あの子が欲しい。

※少々グロテスクな表現があります。
※明るい獅子王ではありません。



 揺れる、揺れる。視界が揺れる。
 おさまるころ、欲求に従った。
 どうやら人間は、やっぱり脆いらしい。

「ちょ、っと!!何やってんの……!?」

 皆、それを知ってるみたいだった。第一発見者になった加州こそ、今のように悲鳴めいた声をあげたけれど、その声を訊いて慌てて走ってきた鯰尾と薬研は、冷や汗みたいなものをかきながらも落ち着いたものだった。今にも斬り捨てたいけど内番中だから本体を持ってなかった加州は、毎日毎日綺麗に整えているらしい真っ赤な爪でも良いから、俺を重症くらいにはやり潰したそうにしていた。鯰尾に落ち着かされていたからそれは出来なかったけれど。『破壊』は考えないのか、って?加州はそれはやらない。主のこと、大好きだからな。主が哀しみそうなことはしない。俺の今の主は、刀達が傷付くことをいちばん怖がっているから。この人は俺達のちょっとした傷で顔色を悪くするんだ。俺達は刀、云わば『物』なのにな。たしかにこうやって人の形を持って会話も思案も食事もするけれど、元は鉄の塊だ。例えば腕が飛んだって、脚が潰れたって、手入れをしたら元通りになる。そのように俺達は『物』なのに、主はまるで俺達を『人』のように扱う。出陣の後や、演練の後、遠征のときなんかは帰宅早々体調の心配をしてくる。心配性を通り越して、もしかしたら俺達の力を信用していないのではないかとさえ思えて来た始末だ。それについて初期刀で主と一緒にいた時間がいちばん長い加州に訊いたことがある。そうしたらこいつはこう答えた。

「主は俺達を『刀』としてだけじゃなくて、『人』として扱っている……いや、接してるみたいだからね〜」

 加州自身が既に訊いたことがあるようだった。どうしてそんなに心配をするのかと。返ってきた返事は「どうしても、人だと思ってしまうから」。
 俺は思った。『人』『人間』だと思うとそんなに心配になるのは、それらが『物』より弱いからだろうか?ある程度ならわかっているつもりだ。俺だってあのじっちゃんの手元にあった刀だ。『人』と一緒にいた刀だ。でも、本当に、弱いのか?それならば、どのくらい弱いのか?



「どうしてあんなことしたの」
「加州さん、斬っちゃ駄目ですよ」
「わかってるから」

 どこか緊張感のない尋問だ。だけれど、この加州はきっと怒っている。内番服からいつもの服に戻ったこいつは、俺の前に座布団敷いて正座しながら己の本体に触れ続けている。利き手で。斬ってはいけないと云われ、わかっていると返事をしてもなお。いつでも、どこでも、発言次第ではすぐ俺を斬れるように臨戦態勢だ。俺たちの間には机も何も無い。しかしこの場の緊張感を薄めているのは、加州のすぐ傍で控えている鯰尾だ。鯰尾はいつもの粟田口揃いの服で、いつものゆるい空気を醸し出しながらも、どの瞬間でも行動に移せるよう目や脚の筋肉は緊張しているように見えた。俺への攻撃ではない。加州を止めるためだ。なるべくは加州が仲間に刃を向けない状態で行くための砦。へらへらしているように見えて存外ちゃっかりしっかりしているのだ、こいつは。近侍を多くこなしているだけある。
 おっと、質問に答えていなかった。そろそろ口を開かないと加州がイラつき始める。こうやって心中で考えをまとめている俺も、ちゃっかりしっかりしているのかもしれない。座布団の上であぐらをかいた脚の膝に、両の手首を押し付けるようにした。

「どうしてって、気になったことがあったからな」
「……なにそれ」

 訝しげな赤い目を見つめ返すと、カチャと音がする。加州が本体を握った音。鯰尾の雰囲気が変わって、微笑んでいた口元が一文字になる。

「『人間』は脆いんだろ?」
「……だからあんなことしたっての」
「……主は、俺の力を信用してないみたいだからさ。それは俺を『人間』みたいに見ているからなら、『人間』は弱いってことだろ?それなら『人間』である主はどれだけ弱くて脆いのか、気になったんだよ」
「ッ!!だから主にあんな、」
「加州さん、刀をおさめて」

 声を張った鯰尾の制止により、加州がハッとする。自分では気付かないうちに膝を立てて身を抜いていたようだった。こっちを睨んだまま息を細く吐きながらその身を静かに鞘におさめて、ゆっくり息を吸う。落ち着けているようだ、自身を。かわってこちらの精神は凪いでいた。鯰尾が薄く笑って話に加わる。障子を通して入ってくる夕陽に透かされている鯰尾には、いつもと違って優しい雰囲気は欠片もなかった。

