生存確認

※少し血が出ます。



 晴れの昼間だからと部屋の電気もつけずに、Tシャツとハーフパンツ姿で脚を股関節から放り投げるように開いて伸ばして、歌仙あたりに見付かったら「はしたない」とか「だらしない」とかなんとか、怒られるだろうなと思った。でも今日は怒られない。そもそもまず見付からない。歌仙は今遠征に行って貰っているから。
 ほんのり薄暗く静かな此処は私の執務室、そして個人部屋だ。そこで空中の何処でもないところを見つめている。少し遠くの畳を見ているようで、そうではなかった。私は何も見ようとはしていない。ただぼんやりとしている。遠くから、話し声のようなものが聞こえる。誰かが笑っている。いっときの平和を感じて、意識せず口角が上がった。悪くはないなと思った。
 壁に寄りかかって、目を瞑る。少し上を向くと後頭部の上の方がゴリゴリと壁に擦れた。室内の空気の圧のようなものを感じる。自然と耳が遠くと近くの音をかき集めて、私にいろいろと教えてくれようとしている。先程の笑い声はまだ続いている。風によって庭の木の葉っぱたちがじゃれあっている。誰かが廊下を走っていて、忙しなく移動している。何かが落ちる音。何かが回る音。何かが開く音。それから、何かが私の首に触れている。すぐ耳元で、声がした。

「あ、動いてる」

 あまりに驚くと人は動けないようだ。瞬時に両目をバチッと開いて全身がカッと熱くなりブワリと汗が滲む。すれば、耳元の声は「あれ、速くなった」などと呑気な声色を私の耳に塗り込んでくるから、頭を振りそうになった。それを我慢して、何故だかとても小さな声を出す。別に秘密にしたいことでもなかったけれど。

「……驚いたんだよ」
「その割に微動だにせず、って感じだったけれど」
「人間、驚きすぎると反応出来ないみたい。勉強になった」

 声のする方に顔を向けると、障子越しの日光を受けてぼんやりキラキラとした髪と整った顔面が想像以上に近くにあって思わず仰け反った。そのときやっと首に触れていたものが離れる。指か何かだったのだろうか。確認する暇もなく「髭切近いよ」と文句を云うと「だって寝ていたから」と薄く微笑まれる。彼は内番服のジャージの上着を私の肩にかけながら首を傾げた。

「寒そうに見えたよ」
「腕と脚出てるから?……もしかして上着かけてくれるところだったの?」
「うーん……うん」
「うーん?」

 髭切の真似をして私も首を傾げてみた。上着をかけてくれるところだけでなかったようだ。とにかくお礼を云うと、彼は「さっきの」と呟き、私の首元を見つめる。
 髭切は髭切自身のリズムで会話を進めるから、個人的には会話しやすい。何故って、こちらは相手のペースに合わせたら良いからだ。会話を切り上げようとしたら一緒に切り上げたら良い。業務のときは簡潔に要点だけを確認出来たら良いし、質問をしたいときなど長くなりそうな場合は先に伝えている。「質問をしたいから時間貰える?」これを繰り返していたらある日彼の弟に静かに頷きながら拍手をされた。弟の顔はとても真剣だったのを覚えている。

「さっきの、もう1回やっていいかな」
「さっきのって……首に何かしてたやつ?」
「何されてるかわからなかったの?」
「目閉じてたし突然だったからね」
「ふぅん……」

 スッと目を僅かに細めた髭切は、ゆるく握った右手を唇に当てる。何か考え出してしまったなと思い、彼が動き出すまでどうしようかと思った瞬間「やっていい?」もう一度たずねられた。「いいよ」二つ返事で了承する。

「何をされているのかわかっていないのに、いいんだ」
「すごく嫌なことではないでしょ」
「どうしてわかるの?」
「感覚。あとは、」

 私に何かあったらあのヒトが飛んで来るから。
 言葉の先は音にしなかった。私は目を瞑る。言外にどうぞと示すとそれが伝わったのか、不自然に言葉を切ったまま黙るこちらに近付く気配を感じた。近付いて止まって、布が擦れる音がする。まるでものわかりの良い子みたいになった髭切は、小さく「ふ」と笑ったような息を吐いたあと云った。

