あの河は渡らない。

※血だらけです。
※死ネタではありません。



 空の色が、灰色だった。その灰色は、現在気分が高揚しまくっている私を落ち着けるには少々明る過ぎていた。もうちょっと、重ったるくなってもらわないと。とか文句をつけながら、ひとつ咳をする。乾いた音だった。私は今、喉が渇いている。
 地面に大の字になって寝転がっていた。躰の節々は痛んで、特に右の足首と、肋骨あたり。あと、胃が痛かった。そして、刺された左の二の腕と、撃たれた腿。殴られた頭。何処もかしこも痛かった。
 一戦交えた後は、こうも疲弊し、こうも高揚しているのだ。
 討ち入りをした。街の外れのそんなに大きくない呉服屋。他の星から布を輸入する際、人にとろみをつけるお粉も輸入しているという情報を掴んだ。まぁ、よくある話だ。そして事は急ぐと来た。そうして昨晩、皆々様が寝静まった頃に、討ち入り。結果、我々真選組が勝利した。わーい、やったぁ。この朝の筈なのに雲のせいで時間のわかりづらい今、喜びをくちに出して表現してみよう。

「わぁ い。やっ、」

 げっほ、ごぼ、。あ、血が出た。喉がやられているのか、声がうまく出なかった。それを無理矢理出そうとしたもので、咳込んだ瞬間、血を吐き出した。これ、喉?なんか、胃から出た様な、気が。掌の血だまりを見つめた。

「なぁーに死にかけてんでさァ」

 人が近くにいるなんて気付かなかった。少しばかり驚いて固まっていたら、頭の天辺をゴツと何かで小突かれた。痛い。硬い。そんな感想を持った。掌から視線を外して、空を見た。広く灰色い空を邪魔する、すすけた亜麻色。

「たい、ちょ?」
「おう。死にかけ。」

 この沖田隊長は、死にかけている隊員の頭を靴の先か何かで小突いたようだ。生存確認にしては荒っぽいが、この人らしいとか思ってしまう。隊長は無表情なまま、こちらを見下ろしている。膝すら曲げない。嗚呼、彼らしい。

「たい、 、おつか さ、です」
「何云ってんだかわかんねーや。ほれ、もういっぺん云ってみな」
「たい、ちょう、お、」

 げほげほ、ごほ。ごふ。あー、また。横に躰を丸めたら、先程より多い、土で汚れた掌に血。なんとなくやっちゃったと思って。「おー、こりゃあまた」と、しゃがんだ隊長は、私の掌を覗き見たようだった。あまり人様に見せるものではない気がして、赤い掌をグッと握りしめた。

「すみ、ません」
「何に謝ってんでィ」
「……おみぐ し もの 、」
「お見苦しいものってのはあんたの常日頃の顔のことかィ?」
「……や、ちが、」
「その声じゃ何云ってんだかわかんねーからもう喋んじゃねェ」

 もういっぺん云ってみろとおっしゃったのは隊長なのになぁ。と思って、ヒュウと喉がなった。あー、やばい。これは、やばい。ごっほ、げほごほ、ごふ。ごふ。いやいや、こんな出るもんじゃないよ、吐血とか。内臓をいつやられたのだろう。ヒューヒュー云い出した肺だか喉だかと、視界が霞み出したことで自分の終わりのようなものを悟ってみた。そういえば、私まだ食べてみたかったものあったなぁ。街の真ん中に出来たお茶屋さんとか、行きたい行きたいって思ってでも仕事がカツカツで結局行けなかったなぁ。局長たちの故郷にも行ってみたかったなぁ。どんなところだったのかなぁ、素敵な田舎町だって局長凄く柔らかい笑顔でお話してたものなぁ。あぁ刀研いであげたかったなぁ。人斬り過ぎて血脂で今どうなっちゃってるかなぁ。もうあまり何も見えなくて、御免。確認出来ないや。あと万事屋さん。旦那に困った事あったら来いよ社割してやるよ、って云って貰えたのに、なんとなくタイミング逃して行けなかったなぁ。あの人たちあったかそうだったなぁ。ていうか社割って私万事屋さんの社員だったのかな。真選組隊員なんだけど、まぁ良いか。嬉しかったから。そう心があったかくなった瞬間、ゆるりと瞼を閉じた。

