マカロン泥棒。

 雨が外の物にぶつかって固そうな音を立てているのを、畳にだらしなく横になって聴いていた。帯が歪んでしまっても、着物のあわせが崩れてしまっても、気にしなかった。だから、だらしないのだ。耳を覆うようにした時に聴こえる空気が乾いたような音が好きな私は、今の体勢で畳に近い方の耳との間に空洞が出来た事で、その音が聴こえた事にそっと歓喜した。そうやって自然の音に耳を傾ける。あんまりにもぼんやりし過ぎて、時折息の吸い方を忘れている。苦しくはないけど、喉の奥の柔らかいところ通しがまるでくっついてしまったかのようになって、びっくりする。
 今は梅雨なので、室内がどことなくしっとりしている気がする。カビが繁殖してやるぜ・と活きがっている気がする。だけど、あの空気が乾いたような音はいつでも何処でも聴けるから安心するのだ。この音は、正体は、なんなのだろう。頭の悪い私は、ずっとわからない。
 畳に横になって、少し遠くの畳の目を眺めていた体勢からのっそりと、上半身だけ仰向けになる。あぁ、本当に帯が歪んだだろうな。他人事のように思って、でも何もしない。電気のついていない、大小丸い2つの蛍光灯と中心近く豆電球。それの、正方形の囲い。少し色褪せたなぁ・と思って、それに対しても何もしない。とてもとても、だらけている。祖母がコレを見たら、なんと云うだろう。「あらあら、どうしたの。」「何か、やなことでもあったの?」「おばあちゃんが、抱っこしてあげようか。」祖母は、私に甘かった。あまり、怒らなかった。私は勿論、おばあちゃん子になって、いつも、祖母の膝の上で遊んでいた、気がする。なんて、急にそんな事を思い出して、どうしてしまったのか。色褪せた蛍光灯の囲いを穴が空くほど眺めながら、なるほどコレがセンチメンタル?なんて、心の中で独り言。パラパラパラパラ・カタカタカタ・トントントントン。外の様々な雨音が重なっている。気が散漫としているようだ。次から次に思考が流れて行く。まるで雨水が屋根を滑り落ちるように。

「死体ごっこでも流行ってんですかィ」

 訪問者はいつだって突然現れる。特にこの人は、インターホンを鳴らさないし扉をノックしない。時折縁側の方に勝手に回っては知らない間にそこで日向ぼっこしていたりする。冷蔵庫の中のサイダーを無断で飲んでいたり、取っておいた貰い物のマカロンを食べたりしている。もう泥棒と一緒だと思った時、この人の事を「マカロン泥棒」「泥棒の人」と名付けていた。
 マカロン泥棒の人は、締め切っていた部屋の障子を合図無しで開けたようだった。上半身は仰向けではあるけれど、それでも完璧な仰向けではないので、どちらかと云えば背後側の縁側に繋がる障子を開けた彼が、私は見えていない。なので憶測。おそらく事実。そんなマカロン泥棒の人は、私を見て死体と宣った。でも、返事、する気がない。暫く黙っていると、マカロン泥棒の人は音を立てて障子を閉めた。部屋には入ったのか、畳を踏む音がする。でもその場からは動いていないらしく、そこから音は止んでいる。固い雨音に意識を持って行く。パラパラパラパラ・カタカタカタ・トントントントン。

「おーい、本当に死体になっちまったんですかー」
「……ううん。生きてる」
「めんどくせーって思ってるのがヒシヒシと伝わる声量で返事をどうも」
「今日は、どうしたの。今日はマカロンないよ。泥棒さんに、食べられちゃったから」
「あんなとこに置いとくのが悪ィんでさァ。どうぞ食ってください〜って感じだったもん。マカロンが俺に雌豚みてェに媚び売ってたもん」

 もん、とか。と返事して笑いたいところだったけど、あいにくそれすら面倒で、完全にマカロン泥棒の人に背を向ける。招いた記憶はないけれど、それでもお客さんには変わりない彼に対してとんだ無礼である。それでも、それでも何もする気は起きない。また耳と畳の間に空洞が出来て、空気が乾いたような音が聴けると思って、目を閉じた。すると聞こえたのは、好ましいあの音ではなく、なかなか近い距離の背後からのマカロン泥棒の人の声だった。

「台所の、流しの横に、俺はこれから忘れ物をするんです」

 意識が、まるで着物の襟を後ろに引っ張られたようになって、マカロン泥棒の人の声を訊く。つい、引っ張られた事が現実のように、これ以上後ろに行かないと堪えるかのように、畳に爪を立ててしまう。切り忘れて伸びていた爪は、畳を傷めるように食い込んで。

「きっとこれ見よがしに、その台所にいちばん最初に足を踏み入れたヤツに、私を食べて〜なんて雌豚よろしく媚びを売るに違ェねェ」

 あーぁ、俺はなんて忘れ物をしちまうんだろーなァ。
 妙に演技めいた、でも何処か棒読みな云い方に、自然と少し頬が上がってしまった私は、畳に立てた爪が負けたようだった。音もなくいつの間にか私の背後に近寄っていたマカロン泥棒の人は、それに気付いているのか・いないのか、はたまたどうでも良かったのかわからないけれど、畳を踏む音を立てながら立ち去ろうとする。私は怠さの残る、でもさっきより幾分かマシな身体を無理矢理起こして、振り返って、今日いちばん張った声を出す。「ねぇ泥棒さん」そうしたら、今日初めて見たマカロン泥棒の人は、今までで初めて見る黒い服を着たまま、振り返って少し笑った。

「泥棒じゃありませんぜ。泥棒を捕まえる側の人でさァ」

 マカロン泥棒の人は、泥棒を捕まえる側の、真選組の人だったのだ。



マカロン泥棒。



「ねぇ、泥棒さん」
「俺は泥棒さんじゃありやせん」
「泥棒さん、もしかして、マカロン食べられちゃった私が拗ねてると思って来てくれたの?こんなお土産まで用意して」
「お土産なんて持って来ちゃいねーですぜ。これは忘れ物でさァ。」
「忘れる為のお土産じゃあなく?」
「忘れ物は忘れ物であって、その他の名前はありやせん」
「うーん、意地っ張りだなぁ。ねぇ、とりあえずお茶煎れるから、この、泥棒さんの忘れ物一緒に食べよう。今日雨だから縁側じゃなくて居間で待ってて」
「だから、俺は泥棒さんじゃありやせん」



終。
(2014.6.22)
雨音を聴いていました。
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