匪口さんまた19歳。企画


 昔見たドラマで、水で溶ける縄で縛られた探偵が冬の海に落とされて、よく一緒にいる女に助けられて、でも案の定躰は冷え切ってるからあたためないと死ぬかもねってとき。家に急いで帰ったふたりは、ベッドに入って女が裸になってその男をあたためる。忘れたけど多分男も裸だった。冬の海に落とされたから、まぁ脱ぐよね。ところで、人肌ってあたたかいんだってさ。何か着込むのも勿論良いけど、人肌の方があたたまりやすいんだとか。だから遭難とかしたときに、防寒具で寒さと戦うより人肌同士をくっつけあった方が良いとかなんとか?

「俺ら今遭難してんの?」
「なんの話?」

 自分が一枚一枚服を脱がされていく様を、眼鏡が盗られて手元に無いからうまく確認する事も出来ずに、でもとっくにあの緑の上着は脱がされてるのはわかってる。インナーも無い。上半身裸のまま、はい次は下ですよ。ってちょっと待った!!ベルトのバックルにかけられた手をまるごと掴む。ポイポイ俺の服をベッドの端やら、確認出来ないけど多分ベッド下にも落としてくれちゃってる目の前の女は、まだ何もかも着込んだままだ。おそらく。ちゃんと見えないけど。

「なんで俺だけどんどん脱がされてんの?あんたは?ていうかこれの目的は?」
「匪口って本当にほっそいね。弱そー」
「……いいじゃん別に。あんたにゃ関係ないね。ていうか触んな、撫でんな」
「うっわむかつくスベスベしてやがるーむかつくわー」
「だから撫でないでくんない!?」

 人の話を訊かない女は「きゃーゆうちゃんて卵肌ーきゃー」と棒読みで、多分真顔で、そうして俺のベルトを外す。何を云っても訊かない事は、人としての付き合いがそこそこ長めだから察しはついている。でも、万が一この女が俺に対しての良心を持ち合わせているとしたら、なんてことを考えて、無駄だとしても足掻いてみる。まぁ本当に無駄だったけど。俺のズボンは宙を舞っておそらくベッド下に落とされた。

「……なに、もうなんだっての……」
「叫ばなくなったね。ていうか今日大人しい」
「……疲れてんの。知ってんだろ俺今、朝帰り直後」
「えっ……匪口、浮気……?」
「あんた馬鹿だろ、仕事だよ!ていうかわかってやってんのバレッッッッッバレだから!無駄に高い演技力見せないでくんない!?」

 はぁ、と溜息ついた頃にはトランクス一枚になっていて、残暑が尾を引いてる筈なのに朝は少し肌寒い。カーテンが閉まっていて、窓も開いてない、電気もついてない薄暗い部屋で、色気もへったくれもない会話という無い無いづくしの最中。とうとうと云うべきか、押し倒された。でも何も考えない。もとより、視界が悪い。多分俺の目つきは悪い。見たくて仕方ないとかこれっぽっちも思ってないけど、見える世界のピントを合わせる為に目を細めたら、自然に眉間にシワが寄るもので。

「あ、匪口それかっこいいよ」
「なに云ってんの」
「これからは眼鏡外していこうよ」
「なんであんたの好みに合わせなきゃなんないの。嫌だね」

 そうして俺の上に跨って鎖骨あたりを撫で続けているこの女をぼやけた視界から消した。目を瞑る。寝ちゃえば良い。なんの反応も見せなきゃ飽きるだろう。そう踏んで、さらに腕を目の上に乗せたらバッサバッサと音がする。その腕に何かが勢い良く触れて去って行った感触と同時に予感がして、目の上から腕を退けたら肌色と淡い色が見えた。はっきりしないけど、わかる。わかるって、ちゃんと見たことなんか、ないけど。ていうか、ーーーー。カッと、血が巡り巡った。顔に。瞬間叫んでいた。朝なのに。

「おおおわああああああああお前何してんだよ!!!!ほんと何してんの!?」
「服脱いだよ。見てわからない?」
「わかるわ!!そうじゃなくて!!てっ ていうか見えてないから!」
「匪口ガン見じゃん何云ってんの。……えっち。」
「ご、ごめ、…………いやなんで俺が謝らないといけないのか」
「嘘嘘、御免御免。匪口の視力の低さは知ってる。だからこんなポンポン脱げたんだよ。ほらハイじっとして。」
「はァ!?」

 うっかり苛ついて声を荒げると、ぼやけた目の前の女は寝っ転がってる俺にのしかかった。そのままさっきまで撫でつけていた鎖骨に頬か何かをくっつけたようで、更に肩を掴まれた。なんだって、いうのか。しかしさっきつらつら思ったように、人肌ってものは想像していたよりあたたかいようだった。昔、小さいとき、あまり記憶はハッキリしてないけど学校の遠足かなんかで行った動物園で触った兎のあたたかさを思い出す。あの時は、あまりにあたたかくて、驚いた気がする。今考えたら当たり前なんだ。生きてるんだから。そう、生きてるんだから。

