「ねぇ、なんで隠れたの」
「つ、つい……」

ギシ、と軋む音がした。そして同時に服と服の擦れる音。ここは暗い。そして狭い。そして暑い。ついでに五月蝿い心臓の音。
ここは何処か。



人が多い警視庁内でも隅の方は人もまばらだ。隅も隅。迷宮入りの事件、未解決事件をファイリングしたものの溜まり場となった書庫は、警視庁内でも端っこの方の部屋においやられていた。
そこに一人、静かに入室してきたものがいた。なるべく音を立てないようにそろりそろり。赤いパンプスは若干擦り足で踵が削れそうだ。

「…………」

ジーンズのバギーを履いた彼女、苗字名前は少しぬるい空気に顔をしかめた。冬とはいえ暖房が効きすぎている。エコ考えなさいよと心中で呟いて目的のファイルを捜しにズラリと並ぶファイル棚の森へと呑み込まれた。
ここのファイルの量は半端じゃない。棚に入りきらず部屋の隅に無造作に置かれた段ボールの中も例のファイルだらけだ。そんな中に彼女の目的のものはある。そしてそれはこの部屋の大部分を占めるものだった。


「(Xの、あの資料何処だったかなぁ)」


“怪物強盗・XI”のファイル。
それを彼女は捜している。しかし捜すもなにも、ここの大半はX事件の資料だらけと云っても良い。しかし彼女が捜しているのは一件の事件のみだった。


「……ささづか、えい、し。」


呟いて、眉間に皺を寄せた。
彼女が捜しているのはXの事件ファイルの中でもあの笹塚衛士の家族の事件。それだ。
何故今更その事件をひっぱり出そうとしてるのか。

「……知りた、い。」

彼女は笹塚を“知りたい”。ただの興味、ではなく、いち個人……ひとりの女として。口ではなんだか訊けないから。だからはじめは一枚一枚の紙から。
でも彼女には躊躇いもあった。ヒトのプライバシーをこれは侵害しているのではないかと。彼の許可なくその事件の中身を見るのはいけないのではないかと。
でも、知りたい。でも、いけない気がする。
そんな気持ちの中、彼女は一冊のファイルを見つけた。それをゆっくり、ファイルの背のてっぺんに人差し指をかけてスッと取り出す。分厚いファイルが両手の上に落ちた。

「(たぶんこれ、だ。)」

それをバサッと開く。重量感のある音と共にファイルが開いた頁は、幸か不幸かまさしく目当ての頁だった。
名前は喉を鳴らして唾を飲み込んだ。まだ文字は読んでいない。迷っていた。どうしよう、本当に読んでいいのか。気を抜いていた。そのファイルにだけ集中していた。だから自分の真後ろに人が居るなんて全然気づかなかった。


「苗字さん笹塚さん好きなの?」


――――バザバサッ、
ファイルを手から滑らせ落とした。勢い後ろに振り返る。同時にファイル棚に背中をぶつけた。

「いっ、たぁ……」
「そんな驚くことないじゃん。」
「ひ、筐口くん」
「おはよー」
「お、はよう……」

名前は自分より背の高い彼・筐口結也にしどろもどろ挨拶を返す。筐口は逆にニッと笑った。少しつり目がちな眼がなんだか挑戦的で、名前は筐口の眼が、少し、苦手だったりした。そんな彼に背後を取られた。驚くのも無理はない。
しかしドアの開いた音なんてしただろうか?まったくもって気づかなかった。それだけファイルに集中していたということか。
筐口はゆっくりと名前が落としたファイルを手に取って拾った。そして躰を起こしてファイルを名前の丁度頭の上の段に戻した。戻して、そのまま手を棚に付けて手の真下にいる名前を見下ろす。

「ねぇ、苗字さん笹塚さんが好きなの?」

いわゆる、挟まれた状態になってしまった。そしてまた質問された。なんとも答えにくい、質問を。彼女は焦った。焦って嫌な汗をかいた。どうしよう、とにっこり笑っている筐口に合わせていた眼をスッとそらした。瞬間。


「ねぇ、」
「、っ!」


するりと頬を顎のラインから撫でられて耳の下から指を後頭部に入れられた。そのまま二人の距離はもうほぼ“0”となった。相手の体温が伝わってもともとぬるかった部屋が暑く感じる。いや、ただ自分が発熱しているだけだ。だって顔が、

「苗字さん顔赤いけど」
「う、五月蝿い!」
「それはまぁいいとしてさ、ねぇ質問答えてよ。笹塚さん、好き?」
「……ひ、人として、好き、だよ」
「そうじゃなくってさー、」

