「えーっと、じゃあ一応紹介しますね!」
そうやって、桂木に紹介された彼女は
少し戸惑いながら「はじめまして」の挨拶をした。









「……筐口?」

昼飯時、警視庁情報犯罪課。
そこの特例刑事・筐口結也はデスクに頬杖ついてPCのデスクトップを眺めていた。
いやいやそれだけでは思わず呼び掛けたりはしない。たまたま情報犯罪課に用があった笹塚衛士は缶のブラックコーヒーを持ってドアを開けて中に入ってすぐ、眼についた。いつも生意気な(たまに猟奇的な)笑みを浮かべている筐口の顔が、

「(……間抜け。)」

ている。まさしく“ぼーっと”している。
珍しい、かもしれない。笹塚はブラックコーヒーを一口飲んで、冒頭のように呼び掛けてみた。しかし、

「…………ハァ、」

あ、ため息ついた。
昔日本に来たばかりのパンダの観察のようにまじまじと見る。あぁ今日は珍しい日だ。笹塚はこっそり(見た目では決してわからないが)テンションを上げた。彼は少し、実は少し腹黒い。愛だ恋だのの話はあまり興味はないし敏感なわけではないが伊達に30数年人生を歩んできたわけじゃない。人生の中でそりゃあ恋くらいはしてきた彼は、今眼の前で少し虚ろな眼でPCのデスクトップを眺める彼の脳内の大半で何を思って、――想って――いるかくらいは気づく。だから、笹塚は少しくたびれたスーツのポケットから“色んな意味で”ご苦労様、という気持ちを込めて。


「……筐口、ココア」


要るかい、とわざと視界のデスクトップを両断するように彼の目の前に割り込ませた。わざとと云っても悪意はない。ただこのココアは温かいもので、冷めたらつまらない。折角温かいのだ、温かいまま喉に通して貰わなくては。ね。


「っ!……あぁ、笹塚さん」


たった今気付いた、そんな雰囲気丸出しの表情の筐口。笹塚は「要る?」と少しココアの躰を揺らした。大丈夫、ココアは缶の中。勿論開けてないから中身は缶の中で揺れるだけ。
デスクチェアの滑車を少し動かしてデスクから躰を離した筐口は少し笑って「要る」と云った。






「笹塚さん、苗字名前って子知ってる?」

ごくり。
喉が冷たいブラックコーヒーを飲み込んだ。知ってるも、なにも。

「……あぁ、知ってる。弥子ちゃんの友達だろ?」
「あ、やっぱり知ってるんだ」

ちょっと残念そうなのは、やっぱりきっとそうなのだろう。笹塚はまたコーヒーを口にする。
苦い。苦いけど、その苦さがいい。
筐口は先ほど開けてもう半分しか残っていないココアを両手で包むように持ち、少し眼を伏せた。

「あの、さ」
「…………」
「俺、変なんだよ、最近」
「……え?」
「最近、その苗字のことばっか考えててさ、」
「…………」
「さっきも……笹塚さんがココアくれるまでずっとさぁ……あぁ調子狂うなぁああ!」

ガーッと頭をかく彼をじぃっと見る。
あぁ、なんだこの人、気づいてないのか。
へー、と心で自分に相づちを打ったあと。

「お前、今中学生みたい」
「……え?」

呆けている筐口を置いてけぼりに笹塚は「どうしたものか」と考える。参ったな、と。






o pain,o gain...





別に俺は痛くない。
痛がるのはきっと、名前が出た彼女。


ふたりの男に板挟みにされて、
俺らの仲を気にしてしまうだろう。


その前に、眼の前のこいつは気付くのだろうか?
自分の気持ちの正体に。


そして俺は、その気持ちの正体を
教えてやるべきなんだろうか?


結局どっちに転んでも、
俺はさして痛くない。



終。
(07.12.30)
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