「匪口さぁ、遭難してるでしょ」
「……何云ってんの?寝言は寝て云えば。てかさっき俺が訊いたらすっとぼけたくせに」
「いつから遭難してるの?私見積もりだとね……昨日、いや一昨日かな」
「人の話訊いてくんない?……結構な遭難日数だな」
「でも本当に遭難始まったのは帰って来るちょっと前じゃない?」
「本当に遭難始まった、ってなんだよ。遭難に本当も嘘も何もないんじゃないの」
「だから私来たんだよ。私も一緒に遭難する為に」

 嫌な予感がした。薄々気が付いてはいた。でも、知らないでおいたんだ。だから見ないで欲しかった。関係ないんだから。知らないだろうから。知らないくせに。知ったように云われたくないから。
 今までほとんど何もして来なかった両手で、自分の上に乗ってる奴の肩を探って掴む。ぴくりとふるえた彼女はそろりと顔を上げたようだった。なんとなく、覚束ない輪郭が見える。目が合ってる、気がする。

「……お前さ、何が云いたいわけ。内容によっては、出てけよ。ほんと」

 オトナ気ないことこの上ない事を云った。わかってる。でも今は仕方ないと云い訳する。冷たい声だと思う。だからさっさと傷付いて欲しかった。この女に。非道いと云って離れて欲しかった。そうして平手打ちの一発でも打ち込んで欲しかった。この女に。そうしたら目が醒める気がして。他力本願とはこの事だ。情けないかな、ヒトリでは真っ当に生きていけないのか。“困った奴”だ。そう、あの眼鏡のやたら構って来る口五月蝿い人が云っていたような、気がする。云われたっけ。イイカゲンな記憶を辿る。なのにこの女ときたら。

「なんにも」

 この女ときたら、それだけ云って、もう一度身を横にしたのだった。俺は彼女の肩を持って動かなくなるだけだった。ーーーー嘘だ。動けなくなったんだ。だって、訳がわからない。散々さっき、含むような云い方しておいて、それはないだろう。少し手にチカラを加えたら、抗議の声が聞こえた。

「いった!痛いよ匪口!」
「痛くしてんの。何なの今の。さっき俺が遭難してるって云ったじゃん。あれ何。何で俺が遭難してるって思うの」
「理由なんてないよ」
「嘘だね。云えよ。」

 さもなくば、出てってくんない。
 そう云っておいて、まるで動かせないように彼女の肩を掴むチカラは強まって、でも彼女はもう痛いとわめく事はなくて、彼女から伝わるあたたかさをまざまざと感じて、目を瞑る。気付いたら外で雨が降っていたようだった。それはそれは強い音だ。きっと外の視界は最悪だ。でも俺には関係無かった。今の自分は眼鏡を所持していないからだ。雨粒で何にも見えなくたって、一緒だ。だから見なくて良い。なんて、今は部屋の中なのに。此処は何処だ。自分の部屋のベッドの上なのに。ヒトリで暮らしてる、部屋の、ベッド上なのに。俺の躰はあたたかいのは、何故だろうか?声が聞こえる。

「私、匪口の事は何にも知らない 名前と住所と誕生日と好きなものくらいしか知らない でも匪口の事を見る事は出来る 見てたら一昨日くらいから元気がなかった これはどうした事か 私は今日休みだった 匪口が気になった だから来た 背中が寒そうだった 実際この部屋は寒かった じゃああっためましょう?」

 息継ぎはほとんどない。それでもまだ声は聞こえる。

「てのはちょっと嘘。あっためるだけじゃない。さっき私一緒に遭難する為に来たって云ったでしょ?それが本当。まとめようか。一昨日くらいから何だか元気がない匪口が気になって気になって仕方がないから傍でくっついてみる作戦。」
「…………」
「これは本当。都合が良いと思った?都合も良くなるよ。だって私匪口好きだもん」

 自分の目が見開かれた気がする。そりゃあそうだ。驚いたんだ。思わず更に手にチカラを加えてしまって、小さく痛がる声が聞こえたからハッとして手を離すと何故か痛がってたヤツに笑われた。

「ぷくく。戸惑ってる戸惑ってる。慣れてないなー」
「……五月蝿いよ。あーーーーもうなんなんだよ……」
「今日くらい良いじゃん考えること放棄したって。匪口は頭使い過ぎ。頭で考え過ぎ。無駄に頭良いんだから休息しないと、日頃使えなくなったら勿体無いよ。」
「あんたのしたい事わからない。でもあんたが離れる気がないのはわかった」
「そう!それだけで良いよ。今はそれだけで良いよ。だからオヤスミ、匪口。私も、オヤスミ」

 そう云って本当に寝出したこの女は、何にも知らない分何にも云わないけど、一緒に遭難すると云う。でもその代わり、俺を見殺しにはしないつもりだろうと思う。そうやって、“今日”が近付いてそっと哀しくなってみてる俺を生かし続ける。あの眼鏡の背が小さい人みたいに真っ正面からではなく、引いた線の外側、何と云ったら正解かわからないけど、線の外側なのにあたたかさが伝わるような傍、に居るような。

 このあたたかさが嫌じゃないのは、甘えだろうか?



やだ、もう、生きたい?
(2013.9.3)
匪口結也さんってば、また「19歳」。今年も参加出来て嬉しいです。貴方は倖せになると良い。
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