じゃあなんだと云うんだ!
わかってはいる。彼が云いたいのはそうではなく。しかしどうしてなんでこの自らより年下の少年におちょくられながら(?)答えなくてはならないのか!名前は眼がまわってきた。

「“男”としては、?」

決定的な質問の重要部分を云われてしまった。もう云い逃れは出来ない。名前はとりあえず筐口を睨んでみた。すると頭上にあった筈の筐口の手が腰に(骨盤の出っ張ってるあたりに)触れているではないか。思わず「ひっ、」と云って頭を下げて少し躰を丸めた。しかし彼は止まることなくそこから躰のうしろへと回って、


 ――――ガチャン、


「!」
「ん?」


ドアが開く音がした。筐口がいぶかしげな顔をした瞬間、名前は彼の両腕をガシリと掴み先ほどの彼女からは想像出来ないチカラで彼をズルズル引っ張った。「わ、ちょっと!」という制止の小声も完全無視。そして何故か書庫最奥の棚の下の戸の中に隠れた。先に筐口を押し入れて、自らも入りゆっくり戸を閉めて、ため息。

そして冒頭に戻るのだ。



「ねぇ、なんで隠れたの」
「つ、つい……」

ギシ、と軋む音がした。そして同時に服と服の擦れる音。ここは暗い。そして狭い。そして暑い。ついでに五月蝿い心臓の音。

名前はなんで隠れたのか自分でもわからなかった。おそらく先ほどの筐口との雰囲気のせいだろう。なんだか警視庁内でやってはいけないことをしてる気がしたのだ。仮にも刑事が警視庁でしかも職務中に誰も来なさそうな書庫なんかで。しかもしかも年下と。(年下と云ってもそこまで変わらないのだが)(名前も私服警官だし)問いただされるのは名前の方かもしれない。そう思ったら躰が勝手に動いていた。
そしてその隠れたことを後悔した。
体勢が体勢なのだ。彼は座って膝を曲げて脚を広げている。名前は膝立ちで前のめりで筐口の脚の間に入って彼に迫っている、ようなカタチになっている。ハッと気づいて躰を引こうとしたら筐口に肩を掴まれた。

「逃げなくてもいいじゃん。」
「に、逃げてない!」
「じゃあこのままで居てよ」
「ば、馬鹿近いから!」
「いいじゃんか」
「いくない!」
「小声なのに五月蝿いよチューするよ」
「ち、ち!?」
「あ、っ馬鹿!」


 ――――ガン!





かくれんぼの行方。





がちゃっ。

「……なにやってんの?」

隠れていた棚の戸を開けたのは、なんと名前的には今いちばん逢いたくない笹塚衛士ご本人。名前はぶつけた頭頂部を(痛くて)泣きながら手で覆った。彼女はもう大混乱だった。さっきから筐口は豹変するわ迫られるわ、自分は何でか隠れちゃうわ、隠れた先を過去を勝手に見ようとして後ろめたい気持ちでいっぱいの笹塚に見つけられちゃうわ。
次の瞬間名前は頭頂部の痛みで、ではなく混乱による涙がぼたぼた流れてきた。

「さ、ささ、ささづかさんなんかもうごめんなさいすべてにおいてごめんなさいもうしませんからごめんなさいすみませんもうしわけございませんごめんなさいぃぃ」
「や、あの、どうした」
「あー……、えっと、ほぼ俺のせいかも」
「は?」
「うぁあごめんなさいあたまいたいごめんなさい」
「……苗字さん、とりあえず出てきな」

笹塚は名前の頭にあった手を取って下の棚から引きずり出した。

「苗字さん、……とりあえず泣き止まない?」
「すみ、ません、止まら、なくて」
「……医務室行ってな。なんか飲み物持ってくから。それにその眼じゃデスク戻れないだろ」
「え、あ……」

「ほら、」とポンポン頭を優しくたたかれ名前はしょんぼりしながら書庫を後にした。そして残されたふたりは、無言で眼を合わせた。筐口が棚から出る。
筐口は、笑った。


「笹塚さんこそ、なにやってんの?」
「……なにが?」
「なんで“此処”に居んの?」
「…………」
「デスクに……名前と、俺が居ないからなんか思った?」


笹塚の雰囲気が名前の名前のところで一瞬変わった。それを感じて筐口はまた少し笑みを濃くした。


「笹塚さん、此処に来る理由ないし。わざわざ過去思い出しに此処に来るのは、それ関係の事件のときくらいでしょ?」
「何が云いたいんだよ」
「要するにアンタ、好きなんでしょ?」
「………………だったら、なに。筐口も同じなんだろ」
「…………」




((「そうだよ」っていったところで、))
((俺はアンタには勝てそうもないんだよ))




終。
(08.2.29)
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