「やっぱりさっきのとは違うことをするね」

 こちらが反応を返す前に、肩と首の後ろをガッシリ固定されたのを感じて目を開けたら、髭切のぼんやりキラキラとした髪先が見えた。良い香りがしそうだといつも思っていたそれが少し揺れたとき、首がぬるりとして、熱くなった。熱くなって、丁寧に挟まれて、ギュッと圧迫されて、苦しさが増してくる。そうしてだんだんと感じる、これは、────痛み。

「……いッ……!?」

 意識せず出た悲鳴まがいの声と共に目を力強く瞑り、そろりと開いた一時の暗闇の後の視界に今までいなかったヒトがいた。そのヒトは髭切にしなだれかかるようにのしかかり、おそらく彼の顔を覗き込んでこう云った。

「髭切さん、大将に何をしてるの?」

 優しい声で問いを投げているけれど、髭切の首筋に抜き身の本体を当てがっているのが視界の端に見えてわかってしまった。わかって良かったのかもしれない。これは今、私が、何か云わなければいけないときだと思った。深く息を吸おうとすると首がじんわり痛むので、小さく細い声になってしまう。

「信濃くん、大丈夫。これはね、髭切は確認してたの」
「何をかな、大将。」

 信濃くんは少しも動かず離れなかった。審神者への忠誠心の高さは花まるお見事だ。こちらの話に少しでも耳を傾けてくれていることも喜ばしい。それに、髭切の上からのしかかっているように見える割に1番下にいるはずの私に体重はかかっていないようだった。背後の壁に体重をかけているのだろうか。それとも髭切が耐えてくれているのか。私は上手く回らない頭を動かして言葉を続ける。きっと髭切がしたかったのはこういうことだっただろうから。

「私がきちんと、今生きているかどうかだよ」




 首筋を、消毒液をひたひたに付けた綿で丁寧に拭われたあと、ガーゼをあてがい、包帯をぐるりぐるりと巻かれる。決してきつくはない。わざわざ医務室でこんなに丁寧な手当とかしなくていいのに、と思う。噛み跡は確かに残っていて赤かったり青かったりしていたけれど、血はさほど出ていなかった。

「肥前くんに似てる?」
「大将、これ割と笑い事じゃない気がするんだけどな、俺」
「…………」

 包帯越しに件の箇所をそっと撫でた信濃くんは、悲しそうに悔しそうに眉をひそめていた。
 あのあと髭切は「お人好し」と呟いて、噛んだ箇所をぺろりと舐めたあと顔を合わせてひとつ微笑んだ。うっかり噛んだ動物がする行動みたいだった。自分の首筋に刃をあてがったままの信濃くんに振り返ると、彼がどんな表情をしたのかわからないが、信濃くんは心底、それはもう心底嫌そうな顔をした。それを見届けて満足したのか、今までの執着が嘘のように、飽きた猫のようにスルリを身を離して髭切は何処かへ行ってしまった。上着は私の肩にかけたまま。

「審神者を故意に傷付けることは、処分ものの話じゃないの?」
「まぁね」
「……そんな顔しないでよ。処分する気ないのはわかってるよ」
「心配してくれてるんだよね。ありがとう」
「そこでお礼云われるともう何もかも云いづらいなぁ」

 信濃くんはため息をついて、私の肩に額を置く。そのまま、髭切の上着を摘んで引っ張った。表情は見えないけれど、いじけた子どものような顔をしてそうな雰囲気だ。

「……傷付けるなら俺がしたい。」
「……それ、刀特有の感覚?」
「もしかしたらね。でもやりたくないよ。大将が痛がることはしたくない。でも自分以外の刀がやるくらいなら、俺がしたい。……怖い?」

 ぎゅう、と髭切の上着を握りしめた信濃くんが少し身体を離しそうになったので、肩に乗った頭に頬を寄せた。信濃くんの身体がピクリと揺れる。

 気付けばもう外は夕方に差しかかっていた。夕餉の当番は誰だっただろうか。そろそろ遠征の隊が戻って来る。この首のこと、歌仙は指摘するだろう。さて、なんと云って納得して貰おうか。




生存確認
(2021.7.11)
- ナノ -