「おい、誰が死んで良いなんて云った」

 がぐん、と首が後ろにしなった。襟首を強く持ち上げられたようだった。今そんなことするのはひとりしか居ないだろうから、ゆるゆる瞼を持ち上げて、それでもほんの少ししか目を開けていられないのでまるで細目で相手を確認する。態度が悪いのはご愛嬌で。

「しん、で ま、せ、」
「急に満足したような表情[カオ]してんじゃねーよ。思い残すことねェとか思ってんのかィ。誰がいつそんなこと許した?まだ後悔だのやり残しだのあるだろーが。あるよなァ?お前まだ俺が貸した20円返って来てねー筈なんですけど。あとお前に借りてる5000円返してねー筈なんですけど」
「……旦那に、似て、きま たね」
「うるせー黙れ。あとお前まだちゅーとかしたことねーだろ?そんなんじゃそれ以上なんて勿論まだでしょーねィ。はーあ、オンナとしてもやり残しがあるってぇのにそのまんま逝っちまうなんておめーはいるかどうかもわからねえカミサマに仕える気ですかィ。見てらんねーや」

 未体験がやり残しだなんて誰が決めた、誰が!と言い返したいのに、喉からはヒューヒュー空気が漏れるばかりで。そんなんだから苦しいのに、隊長は私の隊服の首元をどんどん引き上げて、そうすれば首元はどんどん絞まるから、私、吐血云々の前に絞殺される。そう危惧して首元の隊長の手をそっと掴んだ。そのとき、さらに強く引き上げられて、私は口呼吸が出来なくなった。霞む世界はすすけた亜麻色と肌色と、その向こうの灰色で埋め尽くされたのだ。もう正しい判断の出来ない頭ではすぐに何をしているか認識出来ずに、呼吸の苦しさばかりに気を取られてもがいた。鼻は折れているのか鼻血が出ているのか機能していないようで、口呼吸が私の呼吸方法だった。もがいて苦しんで口を開けば待機していたかのようにあたたかく柔らかい弾力のあるモノが口の中に滑り込んだ。それは湿っていて動きはなめらかに絡みつくようで。元から高揚していた気分が高められそうで、そのまま流れてしまいたくなって、同時に逃げ出したくなった。意思とは関係なく鼻にかかったような声が出て涙が溢れたとき、呼吸が解放された。解放だなんて大袈裟かもしれないけれど、その言葉が最適なような心地だった。息切れが酷い。

「……なに、し、」
「わかってんだろ。……ちゅーを体験させてやったんでィ。ていうかお前口の中まっず」

 ぞわぞわする。何かが、もっと欲しいような。高揚がさらに酷くなった気がして、落ち着かせたくて無理矢理違うことを考えようとする。

「それは、それは、ど も」
「……調子が出てきたようで」

 ふ、と息が抜けるような音がして、隊長が笑ったのだとわかった。きっとよろしいお顔なのでしょう。もしかしたら口まわりが赤っぽいかもしれないけど。私も笑おうとしたけれど、ちゃんと笑えてる気がしなかった。

「ひでー顔でさァ」
「……でしょ ね」
「さらに、ひでー声」
「……」
「その他諸々もボロッボロ」
「……、……」
「でも、死ぬのは許さねェ」
「ど して、?」

 真選組隊員としておかしなことを訊いているのは承知だけど、あの隊長が妙に固執するから思わず尋ねてしまった。そうしたら、またグッと襟首が持ち上げられて、そのまま耳元で隊長の声を訊く。

「人の誕生日に、勝手に死なれちゃあ困るんでさァ」

 そうか、今日は隊長の誕生日だった。



あの河は渡らない。



「……えんぎ、わる、い」
「……そ、縁起悪ィから。勘弁してくだせェ。ほらよ」

 よっこいせ、と私を抱き上げた隊長は、ゆっくり歩き出した。もう目が使い物にならなくなった私は目を瞑る。隊長の肩あたりに頭をあずけて、チカラを抜いた。鼻が機能していないのに、隊長の匂いを感じた気がした自分はおかしくなっているに違いない。死ぬことを許されていないから、おそらくこの後目が覚めて回復する前からまた働くことになるだろうから、そのさらに前に、目が覚めてからすぐに、隊長の誕生日プレゼントを手に入れに街に行こう。隊長は、今何が、欲しいのだろう。訊きたいけど、今はこのまま、少し眠りたい。



終。
(2013.7.17)
誕生日のお話なのに血だらけですみません。
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