター・エステル・ブランシェがナイトロード神父の元に向かった。彼らの歩行に支障が無ければ400秒以内で此処に戻ると推測される。何か不明な点はあるか、ミス・ナマエ・ミョウジ」
少し、記憶がよみがえった。一般人侵入禁止区域内の筈なのに小さい男の子が急に現れたんだった。私は武器を持っていたけどそれを放り投げて、人質に捕られた男の子を素手で助けだそうと、そう、トレスくんからしたら「理解しかねる」ことをした。そのあとはやっぱり全然思い出せない。本能だけで躰動いてた、んだ、たぶん。私はちょっと、わらった。
「、?」
「あ、御免トレスくん。違うの、別に君にわらったんじゃなくて……」
「…………」
「……私、しぶといなぁ、って」
本能だけで躰が動いてたって、なんかちょっと自分で驚いた。たぶん痛みで意識ぶっ飛んじゃったんだと思うけど。あぁ、なんか間違ってるのかもしれないけど、わらえる。……でも。
「でも、派遣執行官が吸血鬼に刺されたくらいで意識飛ばしちゃうのは、情けないなぁ。まぁ男の子が無事ならそれで、良いんだけど」
「…………」
「………………トレス、くん?」
トレスくんの顔がなんか、ちょっと、怒って、る。(本人に云ったら絶対否定されるんだろうけど。)今の発言ちょっとまずかったのかな。だって私の左手首を掴む力が増した。いよいよ折られるのか。そんな馬鹿げた想像をした、その時。
「何故、卿はあの時武器を捨てた」
「、え」
「答えろ、ミス・ナマエ・ミョウジ」
左手首を少し引っ張られる。たぶん彼自身気づいてない。こんなに力が入ってることも。今しがた引っ張ったことも。
「……男の子に、私の吸血鬼に向けた攻撃が当たったら、と思って」
「否定[ネガティブ]。卿の目標[ターゲット]に対する攻撃の命中率は高い。自らを過小評価する数値ではない筈だ」
「いや、まぁそれもそうなんだけど確実ではないから。それに……、それに、男の子を盾にされ、たら……って思ったら……怖、くて」
「…………」
トレスくんは黙った。ただ私を見てる。見下ろしてる。ベッドで横になってる私を。あぁなんだか、冷めたその眼に私はどう映ってるんだろう。浅はかな人間、とか。短絡的過ぎる、とか。きっと良いものとしての意味合いは無いんだろう。彼にとっての一番は、カテリーナ様であって、今の私はカテリーナ様の仕事を増やした悩みの種であって、結果的に任された仕事はこなせたけど違う仕事を増やしたのだから、ねぇ。むしろ動ける人間が一時的に一人減ったからもはやマイナスなわけで。きっとそれに対しても、
「御免なさい、怒ってるよね」
「…………」
「私もう君の邪魔はしないからさ、カテリーナ様の頭痛も増やさない」
「…………」
「だから、」
手を離してもいいよ。
「もう私怖くないから。大丈夫。今度からは簡潔に動くよ。君が私の命中率を褒めてくれたんだから本当なわけだし、ね」
「……“褒める”?否定。俺は卿の過去の目標に対する攻撃の命中率の計算結果を述べただけだ。」
「だとしても。有難う。だから、手を……離して、いいよ」
矛盾してる。意味が合ってない。手を離していいよって云ったのと、カテリーナ様の頭痛を増やさないのと、トレスくんの邪魔をしないのとでは話の次元が違うのに。私、今の表情きっとちゃんとわらえて、ない。それでもやっぱり手を離して欲しくて、左腕を少し自分の方へ引っ張った。けど。
「否定」
引っ張り返された。私は驚いてトレスくんの瞳を見つめる。また彼の瞳の奥が赤く光った。
「俺は、現時点では任務についてはいない。よってこの場で次の任務の要請が来るまで待機する必要がある。」
「……で、も、(手は、)」
「ナマエ!!」
私が言葉を選びながら返事をしようとした瞬間、部屋の扉が勢い良く開いてエステルが慌ててかけ寄って来てくれた。その後ろにアベルさんとお医者様。皆バタバタと医務室らしくない足音が立った。
「……エステル、アベルさん」
「だっ、大丈夫!?何処か痛くない!?あたしが見える!?」
「み、見えるよ大丈夫だよ」
興奮状態のエステルを宥めつつ、アベルさんに視線を移すと彼はやわらかくわらってくれた。それに何だか私は少し泣きそうになったりしたけど、何だか悔しいから我慢する。だけど、エステルは右手を掴んで握り締めて「馬鹿馬鹿ナマエの馬鹿なんであんな無茶したの……!」と泣き出してしまって、あぁ先を越されたなぁとか、泣いてる彼女もすこぶる可愛いなぁとか、御免ねとか、御免ねとか、御免ね、とか。
私も泣いてたことに気付いたのは、左手首を拘束していた筈の手が手首から掌に移動した瞬間で、ある。
触れた気持ち。
(みんなの気持ちに触れた瞬間。)
終。
(08.9.11)