「随分、落ち着いてますね。まるでこういう状態になることわかってたみたい」
「そりゃあそうだろ?主を傷つけたんだ。破壊や……そのまま資材になることだって頭にあるさ」
「……そうまでして、確かめたかったわけ。本人や、ここでいちばんそういうことに詳しそうな薬研に、訊けばいいじゃん。主を、傷つけてまで、すること、?」

 本当に加州は主が大事なんだな。目がこれ以上ないというくらい爛々としているのに、深呼吸みたいに呼吸をして刀を持つ手を人間でいう心臓の上に持って行く。その上の洋服を握る。シワシワになる黒い装い。刀に心臓なんかあったっけ。それにしてもこれは、大事というか、これはなんだ。庇護の気持ち、いや、。

「加州は、前の主のこと引きずってるよな」
「…………何が云いたいの。」
「俺はさ、多分主に俺の力を信用して欲しかったとか、そういう類の気持ちもあったんだけど、もっと根っこの部分はそうじゃなくて、もっと、もっと」

 もっと、どす黒くて、汚くて、どうしようもないもののような、気がする。



 結果的に、俺は破壊されなかったし、資材にもならなかった。でも、しばらくは出陣や手合わせ禁止。内番のみ。そして薬研の診察と『かうんせりんぐ』というものを受けなければいけなくなった。『かうんせりんぐ』が何かわからないが、出陣などの禁止は、頷ける。今の俺は、戦場に出たらすぐに折れそうな気がしている。もしくはもっと、悪いことが起きそうな────。

「獅子王の旦那は、よその旦那より、考えることが好きなんだな」

 思考にふけっていたのがばれたようだ。目を合わせると、微笑まれる。こいつは……薬研は、見た目に反して三条のじっちゃんたちみたいに笑うから、何かがズレていきそうになる。あまり見つめ合いたくない気持ちになってしまう。ふいと目線を外して、畳の目を数えるように、じっとあぐらをかいた膝の向こう側を見つめる。

「他の俺とか、わかんねえ」
「はは!そうだな。変なこと云って悪かった。ところで、最近はどうだ?前のようなことを考えたりすること、あるか?」

 前のようなこと。それは、『人間』の脆さについてのことか。……どうだろうか。最近はあまり刀らしいことをしていないから、物騒な発想に至らない気がする。でも、考え事をする時間は増えた。俺らしくないかもしれない。さっき薬研が云ったように、獅子王らしくはない、かもしれない。文机に顔を向け何かを書きつつも身体はこちらを向けている薬研に口を開く。

「あーいう……物騒なことは、考えるの減ったと思う。でも、別のことを考えることは増えた気がする」
「旦那は今おもに内番だから考える時間も増えちまったよな。で、その別のことってのは、どんなことだ?」
「……あんまり、形にならない。なんて云ったら良いんだか……」
「おっと、あまり思い詰めないでくれ。形にならなくても良いから、旦那の言葉で話してみて欲しい。話すと整理が出来るかもしれん」

 優しく微笑んだ薬研の瞳の色は、庭で見る夕方を越えた空の色に似ている。じっちゃんの瞳の色は、何色だったかな。主の瞳の色は……あぁ、主の片方の瞳の色はもう見られないんだった。俺が潰したから。
 そう思った瞬間、身体中の液体が煮え立ったようになって、頭の中がぐらりと揺れた。視界が揺れて、片手で目の覆う。実際に身体が傾いたらしく、前から薬研の驚いて気遣う声が聞こえた。でも答える余裕は正直ない。息が浅くて苦しい。吸っても吸っても吸えてないみたいだ。目を開けてるとブレた視界が気持ち悪くて吐きそうになる。ぐわんぐわんと大きく揺れる頭の中。そういえば、あのときもそうだった。こんなことになる前。俺が主の片目を斬り潰してしまう直前も、こうやって頭の中が揺れていた。そうしておさまった頃、俺を気遣ってくれた主の片目を。思い出す、あのときの、主の顔。

「……驚いたあと、真顔になったと思ったら、微笑んだんだ」

 あのときの主の顔、すげぇ綺麗だったなぁ。
 あのときも、今このときも、主につられたように、同じく笑う。俺を見て、俺のしたことで、笑った主を思い出す。あぁ主、俺の主。俺はあんたが欲しかったんだ。



あの子が欲しい。
(2018.3.1)
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